SS‐DIARY

2004年11月19日(金) (SS)初恋草1

Lechenaultia(レシュノルティア)

通りがかった花屋で、ふと目について買った鉢。

何が良かったというわけでは無いのだけれど、ぽちりと咲く赤い花を見た時にベランダの鉢植えを枯らしたことを思い出した。

聞けばそれは丈夫で寒さにも強いという。

(じゃあ、代わりに買っていこうかな)

自分でも呆れるくらい植物を育てるのが下手なくせに、それでもベランダに緑が無いのが寂しくて、気がついたら財布を取り出したいた。

『どうせまた、枯らしちゃうくせに』

進藤が見たらきっとそう笑うだろうけれど、ぼくだってそうそう枯らしてばかりはいない。

「…今度はちゃんと育てられるさ」

増えると言われたそれでベランダを一杯にして、もう二度と不名誉な言われ方をされないようにするのだ。



家に帰るとぼくは早速パソコンで花のことを調べてみた。

聞き慣れない名前なのであるかなと思ったのだけれど、意外にもたくさんヒットして、ぼくはそれがオーストラリア原産の花だとか、他にも色々な種類があるのだとかいうことを知った。

そして…。

「…初」

思いがけない日本名がついていることもぼくは検索で知ったのだった。


Lechenaultia
日本名 初恋草


「こんな名前だったなんて」

幾つかある種類の中には青い花もある。「初恋」というのは、その色合いの切なさからついたのかもしれないとぼんやりと思いながら、同時にぼくは進藤には教えないでおこうとそう思った。


「知られたら一体何を言うか」


言うまでもなく想像がつく。


『なあなあ、おまえの初恋ってだれ?』

そう聞いてくるに決まっているのだ。


『おれの初恋は幼稚園の先生。おまえは?』

しかもそういう時の彼は結構しつこい。ぼくが満足する答えを言うまで、ずっと聞き続けるのに決まっているのだ。

『なー、教えろよ、誰?』

答えられず、真っ赤になる様を彼はきっと楽しむだろう。
そういう少し意地悪な所が進藤にはあるから。


「まあ…知られなければいいことだし」


花と言えばひまわりとチューリップしか知らない進藤には、教えさえしなければこの花の名前はわかるはずも無い。

「よかった…進藤が花オンチで」


そう思いほっと安堵したぼくは、やがてやってきた進藤にあっさりと「あ、初恋草」と言われて仰天したのだった。



2004年11月10日(水) (SS)recipe

セロリなんて人間の食うもんじゃないと思ってたと、そう言ったらあいつはおかしそうに目を細めた。

「キミは、結構好き嫌いが多いからね」

匂いのキツイ葉物はだめだし、口触りが悪い物も嫌い。まるで子どもみたいだと笑われてさすがにちょっとむっとする。

「なんだよう、だから今は食べる努力をしてるじゃんか」


向かい合い食べる夕餉の支度は、自分の方が早く終わったからとあいつがさっさと用意してしまった。


牛肉とセロリの煮物と、かぼちゃのガーリック炒めとまぐろのヌタ。わお、天ぷらがあるじゃんと歓声をあげたらそれは煮物に使ったセロリの葉を挙げたもので少し、いや、かなりがっかりした。


「げー、おれセロリ嫌い」

みそ汁にもおれの嫌いな茄子が入っているしと並んだ料理に思わず文句をたれてしまったら、とにかく黙って食べてみろと言われたのだった。


「ぼくはそんな、食べられないような味のものは出していない。文句を言うなら食べてからにしろ」

それは確かに最もなので、おそるおそる天ぷらから食べてみた。


セロリなんて匂いキツクてサラダに入ってる時は全部避けるのにさあと思いながら口に入れてみたら意外なことにおいしかった。


「…」
「おいしいだろう?」

思っていたのとは違って口当たりもよく香りも良くてとまどっていると、薄く笑ってあいつが言った。


「ほら、正直に言え。おいしいだろう?」
「う…不味くは…無い」

素直においしいと言うのも悔しくてついそんな口をきいてしまったら、あいつは呆れたようなため息をついて、それから今度は牛肉の煮物の方を勧めてきた。

「じゃあこっち。これもキミの嫌いな味では無いと思うよ」

いくら牛肉と一緒だからってさあと、これまた文句をたれながら食べたら悔しいことにこれもとても美味しくてそれを顔に出さないようにするのにおれは苦労してしまった。


ほろ苦い後味がふきのようで、薄く味付けした牛肉ととても合っている。
うん、好き。この味は好きだとそう思う。


「どうだ?」

これでも不味いと言うつもりかと、軽く睨んでおれを見るので、観念して口を開いた。

「ごめんなさい、降参です」


悔しいけど、めっちゃ美味いと言ったら途端にぱっとあいつは笑顔になった。


「そうか、よかった」

セロリが嫌いな人でも食べられる料理って芦原さんに教えてもらったんだけど、キミがおいしいと思うかどうかわからなかったからと、なんとなく聞き流しかけてふと箸を止める。


「これ、芦原サンに教わったの?」
「―うん?」

そうだけどそれが?と首を傾げあいつはえおれを見る。


「えーと、それってつまり、おれのために―わざわざ教わってきてくれたわけ?」

うんと言いかけてあいつはようやく気がついて口を閉ざした。

「違―」
「嘘、聞いたもんね」


セロリの嫌いなおれのために、おれが食べられるような料理をあいつは教わりに行ったのだと、それがなんだかバカみたいに嬉しかった。


「…だってキミは結構偏食だから。少しずつでもそういうのは直して行った方がいいと思って」

心なし目の下を赤く染めながら、あいつは恥ずかしそうに俯いて言った。


「大体キミは食わず嫌いなんだ。もう少し色々食べるようにすれば…」
「うん」

少し前、おれが非道い風邪をひいたときのことをあいつは思い出しているのだとなんとなくわかった。

あの時も不摂生だからとキツく怒られたのだけれど。


「食べて見れば結構食べられるものなんだから、これからはもっと苦手な物も食べるようにしろ」
「んー、でもどうかなあ。これは美味いけどさー他も美味いかどうかわかんないじゃん?」
「だからとりあえず食べてみ―」
「またおまえが作ってくれるなら」


遮るように言うとえ?と驚いたような顔をされた。

「おまえがまた、作ってくれるんんらおれなんでも食う」

だからまた、芦原さんに聞いてきてよ、おれのためにとそう言ったらあいつは箸を持ったまま真っ赤になった。


「どうしてそういう…」

恥ずかしいことを臆面も無く言うのだと、もそもそと口の中で言うのがすごくかわいいと思った。

「んー…いや、だってさ。おれ、マジで苦手なもん多いじゃん?でもきっとおまえの作ったものなら食べられると思うからさ」
「そ…そんな、そうそういつも甘やかしてなんか」
「ダメ?」

どうしてもダメ?今食ったこれ、すげー美味かったんだけどもと言ったらあいつは少し考えて、それから困ったように笑った。

「まったく…キミには負ける」

全部残さずに食べるならいいよと、言うので残すもんかと言い返してやった。

「おまえが作ってくれるんなら、ピーマンでもゴーヤでもなんでも食う、おれー♪」
「じゃあまた今度、芦原さんの時間があるときにでも教わってくるよ」


キミの気持ちが変わらないうちに、キミの嫌いなものばかりで料理を作ってやると。

少し赤味の残る頬であいつがイタズラっぽく笑うから、おれは愛しさでたまらなくなってしまい、無理矢理こちらを向かせると、料理より先にあいつを食ってしまったのだった。

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ヒカルに嫌いなものを食べさせるシリーズ?(嘘です)
第2弾。

こうしてアキラはどんどん料理が上手くなっていってしまうわけです。



2004年11月09日(火) (SS)Apple Crumble

買い物をするつもりでは無かったのに、ふと立ち寄ったスーパーでワゴンに盛られたりんごが、艶やかな紅でおいしそうで目が離せなくなった。

そういえば誰かさんは果物が苦手だったけれど、りんごは好きだったなと思った時には手が伸びて気がつけばたくさんカゴに放り込んでいた。

今、また二人とも忙しくなりつつあるし、寒くなってきた季節に、風邪を引かないように、とにかく彼にビタミンを摂らせたかったのだ。


カップラーメンが好きで、ハンバーガーが好きでフライドチキンが好き。

しかも最近は酒も結構飲むようになって、こんな食生活をしていたらそのうち進藤は成人病になってしまうのではないかと内心とても心配だったから。


「もっと野菜を食べろ」
「バランスよく食事を摂れ」
「果物もたまには―」

もはや口癖のようになっている言葉を思い出し、一人苦笑する。

ぼくは彼のお母さんではないし、彼の世話をする義務は無い。一人の人間として立派にとはいかないまでも生活している人間にいらぬ口を出すつもりも無い。

でも、それでも言いたくなってしまうのはぼくが彼を好きだから。


好きで好きでたまらなくて、こんなことを考えるのはおかしいのかもしれないけれど、誰よりも長生きして欲しいと思うからだ。

そのためだったら口うるさいと思われたってかまわないと、いつの間にかぼくは随分彼が好きになってしまったんだなあとしみじみと思った。

(いや、違うか)


最初からそのくらい好きなのだ。

他の人にだったら、例えその人がどんなに親しい人だとしてもぼくは言ったりしないから。


ずっとずっと元気でいて、ずっとずっとぼくの側にいてと。





りんごだけでやめておけばよかったのに、レジに行くまでの間に色々と特売品を見てしまい、結局ぼくは抱えきれないほどの大荷物を持ってスーパーを出るはめになってしまった。


「ティッシュは…やめておけばよかったかな」

牛肉の特売も台所洗剤も見ないふりをすれば良かったと、何よりも腕にずっしりと響くりんごの山に後悔しはじまった頃に、聞き慣れた声がした。


「なに?塔矢、なにそんなに買い込んできたんだよ」


ぼくより先に服を買いに行くと出かけて行った彼は、予想よりずっと早くに帰ってきたらしい。


「キミこそ…随分身軽じゃないか。秋物を買いに行ったんじゃなかったのか?」
「んー、そうなんだけど目的の店閉まってたから帰ってきた」
「閉まってたから?もっと他の店も見てくればよかったのに」
「いや、そこのジャケットだけが欲しかったからさ」

それが無いんなら意味ねーのと言いながら彼はぼくの横に並んだ。

「持つよ」
「いいよ」
「良くねーだろ、そんな荷物に埋もれるようにして歩いてるのに」

言って、ぼくが持っていた荷物をほとんどさらっていってしまった。

「半分でいいのに」
「んー、いや、だってこれなんかすげー重いし」
「だからだよ」

だから自分でも持つと言っているのにと、庇われるのは嫌いなのでそう言うと進藤はぼくの方を向いてにこっと笑った。

「いいじゃん、持たせとけよ」

だってこれ、全部おまえの愛だからおれが持ちたいんだもんと、言われてなんのことかわからなかった。

「なにバカなこと言って…」
「りんごだろ? においでわかる。おまえってさ、本当は柑橘系が好きなのに、おれのためにいつも酸っぱくないもの買ってくるのな」


重いのに、一人でしかもこんなにたくさんさと。


「や…安かったから」
「うん」
「本当に安かったからだってば」

本当は、買いすぎだとは自分でも思ったのだけれど。

「わかってるって。おれが好きなのが安かったから、だからたくさん食べさせたくてこんなに買ってきてくれたんだろ」

ありがとなと、ものすごく嬉しそうに笑われて、顔がかーっと赤く染まった。

「べ、別にっ、ぼくだってりんごは好きだし。こっ、この前芦原さんに簡単なりんごケーキの作り方を教えてもらったし」
「うん。りんごケーキもおれ好きー♪」

ああ、もう墓穴だと、思って更に顔が赤くなるのを進藤はただひたすらに幸せそうに眺めている。

「あ、余ったらジュースにして飲んでもいいし」
「ああ、美味いよな。おまえんとこジューサーあるし」


帰ったらご褒美にいつだったか作ってくれた、ほうれんそうとか色々入ってるやつをまた作ってよとねだるように言うので、「不味いと言っていたくせに」と言い返してやった。

ほうれんそうとセロリとにんじんにりんご。疲れていると言った彼につい、体にいいものをと野菜ばかり多いジュースを飲ませたら、ものすごい顔をして飲み干したのだけれど。

「んー、確かにあれ不味かったんだけどさ、よくよく考えたら体には良さそうだなって」
「また…調子のいい」
「いや、マジだって。あれもさ、慣れればおいしいような気もするし」

とにかくおれ、最近はちょっと食生活を見直してんのと言われて、雹でも降るのでは無いかと思った。


「それはまた…珍しい」
「だってさ、こんなにおれのこと愛して、心配してくれてる人がいるんだから、ちょっとは自分でも気をつけないと」


おれ長生きして、ずっと一生おまえを大事にするつもりなんだと言われて恥ずかしさのあまり返事が出来なかった。


「なあ、おれ偉い?」

茹でたように赤くなったぼくに、進藤は屈託なく聞いてくる。

「なあなあ、偉いって褒めてよ」
「りんご―」
「ん?」
「だったらりんご以外も食べられるようにならないと」


キミは結構好き嫌いがあるからと、そう言ったら進藤は途端に拗ねたような顔になった。

「ちぇーっ、わかりました。なんだよう、ちょっとは褒めてくれてもいいのに」


褒めてるよ。

心の中では褒めちぎっているよと。


思いながらも、とてもそんなことは言えなくて、でも家に帰ったらリクエスト通り野菜ジュースを作って、甘く飲みやすくなるようにりんごをたくさん入れてやろうとぼくは赤い顔で俯きながらそう思ったのだった。



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神様にこの人をぼくにくださってありがとうございますと、そう言いたくなるような、そんな出来事でした。という話です。なんのこっちゃ

あ、タイトルはリンゴの焼き菓子の名前です。話にはなんの関係もありませんがなんとなく響きが好きで(笑)



2004年11月06日(土) (SS)犬と躾

犬のように脇腹を舐めたらくすぐったいと笑った。

「なに?まだし足りなかった?」

なるらかな肌の、染み一つ無い上に舌を這わせると、表面が細かに震える。

「こら、何がしたいんだ、何が」


つい今し方したばかりなのに、まだしたいと言うのかと、くすくすと、でもそれほどはこまった様子でもなくあいつは笑う。


「そんなんじゃないけど、なんか美味そうだったから」


舐めさせてよ


食わせてよ


歯をたてさせてよと、囁きながら舌の動きを止めないでいたら、「あ」と小さく声が上がった。


「こら! 野良犬め」


恥ずかしかったのだろう、頬を微かに染めながらあいつが怒ったような顔をした。


「ちゃんと、しつけないとだめだな」
「しつけ?」
「そう、キミみたいにイタズラばっかりする野良犬は今のうちにちゃんと躾ないと」


睨んで、でもそれからふっと優しい顔になる。


「おいで」


何をされるのだろうかと思いながら見つめるおれに苦笑したように笑うと、あいつはおれの頭を抱き寄せて、それから髪をかき分けるようにしてそっとキスをしてくれたのだった。


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なんてことはない休日のワンシーンということで。



2004年11月03日(水) (SS)Get Wild

へらへらとした印象があるらしく、おれは結構飲み会やら宴会やらに呼ばれる。

若手の集まりにも引く手あまたで、でも別に人気があるからとか、年配者に可愛がられているとかいうことではなくて、扱いやすいということなんだろう。

男同士でも女が多くても適当に話を合わせられるし、ジジイの文句にも顔だけはにこやかに聞き流すことが出来るから。


軽いとか、いい加減とか人を呼びつける割に皆適当なことを言ってくれるけれど、別におれ自身はどうでもいいことだと思っていた。

酒は楽しければいいし、多少の嫌みや嫌がらせの類は酒のつまみみたいなもんだと思えばいい。

おれは飲むのは好きだし、ジジイの集まりもまるっきりプラスにならないことは無い。
ふとした折りに過去の対局やおもしろい話を聞かせてもらえるのでそれが楽しみで行っていたりする所もあるのだ。


ただ、塔矢だけはそれを怒るのだった。

「まったく、キミはいいように使われて。みんなキミの何も知らないくせにいかにもキミがいい加減なように言う」
「いや、でもおれ実際いい加減だし」

おれのことなのに自分に言われるよりも怒るので、おれはこんな時いつも嬉しくなってしまう。

「とにかく、あんまり自分を安売りするな」
「へいへいへいへい」

でもまあ、人畜無害と思われているのにもいいことはあるのだ。みんな気安く情報を漏らすし、今時の礼儀知らずのバカ者だと言われているのも行儀良くしなくていいからいい。

誰に何を言われても、大切なのはそんなことじゃないから。

(それに誰がなんて言っても、あいつはおれのこと買ってくれてるもんな)

だったらそれだけでいい。
それで十分と思うのだ。



思っていたの―だが。




ある日の飲み会で、もういい加減吹くほど飲まされた所で、ふとおれは聞き慣れた名前を聞いた。

二十人ほどの飲み会。いつの間にかばらけた座の反対側のテーブルの角で誰かが塔矢の話をしているのだ。

別にさして珍しいことでは無く、目立つ存在であるだけに、老い若いに関係なく、あいつの話題はよく出てくるのだが、今日のそれはいつものとは少し違っていた。

あいつが、緒方十段のお手つきであるという、くだらなくも非道く下世話な話をどうやらしているようなのだ。

「いや、だってさ一柳先生に飲みに連れて行ってもらった時に言ってたんだよ、塔矢のせがれはアレだからって」
「あー、あいつ女みたいだもんなあ」

緒方先生はあいつの親父の門下だし、生まれる前から家に出入りしていたそうだし、親しいと言えば確かに親しい。

女遊びは激しいものの、一向に身を固める気配が無い緒方先生と、女受けがいいくせに浮いた噂の一つも無いあいつは、格好のネタになったらしい。

「なんかさ、空いた対局室でヤってたって言うぜ?」
「あいつがひーひー言う声が聞こえたって記録係のやつがさぁ」

おれがあいつと親しいと知っているくせによく言うなこいつらと思っていたらふいに話をふられた。

「なあ、進藤。あいつマジでそう?」
「知らない。っつーか、んなわけないじゃん」


本当ははらわた煮えくりかえりそうだったけれど、荒立ててもなんだと流そうとした。

「えー?だっていかにもカマっぽいじゃんか」
「あいつ別にカマっぽくなんかないよ。顔は確かに綺麗だけど、そこらの下手な野郎より男らしいと思うし」
「またまたあ、ダチだからって隠さなくてもいいんだぜ」
「隠してなんかいねーって」

要は何がなんでもそういう方に持って行きたいのだなと、酔っぱらいは本当にしょうがないと思いつつ、いい加減うぜえとつぶやきながらおれは怒りを紛らわすために、ただひたすらにビールを飲んだ。


後五分、後五分したら抜けてとっとと帰ろうとそう思った時、信じられない言葉が耳に飛び込んできた。


「なー、試しに今度あいつヤってみっか?」
「おう、いいじゃん。何か口実つけて一人だけ残してさ」
「いっつも取り澄ました顔してやがるから、輪姦してやったらすっとするだろうなぁ」

しっ、進藤が聞いてるからと、でもすぐに別の声が遮った。

「大丈夫、大丈夫、あんな酔ってちゃ聞こえて無いって」

聞こえたとしても、こっちのが人数多いんだからと、実際その頃のおれは真っ赤な顔でへべれけで、とろんとした顔でグラスを持っていた。

「あんなカッコばっかのヤツ恐くなんかないって」


かなり酔ってもいたけれど―。


「おい―」


半分寝ているものと思っていたおれがいきなり立ち上がり、大声で怒鳴ったので、まわりにいたヤツらは皆驚いたような顔をした。

「なんだ、進藤、寝ぼけたのか?」
「いや…」
「びっくりさせんなよ、吐くんならトイレに―」

言いかけたヤツはおれがテーブル脇に置いてあった一升瓶を掴んだので言葉途中で口を閉ざした。

もう中身は入っていないけれど、瓶だけで十分重い。

その瓶を肩に担ぐように振り上げるとおれはまっすぐにテーブルの角に行った。

「ん?しんど…」

なんだ? なんか用かと尋ねられのを無視して、噂話をしていた中の一番手前にいたヤツの背中を足で思い切り蹴る。

「わっ、何すんだっ!」

叫んで数人立ち上がりかけたその真ん前で、おれは何も言わずに一升瓶をテーブルに叩きつけた。

ガシャーンと派手な音がしてガラスが飛び散る中、噂をしていた全員を捕まえて、一人一人頬に拳を叩き込んだ。

ふいをつかれたのと、酔っていたのとでほぼ全員無抵抗で、何があったかもよくわかっていないようだった。

「…な、なにす…」
「さっき、なんかなあ、くだらねぇこと言ってたみてぇだけど、もしマジでやったりしたらこんなもんじゃ済まねぇぞ」

よろよろと立ち上がるのを睨みつける。

「もしも、あいつになんかしたら全員、血反吐吐くまで殴ってやるから」
「って…なんの」

この期に及んでしらばっくれようとするバカがいたので、近くにあった大皿で頭を持ち上げたらもう誰も何も言わなくなった。

「ちょ…進藤…」
「いいな、わかったな!」

念を押すようにテーブルを蹴りあげると、はいと、蚊の鳴くような声で誰かが言った。

事情がわかった者もわからない者も、皆凍ったようにおれを見ていた。

「お客様」

カウンターの向こうから店員がやって来るのを同じよう睨みつけるとおれはひっかけてあった上着を取って座敷から降りた。

「お客様、店内での喧嘩は―」

確かめて見ると財布の中には万札が二枚入っていたので、それを言いかける胸元に押しつけるようにする。

「これで足りない分はあいつらが払うって言ってっから」

何十万でも搾り取ってやってと、それだけ言って店を出る。誰か追ってくるかなと思ったけれど、誰も追っては来なかった。



「なんだ…口ほどにも無いヤツらだなあ」

出てしばらく歩くうち、だんだんと笑いがこみあげてきた。

「…あいつら、ひでーバカ面してたなあ」


ざまあみろ、人のこと甘く見て阿呆なこと言ってるからああいう目にあうんだ。

(よりによって人の一番大事なものに手ぇ出そうとするから)


もしも懲りずにバカなことを言うようなら、今度こそあばらの数本でも折ってやろうと、そんなことを思いながらおれは携帯を取り出すとあいつに電話をかけた。

「あ、塔矢? ん、なんでもないんだけど、ちょっとおまえの声聞きたくなって―」






かなり派手にやったから、もしかしたら警察沙汰になるかもしれないなと思ったにも関わらず、何故か居酒屋での一件は呼び出しも受けず、噂にもならなかった。

「最近、キミの周りは静かだね」

あいつが気がついて言うくらい、和谷以外からの誘いというものは無くなっていた。

「んー?そうかな」
「そうだよ。この頃飲みに行ったりしないじゃないか」
「いいじゃん、その代わりおまえといる時間増えたんだし」
「それはそうだけど」

腑に落ちない顔で首を傾げるあいつが愛しい。


「もしかしてイジメにあっているのか?」
「まさか」

おまえじゃあるまいしと言うと後ろ頭をどつかれた。

(どっちかっていうとおれのがイジメたことになんのかな)


「単にみんな忙しくなったんだろ。予選始まったし」
「うん…まあそうだけど」


行き会い、目が合うと皆がそらす。

おれ自身は別にちっとも変わってないのだけれど、皆、怖じ気づいてしまったのだろう。

老いも若いも―。

あれ以来、おれを飲みに誘うものは誰一人いなくなったのだった。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

へらへらとしているヒカルは実はそういうふりをしているだけで酒も喧嘩もめっぽう強く、怒らすと誰よりも恐いのでしたと、そういう話です。

本当はもっと恐く書きたかったのですが、あんまり恐くなりませんでした。
残念。


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