| 2005年02月07日(月) |
(SS)恋の最大瞬間風速 |
その日、例年より早く「春一番」が吹いた。
碁会所に向かう道も風にあおられるような感じで、服には砂粒のような埃があきれるほどついた。
「うわー、もうまいった。すっげー風だったぁ」
ようやくたどり着いて市河さんのいれてくれたお茶を飲みながら一息ついていると、進藤がやってきて開口一番言った。
「あ、おれもお茶欲しい、口ん中じゃりじゃり」
今いれてあげるからちょっと待っててねと、市河さんが言うのに心底嬉しそうな顔をして、それからやっと進藤はぼくの方にやって来た。
「おまえいつ来たの? 風に吹っ飛ばされなかった?」
冗談とも本気ともつかない軽口を叩きながら、背負っていたデイパックを床に下ろす。
「おまえ細っちいから本気の風が吹くとマジで飛ばされそうだよなあ」
言って、ぼくの肩の辺りに触れようとするのをぼくはぴしゃりと叩いた。
「…来たのはつい先刻。風は今と同じくらい吹いていたけれど、別に飛ばされたりはしなかったよ」 「ふーん」
叩かれた手を不満そうに見つめてから、進藤は目の前に置かれたお茶を大人しく飲んだ。
「あ、これすっげーうまい。市河さんお茶いれんの上手だよね」 「あら、ありがとう。でも普通のお茶なのよ?」 「んー、でも家で飲むより倍くらい美味い」
やっぱり美人がいれてくれるからかなあと言うのを「進藤くんは口が上手よね」と市河さんはさらりとかわした。
でもまんざらではないらしく、他のお客さんの相手をするためにカウンターに戻る時、市河さんは機嫌よく歌を口ずさんでいた。
「進藤…」 「ん? なに? もう打つ?」 「いや、そうじゃなくて…」
きょとんとした顔で見る進藤にため息をつきながらぼくは言った。
「いや、打つのは打つけど…。市河さんは恋人がいるんだから好きになっても無駄だよ」
じっと。ぼくの顔を穴が開くほどじっと見つめた進藤は碁笥の蓋を取りながらぽつりと言った。
「ばっかじゃねえの?」
おまえバーカ、本当にバーカと。でもなんでバカなんだと尋ねてもそれっきり進藤は口をきかず、きいてもそのことには答えなかった。
「んじゃ、また来週来るから」
七時過ぎ、外に出るとさすがに風はもう大分弱まっていた。
「ぼくも同じくらいには来ているようにする」
そのままほとんど話すこともなく、並んで駅まで歩く。歩くと言ってもそんなに距離が無いのですぐに着いてしまったのだが。
「…進藤」 「ん?」 「やっぱり教えて欲しい。なんでぼくはバカなんだ?」
無言のまま階段を上がり、ホームに行った所でぼくはきいてしまった。
「さっきの…。なんでバカと言われたのかどんなに考えてもぼくにはわからない」
このままだとすっきりしないからと言ったのと同じくらいに電車が入ってくるとアナウンスがあった。
ぼくが乗る方面の電車だった。
「進藤…ぼくはキミしか友人がいない。だから知らない所でキミの気に障るようなことを言って、キミが来なくなってしまったらきっととても寂しいと思う」 「おまえ…」
ほんとバッカだよなあと、進藤はつぶやくように言った。
「だからなんでぼくがバカなんだっ!」 「それはさ―」
…だよ。
進藤の言葉は入ってきた電車の音にかき消されてよく聞こえなかった。
「なに?」
…だから。
それでも聞き取れなくて聞き返しているうちに電車の戸が開いて、乗り降りする人の波にぼくたちはもまれてしまった。
「ほら、早く乗らないと閉まるぜ」
促されて乗りかけて、でもぼくは閉まる寸前に下りた。
「やっぱり…きかないと気持ちが悪いから」
そう言うぼくと去って行く電車を見比べながら進藤は苦笑したように笑って、それから辺りを見回すと一瞬だけぎゅっとぼくの体を抱きしめた。
「そーゆーこと」 「…え?」
それでも事態がわからずに呆然と尋ね返すぼくに、進藤は呆れたような、困ったようなそんな感情がごちゃまぜになったような顔をしながら、改めてはっきりと言った。
「おれ、おまえが好きなんだってば」
聞いた瞬間、ごうと音をたてて、忘れかけていた強風が吹いた。 埃っぽく、砂を含んだ風には、でも少しだけ甘い春の花の香がして、ぼくはそのまま倒れそうになったのだった。
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久しぶりに「未満」の話です。 ロケーション的には中野のホームです。
中野、阿佐ヶ谷、高円寺は学生時代から結婚するまでの間、入り浸っていた非常に思い出深い街です。
今でも結構よく遊びに行くのですが、行くと甘酸っぱい気持ちになります。
あの頃、毎週のように元相方と中野のホームに立ち、彼女が煙草を吸っている間、ぼんやりと駅前のビルをながめていました。
あのビルを今、違う思いで一人で見るようになるとはなんとも不思議な気持ちがします。
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