| 2004年10月31日(日) |
(SS)Trick or Treat |
「いくらなんでもこれはあんまりなんじゃねぇ?」
向かい合う夕餉の席で、煮物に箸をつけながら進藤がぼそっとつぶやいた。
「どうせかぼちゃ食うならさー、煮物じゃなくてパイとかケーキとか」 「文句があるなら別に食べなくていいよ」
作らせておいて文句を言うなと言ってやったら一瞬黙り、でもまだ未練があるらしく、もそもそとかぼちゃを食べながらまだ言っている。
「だってさー、これじゃ冬至みたいじゃんかー。せっかくおれかぼちゃ買ってきたのにー」
ちょっと買い物に行くと言って出かけた進藤は、町中で何を見てきたものか戻ってきた時には手にごろりと丸いかぼちゃを一つ持っていたのだった。
これでなんか作ってと、だからせっかく煮物にして出してあげたのに。
「大体あれは日本の行事じゃないじゃないか」 「だけど楽しそうじゃんか。おれもやってみたかったんだって」 「いい年して、お菓子をせびりに近所を歩くつもりか? 警察に通報されるぞ」 「だからー、そうじゃなくて」
なんでもいいからハロウィンぽいことをおまえとしたかったんだってと、夕食が終わった後も言いながらごろごろと畳の上を転がっている。
「キミは子どもか?」 「いいよう、もう好きに言えよう」
すっかりいじけてしまっているのを見ていたらなんだかかわいそうになってしまった。
「じゃあ…やってあげようか?」 「えっ?」 「ハロウィン。パイやケーキはさすがに今からは作ってあげられないけど」
代わりにもう一つの方ならやってあげてもいい。
「もう一つって?」 「Trick or Treatの方」
イタズラかお菓子か。 お菓子か、イタズラか。
「って、さっき自分で警察に通報されるって」 「別に外でやれなんて言ってない」
ぼくに言えばいいんだと、そう言ったら進藤は更に困惑したような顔になってしまった。
「お菓子…くれんの?」 「いや、お菓子なんかあげないよ」
買ってないし、さっき言ったように作ってもあげない。
「じゃあ何くれんだよぅ」
からかわれていると思ったのか、拗ねたような口調になった進藤にぼくは笑いかけると自分自身を指さした。
「お菓子はあげられないけどね、甘いキスなら」
してあげてもいい。
「って…ええっ?マジ? えー????でも、じゃあイタズラの方は?」 「すればいい」
ぼくにイタズラをすればいいんだと、そう言ったら進藤はものすごい速度で首まで真っ赤になってしまった。
「どうする?どっちがいい?」
Trick or Treat
イタズラか、甘いキスをどうか私に―。
「Trick?」
ぶんぶんと進藤は首を横に振る。
「じゃあTreatの方?」
ぶんぶんとさっき以上の勢いで進藤は首を真横に振った。
「なんだ両方いらないのか? 無欲だなあ」と、そう言ったらこれにもまた進藤は首を横に振ったのだった。
「え?じゃあ結局どっち―」
言いかけたぼくの前に、ずいと乗り出して来ると進藤はちゅと照れたようにキスをした。
「両方」 「え?」 「おれ両方がいい」
言いながら、もう指はぼくのシャツにかかっている。
キスとイタズラ。
どちらを選ぶことも出来ないから両方欲しいと、ねだるように言うのに笑ってしまった。
「欲張りだなあ」 「だめ?」 「いや…」
いいよと言うと嬉しそうな顔に変わる。
「そんじゃ遠慮無く」
まずはキスからねとそう言われ、ぼくは我が儘な恋人に死ぬほど甘いキスを受けた後、今度は気を失うまでイタズラされたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
バカっぷるっちゅーことで。駆け込みハロウィンネタでした〜。
| 2004年10月30日(土) |
(SS)キミが帰ってくるまでに |
『ごめん、やっぱ寒いデス』
そんなメールを最初に、それから進藤は呆れるほどまめにメールを送ってきた。
『緒方センセイノリノリ』 『司会下手くそ』 『弁当冷えててマズイ』
おまえの作ったみそ汁飲みたい。あ、それよりも先におまえのいれてくれた紅茶飲みたい。
『ここの茶は緑も紅も殺人的に不味いデス』
って普段はコーヒーの方がいいとかたまにはココアがいいとか、文句ばっかり言った挙げ句、飲まないでそのまま冷ましてしまったりするくせに、こういう時ばかり甘えたように言ってくる。
『なんかあの、呪文みたいな茶が飲みてー』
呪文ってなんだとしばし考えて、もしかしてニルギリかと笑ってしまった。
一応飲む時にはその茶の名前も教えてやってはいたのだけれど、ほとんど聞き流しているものとばかり思っていた。
(少しは頭に残っていたんだ)
進藤にしては大したものだとそう思う。
『牛乳入れて砂糖もちょっと入れて、そんでもって生姜入れたヤツがいい』
ばかに注文が細かいけれど、ちゃんと仕事はやっているんだろうなと心配になってしまう。
『カップはあれがいいな。いつだったか先生が中国から送ってくれたヤツ』
と、カップの指定までしてきた時にはさすがに呆れてしまった。
「まったくもう、キミはぼくのことをなんだと思っているんだか」
都合のいい、家政婦か何かと間違えてはいないか?
「…少し怒ってやるか」
どうもぼくは彼に対して非常に甘いらしいから―。
「キミなんか、ティーバックで十分だ―っと」
打ち終えて、送信しようとした所でメールの着信音が響いた。
「…進藤だ」
またどんな我が儘をと、ため息をつきながら見てみる。
『だってさ、おまえがいれてくれたのが何より一番美味いから』
おれのためにおまえがいれてくれる。それより美味い茶なんかないもんなと、こんなこと言われたら怒るに怒れないではないか。
「もう…キミは狡い」
送るつもりだったメールを消して、代わりに「わかった」と返事を打つ。
「ちゃんと用意して待ってるから」
カップも部屋も暖めて、キミが帰ってくるのを待っているからと。
甘いと。
信じられないくらい自分は進藤に甘いとそんなことはわかっているけれど、でも喜ぶ顔を見たいと思うから。
「―お茶くらい何杯でも入れてあげるよ」
(だから寄り道しないで帰って来い)
打ち上げとか、誰に誘われても着いて行かないでまっすぐにぼくの所に帰って来いよと、ささやくように言って携帯にキスをする。
してしまってから一人、恥ずかしくなったりもしたけれど。
「―ちゃんと仕事をしてくること」
少しキツめにメールを書いて、送信してから上着を羽織る。
「お茶と…何かお菓子も買ってこようか?」
どうせ甘いのだったら、思い切り甘やかしてしまえと、頭の中で買うものを考えながらぼくは切れているニルギリを買い足すために外に出たのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
良妻VSバカ亭主。甘い言葉でやや亭主優勢。
久しぶりに晴れたからと開けていた窓を夜暗くなってからようやく閉めた。
涼しくて気持ちがいいと、思っていたのは三時頃までで、それを過ぎたら涼しいを通り越していきなり寒くなった。
「…こっちでこんなに寒いんだから向こうはもっと寒いんだろうな」
カーテンを閉める前、ふと見た空の満月の冴え冴えしさに、冬が近いんだなとそう思った。
「ざまを見ろ、人の言うことを聞かないから」
振り返った先にあるのはハンガーに吊された少しだけ生地の厚いシャツ。
ウールで肌触りのいいこのシャツは去年の誕生日に自分が進藤にプレゼントしたものだった。
「気に入ってるって言ってたくせに」
一泊二日で温泉地での仕事に行くことになった進藤に持って行けと言ったら進藤は嫌だと言ったのだった。
『だってそれまるっきり冬物じゃん』 『まだそんなに寒く無いし』 『荷物になるから嫌だ』
しまいには『おれ若いから大丈夫』などとふざけたことを言っていたっけ。
(あの温泉地の先に何があるかちょっと考えてみればわかることなのに)
地図ではほんの数センチの距離で、それはキロ数にしたらそこそこはあるが、そびえているのは日本アルプスなのだ。
夏場でも朝夕はかなり冷え込む有数の避暑地に、都会の秋仕様の服装で行くなんて本当にバカだとそう思う。
(どうしてああ、人の言うことを聞かないんだろう)
すったもんだの押し問答の末に、結局振り切るようにして進藤は行ってしまったけれど、今頃震えているのでは無いかと思う。
『レセプションの時はスーツだし』 『宿に行ったらどうせ浴衣だし』
だったら下着ぐらい厚手のを持って行けと言ったのにそれも聞く耳持たなかった。
格好悪いと、一緒に行く同年代の友人の目を気にしているのは明かで、でもそんな見栄など張らなければいいのにとため息が出る。
「…風邪ひいたって知らないぞ」
柔らかな手触りのシャツに触れながらぽつりとつぶやく。
「熱が出たって看病なんか絶対にしてやらないんだからな」
キミはいつも自分勝手でぼくの言うことなんか全然聞かなくて―。
(なのにぼくをこんなに心配させるんだから)
「バカだ」
バカでバカで、でも―。 悔しいけれど大好きだとそう思った。
「進藤…」
吊されたシャツに顔を寄せると、まだ腕を通していないはずなのにふわりと進藤の肌の匂いがしたような気がした。
「早く…帰って来い」
早く
早く
巣から落ちた雛みたいに凍えて、震えて帰ってくればいい。
(ごめんて謝っても…許してなんかやらないけど)
でも、代わりに温めてあげるから。 腕の中に抱き込んで、一晩中、ぼくでキミを温めてあげるから。
「―だから」
早く帰って来いと、ぼくはいない恋人のことを想いながらそっとシャツを抱きしめたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
寒い秋の夜に一人留守番のアキラさんです。 ヒカルは和谷くんや後輩たちへの見栄があるので着ぶくれにはなりたくなかったわけです。
良妻の言うことを聞かなかったバカ亭主は予想通り風邪をひいて、アキラさんに抱きしめの刑を受けるものと思われます。
| 2004年10月28日(木) |
(SS)最近は塔矢も見ているらしいトリ… |
これは絶対何か言ってくるなと思ったら、進藤はいきなりくるりとこちらを向いて言った。
「なあ、最高の口説き文句って言ったらさぁ」
やっぱあれじゃんと、人が口をふさぐ前につるりと言う。
「いつだったか、ガッコに押しかけてきておまえが言ったアレ、あの『キミはぼくと戦うために―』」
最後まで聞いていられなくて、後ろ頭を殴ったら、痛ーっ、なにすんだよと進藤は口をとがらせた。
「なんだよう、アレおれの心の『大事なもん入れ』にちゃんとしまってあんだからな」 「そんなもの仕舞わなくていいっ!」 「えー?でもおれアレも好きだったけどな。囲碁をやめないって報告に行った時のおまえの一言、『追って来い』あれってほとんどプロポーズ…」
こんなにばこばこと殴っていては脳細胞が随分死滅するのではないかと思うが、この脳天気男に喋らせておいたらこっちの方が恥ずかしさのあまり悶死してしまう。
「なんだよさっきから。おれ、おまえ語録作って時々思い出したりしてるのに」 「ぼく…語録?」 「そ、小学生の時のかわいーいおまえの『悔しいよ、なぜ対局者がぼくじゃないんだろう』から北斗杯の時のさぁ「無様な―」 「進藤っ!」
放っておくとずらずらと人が忘れたいと思っている言葉を思い出話と一緒に語り始めそうだったので今までの比ではなく強烈に殴って喋りを止めた。
痛かったのだろう、いてーっと叫んで頭をさするのにじろりと冷たい一瞥を与える。
「いいか?もし今後一度でも昔ぼくが言った言葉を口に出したりしたら別れるぞ」 「えー?」 「えーじゃない!それは確かにぼくは出逢った最初の時からキミのことしか見て来なかったけど、だからって」 「うんうん、出逢った最初からおれのことしか見てこなかったと」
ぶつぶつと口の中で繰り返されてぎょっとする。
「さんきゅ。これでおれの愛のメモリーまた一個増えたから♪」
最上級のいい笑顔で言われてもう何も言う気力が無くなってしまった。
「キミ語録を作ってやる…」
この恥ずかしさに耐えるためには相手にも同じだけダメージを与えなければとてもではないが立ち直れない。けれど…。
「えー?いいよ♪作って作って♪」
進藤は堪えた様子もなく、むしろ更に上機嫌になっているので、この戦いにぼくが勝つことはたぶんきっと永遠にないのかもしれない。
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性懲りもなくまたトリビアネタです。 ヒカルはアキラの言った一言一言を全部大事に覚えていそうです。それでもってそんなバカなことはしないと言いつつ、アキラの方も出逢った頃からのヒカルの言葉を大切に覚えていそうです。
まったくもって正論であるのだけれど、面と向かって言われた時はそれが腹立たしかったりもする。
おれのすること言うことに、大抵の場合、塔矢は余程のことが無ければ口出ししてくることは無くて、でも、言う時にはずばっと前置き無しに言ってくるのでこちらとしては逃げようが無い。
いつだったか言われたのは、まねごとで煙草を吸っていた時。
元々、三谷とかが吸っていて、おれも付き合いでなんとなく吸っていたのだけれど、ある日、二人で歩いていたらふいに塔矢が言ったのだ。
「煙草なんてやめた方がいい」
おれは塔矢の前で吸ったことは一度も無いし、見られるようなへまをした覚えも無い。
匂いが髪や体についていて、それでわかったのだとは思うのだけど、それにしたって碁会所に行けばみんな吸っているのだから、おれが吸ったとは限らないというのに。
でも、塔矢は間違いなく、おれが吸っているものとして言った。
「本当に好きでやめられないならかまわないけど、そうでないならやめた方がいいよ」と。
もし他のヤツに言われたのだったら、大きなお世話と突っぱねた所だけれど、言ったのは塔矢だったからおれはなんとなくもう吸えなくなってしまった。
だってあいつはまっすぐな目でいつもおれを見ているから。
次に言われたのは、スランプって言うのかわからないけれど、打っても打っても勝てなくなってしまい、それでちょっと生活が荒れた時。
久しぶりに会って一局打った後、ぽつりと思い出したように塔矢は言ったのだった。
「最近のキミは、あまり感心しない」
ぼくは今のキミはあまり好きではないよと、一体何様だおまえと、のど元まででかかったけれど、でもやっぱり言えなかった。
そう言った塔矢の声はきっぱりしていたけれど、とても悲しそうだったから。
その次も、そのまた次も、他の誰が言わなくても、他の誰が見逃してもあいつだけは見逃さずにストレートにおれに言ってくるのだった。
「進藤、ぼくはそれはあまり良くないことだと思う」と。
その度におれに出来ることはと言えば、ただ恥じること。 目の前に凛と立つ塔矢に、おれはひたすら恥じ入ることしかできない。
おまえは世間知らずだから。 みんなやっていることだから。
反論はいくらでも言うことは出来たけれど、それがどれもただの言い訳に過ぎないのは誰よりもおれが一番よくわかっていた。
あいつはあいつらしく立っている。
ただそれだけのために、でも戦っているのだということをおれは側にいて知っていたから。
楽に流れることをしない。 安易に汚れることをしない。
綺麗な 綺麗な 汚れの無い生き物。
時に非道く腹が立ち、時に汚してみたくもなるけれど。
でもおまえがいるから、きっとおれは腐らずに生きていけるのだとそう思う。
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常々よく思うことでもあります。
「…進藤」
「なに?」
暗闇の中、囁く。
キミに
会えて
良かった。
キミのことが
本当に
心から
大好き―。
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一年くらい前も書いたような…。 今日はドラマ見るぜドラマ!
そういう夢を見たことが無いわけでは無かったけれど、その日のそれは妙にリアルで、夢だとわかっていたけれど泣いてしまった。
泣いて、目を覚ました時もまだ泣いていたので、隣で寝ていた塔矢にめざとく見つけられてしまった。
「…どうしたんだ?」
何か悪い夢でもと言われて、ついこくりと頷いてしまう。
「大丈夫?キミが泣くなんて、余程嫌な夢だったんだね」
そういう夢は人に話してしまった方がいいんだよと言われて、でも言えなかった。
だって見たのは塔矢がおれを捨てて、どこかの女と結婚してしまう夢だったから。
『ごめんね、でもぼくたちは、きっとこうした方がいいんだよ』と、話す口調が非道くリアルで、だから胸が痛くて死にそうだった。
『キミもどうか幸せになって』
そんなのおまえがいなくて幸せになんかなれるはずがないのにと、女の手を取って式場に歩いていく背中を見ながら泣いている所で目が覚めたのだ。
我ながら女々しい。 でも痛いとこ突いてる。
おれはいつも心の底で、こいつが去って行くことを恐れているから―。
「…どうした?どんな夢だったんだ?」 「……」 「なに?聞こえないよ」
優しい声に促されて、ためらった後におれは言った。
「…ドラえもんが」 「え?」 「ドラえもんが未来に帰っちゃう夢」
たっぷり2分ほど黙った後であいつは呆れたように言った。
「…それで、そんな夢でキミはあんなに涙を流していたのか?」 「だって…すげー悲しかったんだよ」
だってやっぱり本当のことは言えないから。言ってしまったら本当になりそうで恐くて恐くて言えなかった。
「…だって、おれはすげえ、悲しかったんだよ」
さよならと背中を向けられて悲しかった。 もう一緒にいられないんだと思ったらそれがすごく切なかった。
あれがもし現実だったらおれはきっと死んでしまう。
「まあ夢は…夢の中の悲しみは普段感じる悲しみよりも、ずっと辛く感じるからね」
また思い出して泣き出しそうになったおれを塔矢はしばらく見つめ、それから大きくため息をついておれの体に腕をまわした。
「ドラえもんのかわりにはなれないけど、少なくともぼくはずっと一緒にいてあげるから」
それで我慢しろと、まるで子どもをあやすように、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
「…キミは本当に相変わらずわからないな」
でもキミのことが大好きだよと、優しい声で言う。
永遠にずっとキミのことが大好きだよと、どうして何も知らないくせにおれの一番欲しい言葉をちゃんと知っているんだろうと、それに余計切なくなりながらおれはつぶやいた。
「ん、ありがと。ごめんなガキみたいなこと言って」 「いやこちらこそ役不足でごめん」
おれにとってはドラえもんなんかよりおまえのが五百万倍必要なんだよと、すごくすごく言いたくて、でも嘘をついた手前言うことも出来ず、おれは黙って慰められるままになったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
若干1名様用デス。わはは。
夜中、喉が渇いたので台所に行き、コップに水を一杯ばかり飲んで戻った。
なるべく音をたてないように襖を閉めて、さてまた寝るかと思った時に投げ出された足に気がついたのだった。
(うわ、こいつ寝相悪ぃ)
一つ布団で眠っている塔矢の、片足だけが畳の上に大きくはみ出しているのだ。
いつもきっちりと乱れなく眠っているようなそんな印象があるので、こんなふうに寝乱れているのがおかしくて、ついまじまじと見てしまった。
「そういえばこいつ…暑がりだったっけ」
涼しげな見た目をしているくせに、布団で蒸したように暑くなるのは嫌いで、そういえばよく、行為の後などに片手だけはみ出させて寝ていることがあった。
今日もそういうことをしなかったわけではないので、ではやはり暑かったのだろう。
「おっかしーの」
くすくすと笑いながら、でも、はみ出した足から目が離せない。
闇の中に無防備に晒された足は、常よりも更に色が白く見えて、非道く、非道くなまめかしかった。
見ているうちにごくりと生唾が沸き、ぼんやりと色ぼけたことを考えてしまう。
(…内股に歯をたてたらどうだ?)
抱え上げ、足の指の先から舐ったらどうだろうとつい考えてしまう。
あの白い肌が柔らかくて美味いことを自分は誰よりもよく知っているから。
歯をたてた時にあげる声も、撓るであろう体の線もよく知っているからこそ、つい考えてしまう。
もう一度食らったらどうだろうか―とそこまで考えてゆるく頭を振る。
(ヤリ過ぎだっちゅーの)
夕べもう十二分にしたというのに、これ以上やったら明日に差し障りが出てしまう。自分はともかく塔矢は如実に疲労が体に出るので、対局前にそこまで体力を消費させ、疲れさせるのは嫌だった。
「…まったくもう、こんな美味そーなもんはみ出させておくから」
だからおれが欲情しちゃうんじゃんかと、ほとんど八つ当たり気味につぶやきながら、はみ出した足を布団の中にしまってやる。
「…なに?」
すると、それで目を覚ましてしまったらしい、塔矢が薄目を開けて聞いてきた。
「どうかした?進藤」 「ん? なんでもない。ちょっと布団かけ直しただけだから」 「…そう」
だったら早く布団に入らないと風邪をひくよと、眠たそうな目がおれを見る。
実際体が冷えてきてしまっていたので慌てて布団に入ると、あいつがいきなりぎゅっと抱きついてきた。
「冷たいじゃないか」
体が冷えていることを叱るように言われて、でもおまえは冷たいのが好きなんじゃんかとそう言い返してやる。
「暑いのは嫌いだって言ってたくせに」
だからわざわざ冷やしてやったんだと、そう言ったら「バカ」と笑われてしまった。
「…確かにぼくは暑いのは嫌いだけどね」
でも、キミの体の熱は好きなんだよと、とてもとても好きなんだと、それだけ言うと、そのまま安心したようにすうと塔矢は眠ってしまった。
「って…ちょっと、おい」
寝とぼけた塔矢ほどたちが悪いものは無い。さっきは微かな気配に目を覚ましたくせに、今度は軽く揺さぶったくらいでは全く目を覚まさないのだから。
「言い逃げかよ」
確かに今度はもう体のどこも布団からはみ出させるようなことはなくて、さっき言った言葉は本当なのだとそう思った。
暑いのは嫌いだけどおれの体の熱は好き。
はっきりと起きている時だったら、そんなこと絶対口に出したりしないくせに。
規則正しい呼吸の音と共に、胸元から漂ってくる塔矢の肌の香は甘いくせに凶悪だと思った。
「んなの、おれだって」
おれだっておまえの熱は大好きだと、大好きで大好きでもっと感じたくなってしまうのだと。
思っただけで体は火照り、いらぬ所が強ばりそうになってきたので、おれはそっと片足を布団からはみ出させると、行き場の無い熱を冷えた空気の中に逃がしたのだった。
| 2004年10月21日(木) |
(SS)愛の棘・胸の痛み |
「おまえのそういう所が大嫌い」
打たれた頬をさすりながら、まったくもって彼らしいことだと思った。
「なんでそういうこと言うの?そういうこと真顔で言えちゃうおまえってすげえ嫌」
祝日、いつものように泊まりに来た彼と昼頃に外に出たら、なんだかまわりは親子連れが多くて、初めて祝日だったということを思い出した。
「なんか、ひよこみたいのがたくさんいるなあ」
元々子どもが好きなタイプの進藤は、両親に手をひかれ、よたよたと歩いている子どもたちをながめながら目を細めて言った。
「なあ、なんかおもちゃみたいでカワイイと思わねぇ」 「おもちゃって言うのはどうかと思うけど、小さいしかわいいよね」
でもぼくはそれ以上の感情は沸き上がらない。
小さくてたよりなくて、かわいいと頭では思うけれど、でもだからどうという感情は起こらないのだ。
心の冷たい人間だとよく自分を思うのだけれど、本当の所、ぼくは子どもというのが嫌いなのかもしれない。
理屈が通じない、手間のかかる不完全な生き物と、でも例えば側にいるのだとしたら対等な生き物で無いとぼくは鬱陶しいと思ってしまうから。
「…ちょうどよかったのかもしれないな」
ついぽつっと胸に沸いた言葉をもらしてしまった。
「ん?なに」 「いや…キミとこういう関係になったのは良かったのかもしれないなと思って」
何が?と更に突っ込んでくるので、嫌がるだろうなと思いつつ思ったことを言ってみた。
「いや、ぼくはかわいいとは思うけど子どもや家庭を欲しいとは思わないみたいなんだ。打つことだけに集中したいし、何かに煩わされるのは嫌だし」
でも少なくともキミとは結婚もしないし、子どもを作ることも無いんだからそれで良かったのかもしれないなと、そう思ったのだと言ったら進藤は思い切り顔をしかめた。
「なんでそういう…」 「だって本当のことだし。でもキミには悪いと思ってるよ。キミは子どもが好きだものね」
本当は、ぼくと出逢わなければ進藤は普通に恋愛をして普通に家庭を持ったんだろう。
客観的に見て、愛情深い性質だから家族を大切にしたに違いない。
「別に子どもなんか…おれ…」 「なんだったらキミ、結婚したっていいんだよ。結婚して子どもを作って普通に家庭をもったらいいんだ」 「なんで?じゃあおまえとのことはどうすんの」 「愛人として時々会ってくれればいいよ」
今だって同じようなものじゃないかと言ったら、思い切り頬を殴られてしまったのだった。
「信じらんねぇ、なんでそういうこと言うのかな」 「だって本当のことだし、本当にそう思っているし」
キミがぼくを好きで居続けてくれるなら。 キミがぼくとの関係を絶たずにいてくれるなら、それでぼくは満足だから。
「日陰者で別にいいよ」 「…なんでそういう…」
そんなつもりは無かったけれどぼくは彼を泣かしてしまったのだった。
「おまえのそういうとこすげえ嫌い。大嫌い。愛人でいいなんて、日影者でいいだなんて、平気でそういうこと言えちゃう所が」 「でもぼくはこういう人間だよ。キミが嫌でもぼくはこうなんだから」
ぼくは嫌だけれどキミがぼくに耐えられないなら別れたっていいのだと、そう言った時、また殴られるかと思ったら。ただ抱きしめられた。
「お願いだからそういうこと言わないで。二度と絶対」
おれおまえしか好きじゃない。だからそんな悲しいことを平気な顔して言わないでと。
泣く彼をかわいそうだと思った。 こんなぼくを好きになって彼はかわいそうだなと。
恋は痛い。
愛は辛い。
痛くても辛くてもぼくは大丈夫だけれど、彼が傷つき泣くのだけが心から辛いとそう思った。
「いいものをあげる」
そう言われて小さな和紙の包みを手のひらに載せられた時、なんだかわからなくてつい「食い物?」と聞いてしまった。
「食べるなら食べてもいいけど、きっとお腹から芽が出るよ」
くすくすと笑われて、目の前で開かれた包みの中には、ころりと小さな粒が三つばかり入っていた。
「…なにこれ」
正露丸?それとも仁丹か何か?と聞いたら「花の種だよ」と苦笑しながら言われてしまった。
「花って」 「風船葛」
ふうせんかづらと、聞き慣れない名前を言われて首を傾げてしまった。
なにしろおれのボキャブラリの中には、花と言えばタンポポとひまわりとチューリップと桜くらいしか入っていないから。
「春蒔きの花でね、結構たくさん種が出来たからキミにと思って」 「おれにってなんで?」
おれは別に植物に興味なんかないし、まともに育てたことも無い。 どちらかというと枯らしてしまうのが専門なのに、なんでおれにくれるんだよと言ったら、あいつは何故か曖昧な笑みを浮かべた。
「…別に、枯らしてしまってもいいよ。さっきも言ったようにたくさん種が取れたから、お裾分けにと思っただけだし」
おもしろい種だからキミに見せたかっただけだしと言われてよくよく見てみると、その種はどれも一つずつハートに似た模様がついているのだった。
「わ、ほんとだ。かわいいじゃん」
現金だと言われればそれまでだけど、まるで描いたようなその模様がおもしろくて、おれの種への興味は一気にぐんとアップした。
「おっもしろいなあ」
ひっくりかえしおっくりかえし見るおれをおかしそうにあいつは見つめた。
「気に入った?」 「ん、こーゆー変なのおれ好きー♪」 「そう。だったらよかった」
結構簡単だから春になったら蒔いてごらん、花も葉もおもしろいよと言われて持ち帰ったおれは、その種がどんな植物になるのか見たくなって、ネットで早速調べてみた。
「ふ・う・せ・ん・か・づ・らと、あったあった」
ずらずらと出てきた検索結果をクリックして、葉や花をながめていると、ふと思いがけず、花言葉というものを見つけた。
「風船葛の花言葉? こんなのにも花言葉なんかあるんだ」
普段そういうのに全く興味は無いのだけれど、こんなおもしろい形してるんだから、花言葉も変なのではないかと思った。
(あいつ知ってっかな)
知らなかったら教えてやろう。種をもらったお礼にって、明日、茶にでも誘ってそれで教えてやろうっとと思いながらおれは上機嫌で画面をスクロールして書いてある文字を読んだ。
「えーと、なになに? 風船葛の花言葉は…」
『―あなたとともに』
あなたと―
―ともに?
えっと思ってその後、かーっと一気に顔が火のように熱くなった。
「え…嘘…マジ?」
こんな、まるで、だって。
「愛の告白みたいじゃん…」
そう思った瞬間、種をおれにくれた時のあいつの曖昧な笑みが脳裏に蘇った。
『いいものをあげる』 『キミにあげようと思って』
もしかしなくても、あれには深い意味があったのだろうか? ちゃんと花言葉を知っていて、それであいつはおれにこれをくれたんだろうか?
だったら…。 だったらそれって…。
(おれとずっと一緒にいたいってそういうこと?)
普段めったにそれっぽいことを言わないあいつだからこそ、こんなふうに遠回しに気持ちを伝えるというのはありそうなことだった。
おれが気づけばそれで良く、気がつかなくてもそれでいいと、そんなことをあいつは黙ってしそうだから。
「うわぁ…どうしよう、おれ」
そんな大事なものを非道く気軽にもらってしまったよと、ちょっと一人で慌てふためき、でもそんなことをしても仕方がないのでまた大人しくパソの前に戻った。
「あー、もうだってしょうがねーじゃん。おれ花言葉なんか知らねーし…」
おれはおまえみたいに風流じゃないし、色々なことに知識が深くないんだよと、つい種に向かって愚痴ってしまう。
「まったく…どうせ言うんならもっとはっきり言ってくれればいいのに」
でもとにかく、この種は絶対になくせないし、蒔いたら枯らすことも出来ないとそれだけはしっかりと肝に銘じた。
(枯らしたりしたら縁起悪いもんな)
滅多にもらえない愛の言葉。 次にもらえるのはいつになるのかわからないから。
大事に大事に育てるんだと、まだ蒔き時は半年以上も先なのに、おれは真っ赤に顔を火照らせながら、これ以上ないほど真剣に「風船葛」の育て方を調べ始めたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
風船葛(ふうせんかづら)の種を夏コミの時にお嫁ちゃんにもらいました。本当にすごくかわいい種なんですよ。
で、せっかくもらったものだから絶対に枯らしたくないと日差しがもう少し弱くなったら蒔きましょう(いや、ベランダの植物群が日々枯れていってしまってー)などと思っているうちにすっかり蒔き時を逃してしまったんですよね。
なのにそろそろ涼しくなったからとつい先日植えちまって、意気揚々と「蒔いたよーん」と報告して「春になってから蒔いた方が(TT)」と嘆かれてしまったのでした。わーんごめんよう。植物オンチなんだよ。
でも大切に育てるから〜ということで、ヒカルにも一緒に風船葛を育ててもらうことにしました。←おい。
いや、ヒカルもやりそうとか思って(−−:
花言葉は本当です。なんつーか種の模様と言い、花言葉と言い、らぶらぶなヒカアキちゃんにぴったりな花なんではと思いました。
| 2004年10月18日(月) |
(SS)奈瀬ちゃんの独り言 |
前々から、進藤は女がいるんじゃないかと思ってたのよね。
あれで結構女受けする顔だし、背もあるし、碁の方も若手の中じゃぴか2だし(ぴか1は塔矢)北斗杯に出てから囲碁関係以外の雑誌の取材なんかも受けるようになったから、結構ファンってヤツもついてるみたいだし。
なのに本人に聞いても、「女なんかいねーよ」の一言で、実際に誰かと歩いてる所すら見たことが無い。
一度飲み会した時にこっそり携帯を見てみたけど、履歴は和谷と塔矢ばっかりでカノジョらしい名前は一つも無かった。
「え?進藤?マジでいないと思うけど?」
一番親しい和谷に聞いてもこうなんだから、本当にいないのかもしれないけど、だーけーどー。
女の勘がいるって言うのよ。絶対恋人か、片思いにしても滅茶滅茶愛しちゃってるようなのが絶対いると思う。
だってあいつ、時々、なんだかすごく―すごく優しい表情をする時があるんだもん。 あれは絶対、好きなコのことを思い出しているんだと思うのよね!
で、いつか絶対相手の顔を拝んでやるわよーと思っていたらなんてことでしょう。千載一遇のチャーンス!
進藤ったら明らかに人待ち顔で、本屋の中で立ち読みなんかしてんの。
それも最初はちょっとえっちっぽい漫画雑誌なんか読んでたんだけど、ちょっと時計見たと思ったら慌てて別のコーナーに移ってさ、何読んでんのかと思ったら囲碁雑誌なの。
白々しいほどいい子ぶってんの。
こーれーはー!決定。もう間違い無し。あいつカノジョを待ってるんだ。
その証拠にほら、雑誌読むふりしながら時々顔上げてまわりちらちら見たりして。
足もそわそわ落ち着かないし、時々、はーっと息吐いたりして。
これが恋でなければなんだって言うの?
進藤あれではっきりと面食いだから、かなりレベルは高いと思うのよね。
高校生かな?
大学生ってのもアリだし、年上もイケるんだったらOLかもしれない。
実際囲碁教室に進藤目当てで来ている人がいることも噂で聞いて知ってるから。
そんなこと思ってたら、進藤がいきなりぴしっと背筋を伸ばした。 そわそわしていた足も落ち着き、それから顔を見た瞬間にわかってしまった。
(その子が来たんだ)
雑誌で隠れてると思っているからか、結構無防備に気持ちが顔に出たんだけど、進藤ったら見てるこっちが恥ずかしくなるくらい、甘ったるい幸せそうな笑みを顔に浮かべたのよ。
どれ?一体どの子?あのストライプのシャツ来た女の子?それともピコフリルのついたWWのワンピース着てさっき入って来た女の子?
「ごめん―待たせた?」 「いや、今来たばっか」
ぼんやりと妄想する耳に、進藤と誰かの話し声が聞こえた。
「本当にごめん。帰りがけに一柳先生に見つかっちゃって」 「あー、あの人話すと長そうだもんな」
楽しそうに笑う。さて相手はどんなオンナよ〜?
見るわよ〜こいつ〜♪
と、鼻息荒く棚の影からのぞいてみたらば。
「…塔矢じゃん」
もう頭にきちゃう、信じられない。
進藤ったらあーんなバカみたいにやけてるからてっきりカノジョだと思ったら、今日の待ち合わせの相手は塔矢だったのよ。
「じゃ、おまえんとこの碁会所行く?」 「でもキミ、おなか空いてるんじゃ」 「んーじゃあなんかメシでも食ってからにしようか」
まったく、あんな顔するのは恋人の前だけにしなさいよね!…ってあいつまだあの顔のまんま。
なに?
塔矢相手なのに、なんであんなに嬉しそうなわけ? っていうか、進藤と塔矢ってあんなに仲良かったの?
って…手なんかつないじゃってるし。
(いいなぁ)って、違うし!
えーと、なんだな。まだ二人ともガキだってことよね?…ね?
じっと見てる私の前を楽しそうに笑いながら歩いて行ってしまったけど。 それでもってなんであの二人見ていてこんなこと思うのかわからないけど。
わたしも
早く
恋人作ろう。
進藤と塔矢を見ていたら、何故かそんな気持ちになっちゃった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
奈瀬ちゃんの一人語りです。つーか、ほとんどストーカーのようですな。 私はあかりちゃんをよく話に出しますが、女の子としては奈瀬ちゃんの方が好きです。 番外編の話もよかった。
| 2004年10月14日(木) |
(SS)ハニー・ジンジャー・ホットミルク |
夜、なんとなく温かいものが飲みたくて、ミルクを温めていたら進藤がやってきた。
「なになに?なに作ってんの?」
後ろからのぞき込むようにして、ちょこんと肩に顎を乗せる。
「なにって…別に…ホットミルクだよ。もうこんな時間だし、カフェインの入っていないものが飲みたかったから」
さっきまで人を放ってゲームに夢中になっていたくせに、同じ部屋の中からぼくが消えると途端に気になってしまうらしい。
「おれも飲みたい」 「いいよ、じゃあ先にこれをあげるから」
少し甘やかし過ぎかなと思うけれど、こんなふうに子犬のようにまとわりついてくる進藤は実は嫌いでは無いので、言ってマグカップに湯気のたつミルクを注いで渡してやる。
「はい。熱いから気をつけて」 「えー?おまえも一緒に飲もうよ」 「だからこれから温めるから、キミはそれを先に―」
そうじゃなくて、これを一緒に飲もうって言ってんだよと、マグカップをずいと出されて少し驚く。
「進藤三段、今日は随分甘えてるんじゃないですか」 「いーじゃんか、そんなたくさん飲みたいわけじゃないし、今から温めてたら、おまえのが出来るころ、おれもう飲み終わっちゃってるし」
あーもーとにかくさ、一つのカップで二人で飲むってのがやりたいんだよと焦れたように言われて、とうとう我慢できなくて笑ってしまった。
「…しょうがないなあ」
でも実はぼくもそれほどたくさんを飲みたかったわけではないので、進藤の我が儘はちょうどいい申し出だったりしなくもない。
「おまえ先に飲んで」 「うん」
ふーと吹いてこくりと飲む。
「はい、今度はキミの番」
同じようにふーふーと吹いてそれから飲むのかなと思ったら、まだふーふーふーふーふーふーとずっと吹いている。
「もしかして…猫舌?」 「ち、違うよっ」
ただちょっと熱いのが苦手なんだと、それが所謂猫舌というものだと思うのだけど。
くすりと笑うと、バカにされたと思ったのか、かっと進藤の頬が赤く染まった。
「お、おまえ、ちょーしに乗って温めすぎなんだよ。おれ、膜が出来るほど温めるのはヤなんだって」 「そう?じゃあ少し冷めるまで待つ?」 「冷まして」
我が儘モード全開で、進藤は言った。
「おまえが温めすぎたんだから、おまえが冷まして」
そんなこと言われてもこれは元々はぼくが飲むつもりで温めたもので、ぼくは舌が焦げるほど熱い方が好きでと、言っても進藤は口を尖らせて言い張った。
「とーにーかーくー、おまえが冷ましてって言ってんの!」
余程笑われたのが悔しかったんだなと、でもこういう進藤もかわいいなあと思いつつ、じゃあと、ふうと吹いてやると「違う」と首を横に振られてしまった。
「え?だって冷ますって…」 「だから人肌にしてよ。おまえの口ん中で」
にっと笑って言われて、今度はかーっとこっちが赤くなる。
「だめ?」
でもそうしないとおれ飲めないな。飲まないでいると今度は冷たくなりすぎちゃうかもしれないよなと、脅しているのだかねだっているのかわからない口調で迫ってくる。
「ね…いいじゃん」 「そ、そんなの」
恥ずかしくて出来るかと思うのだけれど、いつまでも引く様子が無いので諦めて一口ミルクを口に含んだ。
途端に嬉しそうに進藤が笑って、ぼくに口づける。
唇を割って入ってきた舌に、ミルクが滴り顎を伝ってこぼれた。
「―――――――――――――――――っ」
引き離すようにして離れて、顎を拭うと、目の前の進藤は蜂蜜を舐めた熊のように満ち足りた顔で笑っていた。
「…まだ、全然冷めてなかったはずだぞ」 「そう?んなこと無かったけどなあ」 「いや、まだ熱かったよ」 「んー?でもちょうどよかったけど」
しれっと言う顔に、ようやく気がついた。
「猫舌っていうのは…嘘だったんだな!」
にやにやと嘘つきは幸せそうな顔で笑っている。
「ど、どうしてキミはいつもそう、くだらない嘘ばっかりつくんだっ!」 「別に嘘なんかついて無いって」
熱いのが苦手ってのは本当だからと、でも、飲めないわけじゃないけどなと、そう言って怒鳴りかける口を塞ぐように進藤はもう一度キスをしたのだった。
「おいしかった♪さんきゅ♪」
ミルクすげー甘かったと、砂糖も入れていないのに言うものだから、ぼくは益々赤くなり、せっかく温めたミルクをそれ以上飲むことが出来なくなってしまったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
そろそろホットミルクのおいしい季節ですねぇ。 あれ、膜が好きな人と嫌いな人に別れますよね。 みなさまはどちらでしょうか?
そういえば昔、ジンジャーミルクというものを凝って作っていた頃があります。 漫画に出てきたのかな。ちょっとだけしょうがの絞り汁を入れるんですよ。 でもなんか美味くできなくてショウガ臭いだけのミルクになってしまいました。
あ、タイトルこうですが、二人が飲んでいるのはごくフツーのホットミルクです。
| 2004年10月13日(水) |
(SS)パパがライバル7(番外・明子ママ編) |
行洋さんとの結婚を決めた時、親兄弟はもとより、普段付き合いの無い親戚や近所の人までが「おやめなさい」と言った。
そんな碁打ちなんか、まっとうな仕事じゃない、きちんとお勤めをして、毎月毎月お給料をもらってくる人と結婚するのが一番だと、苦労はもう決まりきったもののように言われたものだった。
「でも、私、あの方が好きなんです」
行洋さんとは、父の知り合いの社長さんが指導碁を受けているという縁で顔を合わせる機会があり、その時に二言、三言、話をしたのがきっかけだった。
無口で年は私よりも10以上上で、最初は叔父や兄と話していると言った気持ちだったのだけれど、ふとした折りに笑った顔が意外にも可愛くて、可愛いと思ったその瞬間に好きになっていたのだった。
人が人を好きになるのにどういう理屈があるのかはわからないけれど、なんというか落ち着いているくせにあどけない部分もある、少年のような人だなとそう思ったのだ。
また会いたい、できればその後もずっと会いたい。
思ったので翌日、早速社長さんにお願いして、自分も指導碁を受けられるよう手配したのだけれど、忙しい方だったらしく実際に指導碁を受けることが出来たのは一ヶ月ばかりたった頃のことだった。
あの日は確か雨の日で、傘をさしてきたにも関わらず、前髪が滴で濡れていた行洋さんは、私と会うなり頭を下げた。
「もっと早く、予定を入れたかったのですが、すみません」
最初なんのことかわからなくて、すぐにそれが一ヶ月かかったことへの謝りの言葉だと気がつく。
「いえ、私の方が無理を言ったんですから」 「でもこんなにお待たせしてしまって」
私のような小娘の気まぐれな頼みに、噂に聞けばもう九段とかいうかなり偉い方が無理矢理時間を作ってくれたのだと、それだけでもう嬉しかったのに、少しでも長く時間をとれるように小走りに来て、それで濡れてしまったのだとわかった時に心は決まった。
「あの―」 「いや、本当に申し訳ありません。早速始めましょうか」
碁盤を前にきちんと正座し直す行洋さんに、そんなに焦らなくてもいいですよとタオルを渡しながら、私は「よろしければ私と結婚してくださいませんか」とお願いをしたのだった。
以来、親兄弟に親戚近所、実を言えば行洋さん本人にも考え直すように諭され続けたこの成り行きの結果は、二年かけて、押しの一手で私の勝ちとなった。
大人しそうな顔をしていて情が強い。
未だ語りぐさになっている結婚の際の私の我の強さ。褒められたものではないのかもしれないが、それはどうやら困ったことに我が子にもしっかり伝わってしまったようなのだった―。
「ぼくは進藤と戦いたいんです」
大人しく、年の割には大人びた物わかりのいい子ども。
顔は私に似たけれど、あの落ち着きは行洋さんね♪と思っていたアキラさんが、ある時を境に激しく自己主張をするようになってから初めて自分に似ていることに気がついた。
「お父さんは進藤の実力を疑うんですか?」 「いや、そういうわけでは…」 「彼は荒削りですが、しっかりとした自分の碁を持っています。その上での挑戦はぼくは無謀だとは思わないのですが」 「いや、だからアキラ…私はそういうことを言っているわけでは」
父親に刃向かったことも無かった子が、殊、進藤さんの話題になると冷静さを失いくってかかる。かと思えば褒める言葉に我がことのように喜んだり。
険しくなったり緩んだり、見ていておかしくなるくらい、この頃のアキラさんは喜怒哀楽が激しい。
行洋さんはまだそれがどうしてそうなるのかよくわからないらしくて、アキラさんの反応にとまどっているようだけれど、自分に似ているだけに私の方にはすごくよくわかる。
何も持たなかった子が。 自分以外を必要としなかったあの子が、初めて心から必要とした方だから、だからあんなふうに情緒不安定になってしまうのだと。
好きで、好きで、好きで、好きで、自分で押さえられないくらい、相手を好きになってしまったから、あんなふうにわけがわからない反応になってしまうのだと。 見ているこちらは微笑ましいと思うけれど、きっとあれでは本人もかなり辛いに違いない。
「確かに、この所の進藤くんの活躍にはめざましいものがあるがね」
取りあえず、けなしてはいけないというのがわかったらしく、ぎこちなく行洋さんが褒めると、アキラさんは今度は微妙な顔になり、それから「でも、ぼくはあんなものだとは思っていませんよ」と言った。
「この間の王座戦の予選では、十分に勝てる流れだったのに、後半で痛い読み間違えをしていますし」 「そうだな、あれは相手の手拍子に乗ってしまったというか、後の読みが甘かったというか」 「読みは別に甘くは無かったと思います。ぼくでもあそこは迷ったと思いますよ」
褒めるかと思えばけなし、けなすかと思えば褒める。 じゃあ一体どうしたらいいのだと、困惑がはっきり行洋さんの顔に出ているのを見て、なんとなくおかしくなってしまった。
『碁打ちなんてまともな収入も無いくせに』 「行洋さんは九段と言って、囲碁をゃってらっしゃる方の中でも上の方にいらっしゃって、収入はそこいらのお勤めの方よりあるんですよ」
『だめだ、だめだ、そんなに金があるようじゃ女遊びをするに決まっている。そもそも碁打ちなんて博徒と同じだろう?家庭を大事にするとは思えない』 「あら、行洋さんはあのお年まで囲碁一筋で、そりゃあお付き合いなさった方もいらゃっしゃるみたいですけど、どなたも良い家のお嬢さんだったみたいですよ」
『だったら尚更だめだ、収入もあって、良縁に恵まれながらあの年まで結婚しなかったなんてどこかおかしな所があるに違いない』 「あの方は、碁に集中したかっただけなんです。根も葉もない中傷をされるようなら怒りますよ」
結婚が決まるまでの間に幾度となく親との間に繰り返された会話。 行洋さんを悪く言われるのがどうしても許せなくて、それまで逆らったことも無かった父にくってかかったものだけれど、逆に褒められても腹が立ったりもしたのだった。
『あの男、話せばなかなかいいヤツじゃないか。人に聞いてみたらなかなかの人格者らしいし、これは思わぬ良縁かもしれないな』 「そんな、お父様。今までさんざん行洋さんのことをけなしておいて!」
お着物の柄のことまで文句をつけていたくせにと、その頃にはもう自分でもわけがわからなくなってしまっていたような気がする。
とにかく大好きなあの人をわかって欲しいと、けれどそれを他人と分かち合うのも嫌だと、そんな複雑な気持ちでいたから。
「アキラさんは進藤さんのことがお好きなのよね?」
ひとしきり言い争った後、気まずい顔で黙り込む二人に茶を出してやりながら言うと、アキラさんは途端に真っ赤になった。
「そっ、そんなことは…」 「あら、じゃあお嫌いなの?」 「そ、そんなことも…ないですが」
しどろもどろになる姿に我が子ながら不器用で可愛いとそう思う。
「よろしいじゃないですか。好きな方がいらっしゃるということは人生が豊かになるということなんですから」
益々と赤くなるアキラさんに、行洋さんはやはりわからないらしく、きょとんとした顔をしている。
「ねぇあなた、そうですわよね」
私はあなたという方に出逢ったので、毎日張りのある幸せな日を過ごさせていただいていますものと、言うと行洋さんの頬が微かに赤味を帯びた。
「ま、まあそういうこともあるかもしれないな」 「だからアキラさんも進藤さんを大切になさったらいいわ」
出逢うべくして出逢った方なのでしょうからと、言ったらアキラさんは真っ赤な顔のまま、満面の笑みを浮かべた。
「―はい」
それは子どもの頃から変わらない、素直な笑みだった。
アキラさんが進藤さんのことをどんなふうに好きなのかはわからない。 もしかしたら、それで傷つくこともあるのかもしれない。
私よりも更に、アキラさんは気持ちが一途だとそう思うから。
(でも―)
それでも好きにならないよりは、絶対に好きになった方がいい。 何も夢中になるものを見つけられないよりは、気持ちを乱されるほどに誰かを好きになった方がいい。
「…本当に、あなたは私に似ているから」
苦労するわねと、つぶやくと、アキラさんの笑みは困ったような苦笑に変わっていった。
追って。
追って。
追って。
捕まえるまで追って、手に入れようとする。 私が昔、行洋さんを求めたように―。
こんな性質はもらわない方が良かったのにねと、でもそれはもうどうしようもないから。
(どうかアキラさんが幸せになりますように)
好きだという気持ちで身を滅ぼさないようにと、それだけを心から祈ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ギャグにしようと思ったのですが、なぜか思いの外真面目っぽい話になりました。 アキラはパパ似だけど情熱的な所はママ似だったんだよと。 ただそれだけの話でしたー。で、これも番外編です。
なんか母編は両方ともちょっと真面目っぽいですね(^^;なぜだ?
| 2004年10月12日(火) |
(SS)パパがライバル6(番外・ヒカル母編) |
男の子を産んだからには、いつか来るものと覚悟していた。
『母さんおれ最近、気になる子がいるんだけど』
いくらかわいくても所詮子どもは子ども、いつか可愛い恋人を見つけて離れていくものだと、だからいつその日が来ても慌てないように心の準備をしておこうとずっと思ってきた。
世間様でよく聞くような親離れ出来ない子、子離れ出来ない親と言った親子関係には絶対なりたくなかったからだ。
子どものことばかりにならないように夫婦で出かける時間を必ず作った。 近所とも親しく付き合い、学生時代からの友人とも繋がりを絶たなかった。
学校に上がるようになってからはパートにも出て、その先で出来た友人とフラワーアレンジメントの教室に通ったりするようにもなった。
夫婦仲は万全。 趣味もある。
もうこれでいつ「好きな子」が出来ても大丈夫。どんな子を連れて来ても醜い母親の嫉妬で意地悪をしたりしないわよ〜。
と
思って幾年月。残念ながら、未だに心構えを実戦する機会には恵まれていないのだった。
有り難いことなのかどうなのかわからないが、ヒカルはとにかく色恋沙汰にとんと縁のない子どもだったのだ。
ませた子だと、もう幼稚園から「婚約」とか「結婚の約束」などをしているというのに、その頃あの子がしていたことと言ったら、同じような悪たれと徒党を組んで園で飼っているアヒルを襲撃したり、脱走したりと、そんなことばっかりで、女の子のことなどまるっきり目に入っていなかった。
それは小学校に入ってからも同じで、たまにバレンタインにチョコをもらって来ることもあったけれど、ヒカルにとってそれは「甘い菓子をもらえるウレシイ日」というだけの認識で、だから当然ホワイトデーにお返しなどしたことも無かった。
「ヒカル、これくれたのってどんな子なの?」
水を向けても「えー?…女」というようなまったくもっておもしろみが無いというか精神年齢が幼い子どもだったのだった。
(まあ…あんまり小さいうちから好きだの嫌いだのと色ぼけていても困るし)
そういうのは中学で十分と、そんなことを思っていたら何やら囲碁など初めてしまい、ヒカルは前以上に色恋沙汰と縁がなくなってしまったのだった。
いっくらなんでもこの年まで、気になる女の子の一人もいないというのは異常なんじゃないだろうか?
毎日毎日部屋に閉じこもり、ぱちりぱちりと石を並べている。 真剣なのはいいのだけれど、普通このくらいの年になると性への興味も出てくるはずなのに、これで本当にいいのだろうかと。
息子に恋人を連れて来られることを恐れつつも、あまりにその気配が無いと逆に心配になるものだということを初めて知った。
(でも…あかりちゃんがいるし)
ヒカルには幼稚園の時から十年近く一緒の幼なじみがいる。どうやら彼女もヒカルのことを憎からず思っているらしいし、だったらいつかあかりちゃんがヒカルの恋人になるかもしれない。
(あの子は素直だし、かわいいし)
いきなり会ったことも無い同級生を連れて来られるよりは小さい頃から顔も性格もよく知っているあの子がヒカルの「好きな人」になってくれた方がずっといいと思った。
(お母さんもいい人だし、お付き合いが楽でいいわぁ)
あの子だったら心の準備なんかしなくても絶対に意地悪な姑になんかならないわぁと無駄な努力をしちゃったわねぇと気の早いことを思ったりもしたのだった。
それが―。
「あのね、あの子、最近お付き合いしてしいる人がいるみたいなの」
中学を卒業して半年ばかりたった所でそう彼女の母親に聞かされて、驚愕してしまった。
(ひ、ヒカルは?) (あかりちゃんヒカルはー??????)
逃げられたと、やっぱり高校にも行かないような男は嫌だったのかと少なからぬショックを受けてしまった。
(ヒカルだってきっとショックを受けるわ)
普段は素っ気なくしていたけれど、それでも自分に好意を示していた相手に去っていかれたとしたら、いくらあの鈍感息子でも落ち込むに違いないと、かなり気を遣って話題に出さないようにしたのに、数日後、あっさりとヒカルの方から言ってきたのだった。
「あ、そーそーそういえばあかりのヤツコイビトいるんだぜ」 「しっ―知ってたの?」 「うん?うん。この前、あいつのガッコに指導碁に行ったじゃん、そん時に紹介されたから」
けろりと言うヒカルの肩を掴み、がくがくと揺さぶってやりたくなった。
(あんた、あんたそれで平気なのぉぉぉぉぉぉ????)
「あ、あら…そう。でもヒカルちょっと寂しいんじゃないの?」 「なんで?」
きょとんと聞き返されて少しばかりたじろぐ。
「え?だ、だってあんたたちずっと一緒だったし…あなたあかりちゃんのこと好きだったんじゃないの?」 「えー?コクハクされたことはあっけどさあ」
と自分で買ってきたコーラを飲みながら、さらりとヒカルが言った言葉に凍り付く。
「え?…コクハク?って告白?」 「うん。卒業したすぐ後くらいかなあ。でもおれあいつのことそーゆーふうには思えないから断った」
きっぱりと言って、何の未練もなさそうに後はこれまた自分で買ってきたらしい漫画雑誌を眺め始めた。
「そう…」
断ったの。 断ったのあんた。
なんとなく脱力しながら思う。
バカだわ。あんな可愛い子に告白されて断るなんて―。
(子どもなんだ)
この子はまだ異性への興味よりも自分のやりたいことの方に興味が向いてしまう子どもなんだと、嵐のような葛藤の後にそう悟った。
(今は囲碁のことで頭が一杯なのよね)
だったらそれはそれできっといいのだ。確かに囲碁で身を立てるのは普通に進学して会社員になるのよりずっと大変そうだし、それまで女の子のことなんか考える暇なんかは本当に無いのかもしれない。
だったらそれを母親として暖かく見守っていけばいいのだと。
(一人息子だからって、ちょっと色々先走り過ぎちゃったわ)
いつか望むような位置まで上りつめ、精神的に余裕が出来た時に初めて異性に目が向くのだろう。
だからそれまで自分はゆっくりと、ヒカルが連れて来る人のことを待っていればいいのだ。
例えどんな人を連れて来ても動揺したり、頭ごなしに反対したりすることが無いように今まで以上に心の準備というものをしよう。
そう思ったらほっと気持ちが楽になった。
「…あんたに好きな人なんて、もう十年くらい出来そうにないわねぇ」
ため息をついて、夕食の支度を始めようと台所に向かいかけた時だった、ふいにぽつりとヒカルが言ったのだった。
「おれ好きなヤツいるけど?」
…え?
「もう何年も前から好きなヤツいるよ、おれ」
ってててててててて、はあ???????
ぱくぱくと口を開けるのに、にやっと笑ってヒカルは雑誌を閉じるとコーラを掴み、二階へ上がって行ってしまった。
「あ、安心して、すげー美人で可愛いから♪」
って、ヒカル――――――――――――――――――――――――!
その後、しつこく聞いたのがいけなかったのか、それともまだ両思いになっていなかったからかわからないけれど、ヒカルはその「好きなヤツ」の話をしてくれることは二度と無かった。
(…いつの間に)
我が息子ながら油断がならない。 でも、あのあかりちゃんをフッたほどの美人で可愛いお嬢さんならば、それこそ気合いを入れて心の準備をしなければならない。
絶対に絶対に意地悪な姑にならないようにと、いつか来るその日のことを思い、早速翌週から習い事を一つ追加したのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ヒカルサイドの話も書きたいなあと書いてみました。ヒカルサイドって言うか母親サイド(笑)番外編です。
これは今までのパパライエピソードよりちょっと前の話です。 ここで心構えを作っておいたので、後にアキラを連れて来られても美津子ママは倒れたりしなかったわけです。
ちょっとプロキシにかぶるかなというエピソードです。
| 2004年10月11日(月) |
(SS)パパがライバル5 |
一言で言ってしまえば、手のかからない子どもだった。
年を取ってから授かったので、天が情けでそうしてくれたのかはわからないが、夜泣きもせず、ぐずることも無い、ただひたすらによく眠る赤ん坊だった。
物心ついてからも、こう書くと親ばかと怒られてしまいそうではあるが、素直で利発で親を敬い慕ってくれる子で、同じ囲碁の道に進んでくれたことも嬉しく、なんていい息子だろうかと思った。
誰に見せても恥ずかしく無い、まさに親として思う、理想的な子ども。
ただ欲を言えば、普通の家庭の子どもがするように、親に対する反抗というものをほとんどせずに一足飛びで大人になってしまったような所があるので、それが少し物足りなかった。
慕ってくれるのは嬉しい。
でも、時には理不尽なことで突っかかってきたり、反抗してきて欲しかったと、同じ年頃の子を持つ棋士に言ったら「それは塔矢さん、バチが当りますよ」と窘めるように言われてしまった―。
「この佃煮は…進藤くんかね?」
夕餉の席、いつもの食事より小鉢が多いのに気がついて尋ねると、目の前でみそ汁を飲んでいたアキラがぴくりと眉を持ち上げた。
「そうです。進藤がお父さんにって」
よくわかりますねと、静かではあるものの、どことなくよそよそしさのある口調で言われ、何かいけないことを言ってしまったかと思う。
「いや、前にそういう話をしたことがあるのでね」 「ええ、進藤もそう言ってました」
だからわざわざ頼んで取り寄せたみたいですよと、抑揚の無い声で言うものだから、話題を変えることにした。
「彼は…ここの所、好調みたいだね」 「ええ、先日の予選でも九段を相手によく戦っていましたし」
その対局時は私はまだ中国にいたけれど、棋譜は送ってもらって見せてもらっていた。 少し荒っぽい所はあるものの、相変わらず力を感じさせるいい碁だと思った。
「しかし、あれでもう少し冷静さがあるといいんだがね」
おまえのようにと言ったつもりだったのだが、途端に目の前の息子の周りの温度が僅かばかり下がったような気がした。
「そうでしょうか? おとなしい打ち方をすれば、彼らしさが失われてつまらない碁になると思いますが」
押さえてはありながら、挑むような口調に少なからず驚く。
「飼い慣らされた虎になってしまっては彼の持ち味は失われてしまいますが、お父さんはその方がいいと思うんですか?」
「私は別に、型にはまった大人しい打ち方をした方がいいと言ったわけでは無い。ただ、彼は感情に左右される所が大きいようだから」
それが良い方に出ることもあれば悪い方に出ることもある。あれをもう少しコントロール出来るようになればいいのにと、そういうつもりで言ったのだとそう言ったら、アキラは目を見開いて、それから恥じたように俯いた。
「…すみません。生意気をいいました」
非を認めれば素直に謝りの言葉を口にする。こういう所は子どもの頃から変わっていないなと思う。
「まあいい…。友人のことを悪く言われたと思えば誰だって腹が立つだろう。ところでおまえもがんばっているようじゃないか」
息子の棋譜もまた、本人が送ってくるものの他に棋院からも送られて来ていたので全て目を通している。こちらもまた快調で、このまま行けば本因坊戦リーグ入りは確実だった。
口には出して言わないが親としての喜びが棋譜を見るたび沸き上がる。
快進撃を続ける進藤くんが若虎ならば、その先を行くアキラは天に昇る龍だなと思った。
「ただ…なんだ。最近おまえは少し大胆な打ち方をするようになったな」
素直に褒めるのもためらわれるので、思っていたことから先に口にする。
「荒っぽいというか、思い切ったというか、ここぞという時に賭のような打ち方をすることが増えてきているような気がする」
あれは私が教えた碁では無い。
「進藤くんの影響かな」と言ったら、またアキラのまわりの温度が目に見えて下がった。
「それは…ぼくに進藤が悪く影響しているということですか?」
ぼく本来の打ち方を損なっているということでしょうかとキツイ口調で尋ねられて「いや、そんなつもりではない」と慌てて打ち消す。
「良くなったと言ったんだ。おまえはどちらかと言えば計算しつくした冷静な碁を打つ。でももう少しそういうことを忘れてもいいんじゃないかと思っていたから」
良くなったと言ったのだと言ったら、冷え冷えとしていたまわりの空気が少し緩んだ。
「おまえたちは互いに良い影響を与え合っていると思うよ」と、そう言ったら照れくさそうににっこりと笑ったので、ほっとした気持ちになった。
まったくなんだと言うのだろうか?ここの所、アキラといるとこんな変な緊張が生じることがある。
今までずっと穏やかで親に逆らうということも無かったのに、この頃ははっきりと不機嫌を顔に出すようになったし、口答えもするようになった。
それは遅く来た成長の段階で、親としては喜ぶべきなのだろうけれど、どうにも、それがどういう時に発するのかわからなくて困ってしまう。
これは本当に世間一般で言う、反抗期というやつなのだろうか? どこの子どももこんなふうに、予想もつかないことで突っかかってくるものなのだろうか?
「あらぁ。この佃煮、おいしいわねぇ」
気まずい沈黙を破るようにのんびりとした口調で明子が言った。
「これ、神楽坂のお店のかしら。あそこのは少しお高いけど、食べるとはっきり味が違うのよねぇ」
どうにも不思議なことなのだが、妻は私たちの間に生じる緊張にはいつも全く気がつかないらしいのだ。
おっとりしているというかなんというか、けれどそれで空気が和んだのは確かだった。
「…進藤がわざわざ手配して手に入れてくれたんです」 「あらぁ、本当に進藤さんは気のつく人ね」
途端に目の前でぱっとアキラの表情が明るくなった。
「そうなんです。よく礼儀知らずとか言われてしまうんですが、進藤はあれでちゃんと人の話を聞いているし、気を配るタイプなんです。この前も―」
さっきまでの仏頂面はどこへやら、にこにこと嬉しそうに進藤くんのエピソードを話し始めた。
なるほど。
ここに来てようやく安定しないアキラの機嫌の原因がわかったような気がした。
たぶん、おそらく進藤くんなのだ。
利発で大人しいのはいいものの、小、中と友人の類を全く持たずに来たアキラに生まれて初めて出来た友人。
だから彼に関することに激しく反応してしまうんだろう。
そういえば囲碁以外、何にも執着しなかったアキラが初めて執着したのが進藤くんだった。
反発する部分も多いようだが、頻繁に会っているようだし、最近ではこの家に泊って行くことも多いという。
生まれて初めて友人を持って、しかもかなり身近な部分にまで立ち入らせている。
一生のライバルと思っているようだし、なるほどそんな相手のことを少しでもけなされたら腹が立つし、逆に褒められれば嬉しくもなるだろう。
(なるほど、なるほど)
アキラも人間として成長して、深みを増したのだと、そう思ったらこの不安定さもやっと喜ばしく思えてきた。
「確かに彼は意外に細やかで、思いやりがあるな」
ここは一つ進藤くんを褒めて、アキラを喜ばせてやろう。
「年長者を立てることもするし、かと言って堅苦しいわけでも無い」
最近には珍しく、気持ちのいい若者だと思うよと、言ってアキラの顔を見た。
「…お父さんは随分、進藤を買っているんですね」
…あれ?
「進藤もお父さんのことを尊敬してるって言ってましたよ」
なぜだろう、アキラの機嫌が急転直下で悪くなっている。
「アキ―」 「お父さんと進藤が親子だった方が良かったかもしれないですね」
ひんやりとした表情でにっこりと笑い、その後はむっつりと食事が終わるまで黙り込んでしまった。
なぜだ?何がいけなかったんだろう?
もそもそと飯を口に運びながら思う。
ちゃんと進藤くんを褒めたのに、どうしてアキラは怒ったのだろうか?
(…まったくもって子どもの心はわからない)
気まずい空気の中、反抗期を体験したいなどと思ったことを後悔しながら、子どもの頃のアキラは素直でかわいかったなあと心の底から思ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ということで、まだまだ続くよどこまでも。佃煮を持って帰った後のパパとアキラのやり取りです。 パパもヒカルと同じで明後日の方向のことを考えているのでアキラの反応が理解できません。
きっとこの後、部屋に帰って小さい頃のアキラの写真なんか見てしまったりするんでしょう。哀愁のパパです。
| 2004年10月10日(日) |
(SS)キミにあげる |
キミにあげる
全部あげる
ぼくの全てをあげるよ
変な夢を見て目覚めた朝、それが夢だとわかっているのに、心がざわついて仕方無かった。
「なに?今日はやたらとべたべたしてくるけど」
碁会所から帰る帰り道、進藤にそう言われてしまうほど態度に出ていたとすれば、自分で思うより夢のことを気にしていたからかもしれなかった。
「ん…別に何も。嫌だったのならもうしないよ」
見た夢は笑ってしまうほど単純で、ぼくは誰かにこう問われのだ。
『明日、あなたの恋人の進藤ヒカルが死ぬことになっています。あなたは彼どうしますか?』
何かのSFのSSにあったような、そんな鎮撫なシチュエーションで、でもぼくは真剣に相手に問うた。
『それは絶対に変えられないんですか?』 『どうしたら彼を助けることが出来るんですか?』
答えは非道く単純で、ぼくはその場で答えていた。
『じゃあ、お願いします。彼を助けてあげてください』
覚めてしまえば他愛無い。なんでこんな夢を見たのかなとも思うけれど、なんとなく彼の身辺が気になって離れることが出来なかったのだ。
「ごめん…しつこくして」 「え?や、違うって。逆、逆。すげーかわいいから嬉しいなって」
照れくさそうに笑う顔を見ていたら、愛しさがこみあげてたまらなくなった。
あれはただの夢だけれど、もし本当に彼の命が僅かなのだったら、ぼくは何をしても助けたいと思うだろう。
「なー、ちょっと寒くなってきたし、ラーメン食いに行かねえ? 駅の反対側においしーとこ見つけたんだ」 「いいよ、別に」
本当は蕎麦の方が好きだけれど、夢の影響か彼に対して寛大になっているのが自分でもわかった。
「…なんかすげー優しくて気持ちわりぃ。こんなおまえ優しいと、なんか不安になるよなあ」 「不安て?」
ドキリとして尋ねてみる。
「んー?別に何がってわけじゃないけどさー」
妙に間延びした声で進藤が言ったその瞬間、耳を塞ぐように大音響が響き渡り、気がついたら道路に伏していた。
何があったかわからなくて、呆然とした後に自分が彼に庇われるように彼の腕の中にいるのだということがわかった。
「しっ、進藤?」
何か起こった。 何か異常事態が起こったのだと、それは一足飛びに夢につながって、不安に揺さぶられながら呼びかける。
「進藤っ」
ほんの1、2秒だったのだろうけれど返事がかえるまで死ぬほど長く感じた。
「あーっ…痛ってー…。おまえ大丈夫だった?」
不機嫌な声に、ほっと体中の力が抜けるような気がした。
歩いていた工事中のビルの前、建築中のその壁面が崩れてきたのだと知ったのは、もう数分後のことだった。
「…びっくりしたぁ。なんか黒い影みたいなのが上から降ってきたから、おまえ抱いてよけてさー」 「ぼくは気がつかなかった」 「だっておまえ、おれの方見てたじゃん。壁を背にしてたからわかんなかったんだよ」
あーよかった、ほんとによかったと繰り返している進藤と、まだ呆然としているぼくは、あっという間に人垣の中になり、大丈夫だと言ったのに救急車で搬送されることになったのだった。
後で聞いた所によるとコンクリの固まりは百キロ以上あったという。避けられて本当に幸運だと思った。
「なんか今日、さんざんだったなあ」
病院での検査と事情聴取が終わり、解放されたのは夜中。病院を出てすぐに進藤は言った。
「どうする?食欲ある?」
正直言ってびっくりしたあまり空腹感は飛んでしまっていたけれど、彼の方は食べたいのだろうなと思い、「ある」と答える。
「何か食べて帰ろう。…でも、験が悪いからラーメンじゃないものがいい」 「うん」
じゃあどこかファミレスでもと、二人並んで歩き出した時、ふと途中で止って進藤がぼくを抱きしめた。
「なっ、なにするんだっ」 「…大丈夫だよな?おまえどこもけがしてないよな?」
たった今検査を受けて、かすり傷だけと太鼓判を押されたというのに、どうしてこんなに心配するのだろう?
「キミこそ大丈夫か?ぼくを庇って頭を打ったりしていない?」 「へーき。全然なんにも当らなかったから。…おまえ無事で本当に良かった」 「キミの方が…本当にキミが無事で良かった」
ぬくもりに心からほっとしてそうつぶやく。
よかった。
あんな夢なんか見たから―。
ぽつりと無意識にこぼした言葉に、進藤がぎょっとしたような声をあげた。
「なに?」 「いや、昨日変な夢を見てね。…もしかしたら予知夢って言うのかもしれないなって」 「それ…どんな夢?」 「キミが…死ぬ運命にあるとしたらどうするって人に聞かれる夢」 「それで…おまえなんて答えたの?」 「…教えない」
もし正直に言ったなら、きっと彼は怒るから。例え夢だからと言ったとしてもきっととても怒る。
「その夢…おれも見たかもしんない」
おれのは逆でおまえが死ぬ運命にあるとしたらどうするって聞かれたと、きゅうっと強く抱きしめながら進藤が言った。
「…キミはなんて答えたの?」 「教えない」
おまえ怒るから教えないと、言われてああと思った。彼はきっとぼくと同じ答えをしたのだ。
もし彼が死ぬ運命にあるとしたら、助けてください。 自分の命と引き替えてもかまわないから―。
ぼくはそう答え、きっと彼もそう答えたのだと思ったら涙が出そうになった。
「ま…夢だけどさ」 「うん、ただの夢だ」
それ以上、触れるのは怖くてもう話題にはしなかったけれど、ずっとその日繋いでいた手はどちらも痛いほど強い力で握られていた。
ぼくがキミを救った。 キミがぼくを救った。
ぼくたとは互いに互いを守ったのかもしれないと、そう思ったら胸が熱くなり、切なくてたまらなくなった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
ちょっと寓話的? あまり深く考えずさらーっと読んでください。
ただなんていうか、こういう選択の時にヒカル、1秒も迷わなさそうだなと思って。 「え?じゃああいつ助けてください」
あまりの迷いの無さに「え?いいの?もう少し考えたら」と注意されちゃったりして。
「いーったら、いいの!おれの命よりあいつの命のが百億倍も大切だもん」とか言いそうです。ついでにのろけたり。
「碁が強くてさー、キレイでさー、ちょっとキツイとこあるけど二人っきりの時は可愛くてさ」
死に神もきっと閉口することでしょう。
「あ、写真見る(照れ照れ)?隠し撮りなんだけど」とかやって、ええいもう鬱陶しい地上に帰って一生やってろとか言われそうです(笑)
あ、ヒカルのことばっかり書いちゃったけど、アキラも同様です。市河さんにべらべらとヒカル自慢をした時のように「進藤は海外の囲碁界でも注目されていて」とか死に神に「ぼくの進藤」自慢をしてしまいそうです(笑)
| 2004年10月09日(土) |
(SS)パパがライバル4 |
「これ、先生にあげて」
待ち合わせたカフェで持って行った包みを手渡したら、あいつの反応が一瞬止った。
「…なに?」 「ん?牡蠣の佃煮。道玄坂のおっさんがオイシイとこ知ってるって言うんで買ってきてもらったん」
今、あいつの家には数ヶ月ぶりくらいに先生たちが帰ってきていて、だから食べてもらおうと手配をしたのだけれど。
「…なんで?」 「え?なんでって、前仕事で一緒になった時に、佃煮が好きだって先生言ってたからさ。それにおまえもずっと前、どこだかに行った時にそう言って土産に買ってたじゃん」
お父さんは佃煮が好きなんだよと、こうなごと、あさりときゃらぶきとと、楽しそうに言ってたくさん買い込んでいたのでそれでよく覚えているのだけれど。
「…そう、ありがとう。父に渡しておくよ」
きっと喜ぶと思うと、言うのはいいけどおまえのその顔はなんだと思う。
「なに? なんでそんなムカっちゃってるわけ?」
喧嘩なんかは日常茶飯事で、言い争いもいつもで、話して1時間後ならこんな態度に出るのもわかる。でも今日はまだ会って数分しかたっていないではないか。
「なんかおれ…おまえの気に障るようなことした?」 「別に」 「今日はおれ、時間にも遅れてないし、むさ苦しい格好もしてないし、別に怒られるような筋合いは無いぞ」 「だから別に怒ってなんかいないって」
そう言いつつ、自分の注文したカプチーノに黙って口をつけた。
なんて言うか、絶対確実に怒ってる。 普段あんまり表情が出ないって言われているこいつだけど、おれの前では違うし、会ってこんなに無表情なことは無い。
だから今、こんな取り澄ました顔でよそよそしく喋るとしたらそれは間違いなく不機嫌になっているってことなのだけれど、その原因がわからない。
「なー、おれこんなんヤなんだけど」
せっかく会っているのにこれではちっとも楽しくない。
「じゃあ、帰る?別にぼくはそれでもいいけど」
それでもいいけどと来たもんだ。つい1時間ほど前のメールでは「早く会いたい」なんて可愛いことを書いてきていたくせに。
「あのさぁ…いつまでもんな顔してると、おれマジで帰るけど」
塔矢は可愛い、可愛くて可愛くて仕方が無い。でもだからって、こんな理由も無く怒られるのは嫌だ。
「いいの?そんでもっておれ、こーゆー仕打ちうけたら、もうまたしばらくおまえに会わないぞ」
メールもしないし電話もしない、おまえの所の碁会所なんか行かないで道玄坂に入り浸りだと言ったら、初めてあいつの表情が揺らいだ。
「それは…ヤだ」 「え?」
それは嫌だと小さな声で俯きながら言う。
「じゃあ、ちゃんと話せよ。なんでそんないきなし機嫌悪くしたのか」 「別に、何も」 「嘘だね」
カフェに入って姿を見つけて、手を振った所までは笑顔だった。 おれを見て、ぱーっと花が咲いたみたいに笑ってくれたのに、それが凍ったのは、席についておれが包みを渡した時―。
そこまで考えてやっと気がついた。
「あー…」 「な、なんだ?」 「いや、なんとなく…わかった」
もしかして、もしかしなくてもこいつ、焼き餅を焼いたんじゃないだろうか? 小さい頃から盲目的に父親を尊敬して、慕ってきたこいつだから、ここの所おれが先生と個人的に会ったり、話をしたりしたのに焼き餅を焼いたに違いない。
「まーったく、重度のファザコンだ」
おれの言葉にあいつは「えっ」と顔を上げた。
「別に塔矢先生取ったりしないよ。おまえの親父だし、そりゃ尊敬してるけど」
おれ下心ありありでこーゆーことしてるんだしと佃煮の包みを指でつつきながら言うと、あいつの表情から拭ったように無表情が無くなった。
「え? それって…どういう」 「えー? だってそりゃ、恋人の親には覚え良くいて欲しいもん。大事な大事な大事な一人息子をもらっちゃうんだからさー、今のうちから点数稼いでおかないと」
だから別に焼き餅焼いて、おれにライバル視なんかしなくていいからと言ったら、あいつはなぜか、かーっと真っ赤になってしまった。
「安心した?」
なんとなく反応が変だと思いながら聞いてみると、あいつは益々真っ赤になって、それからなんだか泣きそうな笑いそうな変な顔になり、「…バカ」と一言、つぶやくように言ったのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
最後の「バカ」の意味がヒカルには永久にわかりません。 アキラが焼き餅を焼いたのは、ファザコンだからではなく、ヒカルがわざわざ父親に佃煮を用意したからです。
キミはぼくだけを見てるんじゃ無かったのかみたいな、非常に可愛らしい嫉妬があるのですが、そんなことを言うくらいなら舌を噛んで死んだ方がましだと思っているのでアキラはヒカルに真実を告げません。
依然として微妙な三角?関係です。
愛してるって言ったっけ?
キミのことを愛してるってぼくはちゃんとキミに言ったんだろうか?
体中が熱くて、もう何も考えられなくて。
自分で自分を支えることも出来なくて。
キミの首に腕をまわし、かじりつくようにしながら、浮いた意識で思う。
キミを好きだって
ぼくはちゃんと言っただろうか?
こんなに
こんなにも好きなのに
愛してるって
大好きだよって
キミにぼくはちゃんと―。
「…あっ」 「気持ちイイ?塔矢」
うん
うんとうなずきながら涙がこぼれるのがわかる。
良くなりすぎてしまうと、もう感情がちっともコントロールできなくて、すごく愛しくて幸せなのに、悲しいのに近いような気持ちになってしまう。
悲しくて (愛しくて)
切なくて (幸せで)
苦しくて (嬉しくて)
胸が塞がる。
こみ上げてくる感情があまりにも大きくて、涙がこぼれてしまうのをどうしても止めることが出来ないから、せめてわかって欲しくて必死に言葉を吐き出そうとする。
好きだよ
キミが好きだよ
大好きだから
誰よりも好きだから
愛してる
細々としたパズルのような言葉は、荒い息に飲み込まれて、果たして彼の耳に届いているのかわからなかったけれど。
「好き―進藤っ」
到達する前のとろけそうな一瞬。
好き
大好きだよと叫ぶぼくを彼はいつも更に激しく突き上げて、あられもない声をあげさせながら、ぼくの中に放つのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
あんま意味はありませんのでそのままさらりと。
| 2004年10月05日(火) |
(SS)部屋番号は707 |
電話口で教えられた通りに郵便受けの中にある鍵を取り出し、指定された部屋にエレベーターで上がった。
EDロックの蓋を持ち上げ、メモしてあった暗証番号を打ち込むと、かちりと音がしてロックが解除される。
「どれ、どんなん?見せて?」
別について来なくていいと行ったのに無理やりついてきた進藤は、ぼくの肩越しに暗い室内をのぞくと、押しのけるように中に入って行った。
「へー、なかなかいい部屋じゃん」
連続で来た台風の後、傷んだ軒から雨が漏るようになったぼくの部屋は改築を余技なくされて、仕方なく一ヶ月あまり家を出ることになったのだ。
最初はホテルでもと思ったけれど、それも贅沢に思え、期間も長いのだからと初めてマンスリーマンションというものを借りてみた。
せっかくの機会なんだから、そのまま家を出ちまえばいいのにと、自分はもうとっくにJRの沿線に部屋を借りて一人暮らしをしている進藤は、ここぞとばかりに自分と住もうと主張したのだった。
「でも、結局、お父さんたちは海外と行ったり来たりだし、誰かが留守番をしないとね」
出てしまっても別に良かったのだけれど、進藤と暮らすのにぼくにはまだ、ためらいがある。
例え入り浸りになろうとも、それぞれに家があればまだ逃げる場所が出来る。
けれどもし共に暮らすようになってしまったら、今目をつぶり、考えないようにしていることも真剣に考えなければいけなくなってくる。
自分のこと。
彼のこと。
家族や、将来のことも。
もしも一緒に暮らしてしまったら、もう後戻りは出来ず、それが怖くてぼくはまだ彼と暮らすことが出来ずにいるのだった。
「まあ、しゃーないけどさ、先生たちが落ち着いたら、そしたらおれんこともちょっと考えてくれよな」
ぼくにためらいがあることを進藤はちゃんとわかっているので、敢えてそれ以上の追求は無い。
「狭いけど、全部揃ってんじゃん。冷蔵庫にー、電子レンジにー、炊飯ジャーにポットに、食器に…」 「それは…ホテルじゃないんだから」
八畳一間のワンルームには、生活のあらゆるものがぎゅっと凝縮されて詰めこまれているようだった。
「うん、駅から近いわりに静かだし、いーんじゃねーの?ここ」
工事が始まる直前まで、ホテルとどっちにするか迷って決めた物件。 進藤の住んでいる町とは棋院を挟んで逆の方向だったけれど、同じ沿線沿いということで、なんとなく安心感がある。
「風呂は…っと、ユニットバスか。まあ、ベッドもふかふかだし、結構快適だよな」 「キミが住むわけじゃないんだから」
部屋の中のドアというドアを開けて中を確かめていた進藤は、全部チェックし終わると、やっと落ち着いたのか、ベッドの上に腰掛けた。
「まあ、OK。合格デス」 「なにが?」 「何がって、大事な恋人が一ヶ月暮らすのに、安全か危険かチェック入れてたんじゃないか」
拗ねたように口をとがらせると、進藤は気分を変えるように、メシでも食いに行こうかとぼくに言った。
「さっき駅前に色々店、あったじゃん」 「あったけど、もう時間が。…キミ、まさか泊って行くつもりじゃないだろうな」
もう時間は夜の12時を過ぎていて、なのにこれから食事をしたら、帰るのは終電ぎりぎりになってしまうではないか。
「なんで?だめ?」 「見てわかってると思うけど、ベッドはシングルだし、キミは明日は手合いがあるし」 「そんなんわかってるよう」
床に寝るからそんでも泊めてくんないのと言うのに、「明日でも明後日でもまた改めて泊りに来ればいい」と言う。
「対局にはベストな体調で望んで欲しいんだよ。こんな固い床で寝たら体が軋む。集中力をそがれることになるよ」 「おれ、別にそんなんへーきだけど」 「進藤っ!」
そういうわからないことを言うと、永久に出入り禁止にするぞと脅したら、渋々進藤は「帰るよ」と言った。
「でも、その代わり、明日来るかんな。その時は追い出すなよ」 「追い出さないよ、あんまり邪険にして、下に座り込まれでもしたらそっちの方が困る」
キミならそのくらいしそうだからと言ったら進藤は「そんなことしねぇって」と益々拗ねたような顔になって言った。
「じゃあ、今日は素直に帰れ」 「メシ無し?」 「食べて行ったら時間が無くなるだろう?」
仕方ないとため息をつきながら、でもさすがに子どもでは無いので進藤はそれ以上の駄々はこねなかった。
「駅まで送るから」
財布と鍵だけを持って部屋を出る。出る間際、電気を消そうとしたぼくの手を進藤が軽く押さえた。
「初めての場所で真っ暗なとこに帰るのって、なんだかすげえ寂しくなるからさ…つけておけよ」
妙に実感がこもっているのは、自分の体験に基づいたものなのかもしれなかった。
「わかった」
生憎の小雨が降る町の中、ほとんど人通りが無い道をなんとなく無口で二人、歩く。
駅まではすぐに着いてしまい、そこでぼくは進藤と別れた。
ごねるかなと思ったのに、進藤はあっさりと改札をくぐりいなくなってしまい、矛盾していると思いつつ、ぼくはそれに少しばかり寂しさを覚えた。
(あんなに泊りたいって言っていたくせに)
もう少し名残惜しそうにしろと、つぶやいている自分に気がつき苦笑する。
ゆっくりと歩いて来た道を戻り、さっきと同じ手順でロックを解除して部屋に入る。
へー、結構いいじゃんかと、がらんとした部屋の中に彼の声が残っているようで、途端に非道く寂しくなった。
「これで暗かったら…きっともっと…」
実家でも一人暮らしで、だから寂しく感じるということは無いと思っていた。 でもあそこは生まれてからずっと住んだ自分の家で、そこを離れて暮らすということは全く別のことなのだということをぼくは今初めて知ったのだった。
「だから明かりをつけておけって言ったのか」
進藤のくせにと、それが少し悔しくもある。
「まったく…こんな年で一人が寂しいだなんて」
防音がいいらしく、周囲の音が何も聞こえないのも余計になんとなくわびしさを感じさせる。 テレビでもつけようかとリモコンに手を伸ばした時、ふいにインターホンが鳴った。
ピンポンと、鳴るはずなんか無いインターホンが鳴ったことに、一瞬オカルトめいたものを想像し、それから何度目かではじかれたように立ち上がった。
「…はい」
誰だろうと思った耳に、馴染んだ声が響いた。
『おれ』
玄関だった。 入り口のオートロックの所に何故か進藤がいるらしいのだ。
「進藤?なんで?」
キミは電車に乗ったはずではと言うのに、インター越しの彼は忘れものをしたんだと言った。
『だから開けて』
慌ててロックを解除して、待つことしばし、入り口のドアが軽くノックされる。
「進藤?」
急いで開けたドアの向こうには、さっき別れたばかりの進藤が立っていて、ばつの悪そうな、まだ拗ねているようなそんな顔をしていた。
「なにを一体忘れたんだ?」
もう一度顔を見れたことに喜びを感じながらも、口調はつっけんどんに聞くと、進藤はいきなりぼくを抱きしめた。
「―おまえ」 「え?」 「おまえを忘れた」
ぎゅうっと、抱きしめられてわけがわからずにもがくと、進藤は益々ぼくを強く抱きしめて言った。
「進藤―何を…」 「だっておれまだおまえにまともにキスもしてない。泊る気満々で来たのにさ、おまえ帰れって言うんだもん」
我慢して帰ろうと思ったけど、やっぱり我慢できなくなったんだと。 だから今夜はやっぱり泊めてと進藤は言うのだった。
「こんなとこで、おまえが初めての夜に一人で寝るんだって考えたら、すげえヤだったんだ」
だって絶対寂しいのにと、寂しかっただろ?と、見透かされていたことに顔が赤く染まる。
「寂しくなんか…」 「だめ?やっぱおれ、どうしても帰らなくちゃだめ?」
遮るように言われて、ダメと言いかけた言葉が喉の奥に消えた。
「マジで床で寝てもいいから、だから今日はおれのこと泊めて?一緒にいさせて」 「床でなんか…寝せないよ」
明日、対局を控えている大切な恋人にそんな仕打ちはしないよと、溜息まじりに言ったら進藤は黙った。
黙ってからしばらくたって、えーとと言った。
「それって…もしかして泊っていいってこと?」 「だって、仕方ないじゃないか。キミは戻ってきてしまったし、これから帰るにしても電車はギリギリだろうし」
それに何より、ぼくも本当は寂しかったからと、言った途端、再びぎゅうと強く抱きしめられた。
「なんだ、そっか、寂しかったか」
じゃあ全然寂しく無いようにしてやるからと言われてかっと全身が熱くなった。
「別に何も―」 「ベッド狭いけど、くっついてればいいもんな」
いきなり勝手に妄想を走らせている進藤は、嬉しそうに言うと、思い切り強くぼくを抱いてから、それからぱっと戒めを解いた。
「どうする?じゃあ、やっぱメシでも食いに行こうか?」 「いや…もうあんまり食欲無いし」 「じゃあ、風呂でも入る?」
泊まれることになったのが余程嬉しいらしく、いそいそと用意をし始めた進藤の腕を思わず握って止めてしまう。
「なに?」 「あ…いや…なんでもないんだけど」
風呂よりも先に、寂しいのをなんとかして欲しいなと言ったら、きょとんとしてそれから笑った。
「おーけー、おーけー」
なんだすげえ可愛いじゃん。最初からそうやって可愛くしてろよと、言われて少々むっとしないでも無かったが。
「でも、ほどほどに…、隣も人がいるみたいだし…」 「あ?一人で契約してっから、他にも泊めてるとマズイんだ」 「いや、そうじゃなくて、聞こえるのは困るなって」
何がと言いかけて今度は進藤の顔が赤く染まった。 真っ赤になって、それからにやっとイタズラっぽく笑う。
「…いいじゃん、聞こえても」
むしろ聞かせてやろうぜ、寂しく単身赴任してるかもな、サラリーマンのオッサンにさと、言って進藤は笑いながら、ぼくが何を言う間も与えず、ベッドに押し倒すと言葉通りのことをし始めたのだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
いや、おもしろかったっす。マンスリーマンション。
防音はとっても良さそうなので、アキラ、ひーひー言わされてもきっと隣には漏れないんじゃないかなと(失踪!)
| 2004年10月02日(土) |
(SS)パパがライバル3 |
ヒコーキを見てきた。
そう聞かされた時、それが一瞬父とは結びつかなくて、そうだと言われてひどく驚いた。
「うん、解散ってなった時に先生に声かけられてさ」
そういえば、君はまだ空港を見たことが無いって言っていたな。なんだったら一緒に来るかねと、父はたぶん冗談で言ったのだと思う。
けれど進藤はそれをそのまま素直に誘いの言葉と受け止めて即断で「行く」と言ったらしい。
「いや、おれ小学校ん時に社会科見学で羽田には行ったんだけどさ、成田には行ったことなくて」
どんなんか見てみたかったのだと、それでもって行ってみたら空港はすごく広くてキレイで飛行機もたくさん見れて楽しかったと進藤は言うのだった。
「だんだん夕方近くなってくるとさ、空の色が落ちてくるだろ?そこに飛行機がゆっくり移動してくのが水の中泳いでる魚みたいでさ」
はしゃぎながら言う、まるでそれは遠足に行った子どものようだと思う。
「で、飛行機を見てそれで帰ってきたの?」
それ以上の返事が返ってくるものとは思わずに聞いた言葉だったのに、進藤はいともあっさり「まさか」と言ったのだった。
「せんせーのおごりで高い寿司食って、その後はヒコーキがよく見えるってレストランで茶しながら検討してた」 「検討?」 「ん。先週のおれの対局を見たいって言うからさー」
それは終わった後、ぼくの対局の棋譜と一緒にぼくが送ったはずなのだがと心の中で、ちりりと思う。
きっと父は、進藤の口からその時どう考えて置いたのか、聞きながら見たかったのだろう。
いつもぼくが彼にそう望むように。
「おれさー、負け碁だったから、てっきりミスを諭されるかと思ったのに、そーゆーんは無かったな。むしろじゃんじゃんやりたいようにやりなさいみたいに言われておかしかった」
ためらうことなく、自分の考えと直感に従って進めと、先週の進藤の一戦は、途中で読み間違えはあったものの、それさえなければ圧勝というものだったから。
「…ぼくだってそう思った」
つい心の中の声がぽつりと出てしまい、進藤が「えっ」と顔を上げた。
「おまえ、さんざん人のこと罵ったじゃん」
何言ってんのおまえと言われてカッと頬が熱く染まった。
「罵ってなんかいない。キミが勿体無い打ち損じをするから指摘しただけだ」
本当はぼくも父のように言いたかった。
キミはキミの思うように打てばいいよと。でもそれを言えなくて、父に先に言われてしまったのだということが非道く悔しい。
「お父さんがなんて言ったか知らないけど、だからって調子に乗ってると、リーグ戦すぐに敗退することになるよ」
ぼくが言ったら進藤の顔色がさっと変わった。
「わかってるよ」
もう、まったく、かわいくねぇなと声に出さずに唇だけ動かして進藤が言った。
「まあ、せいぜいおまえに怒らんないように、みっともない負け方だけはしないからさ」
安心してと、それには少しだけ皮肉もこめられていて、胸がちくりと痛んだ。
「ああ、ぜひそうしてもらいたいね」
そしてそのまま彼は機嫌悪く帰ってしまったのだけれど。
(どうして…)
(どうしてぼくは…)
こうもひねくれているものかと、その後、取り残された部屋の中で一人棋譜を並べながら、泣けて、泣けて仕方が無かった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
2も好評だったので調子にのってまた続きを書いてしまいました。いや本当はただ単純にアキラもヒカルと一緒に飛行機を眺めながら時間を過ごしたかっただけなんだよと、そういうお話しでした。
父親が大好きだけれど、それでもってその父親と恋人が仲が良いというのは理想的なはずなんだけど、なんでこうももやもやするかなと。そういう感じの話なんでした。
いや、それくらいアキラはヒカルが大好きなんですよ。焼き餅やきです。
でもこれは両方ともに焼き餅やいてる感じかな。複雑です(笑)
| 2004年10月01日(金) |
(SS)パパがライバル2 |
窓の外をゆっくりと動いていく赤いラインの入った飛行機を眺めながら、あれはどこへ行くやつなのかなと思った。
大きく開けた窓際の席、少し会話が途切れたなと思ったら、先生もやはり外を眺めているのだった。
「時間…大丈夫なんデスか?」
テーブルの上には飲みかけのコーヒーが二つ。
なんとなく和服に日本茶という雰囲気のある塔矢先生は、今日はラフなシャツ姿でアメリカンなんぞを飲んでいるのでなんだか不思議な気分だった。
「大丈夫だ。まだ二時間近くあるんでね」
おれの方に向き直り、思い出したようにコーヒーのカップに口をつけた先生は冷めていたのが不味かったのだろう、微かに顔をしかめて、でもそのまま黙って飲んだ。
「…なんだね?」
顔に出さないようにしようと思ったのに、一瞬だけそれが現れてしまい、それをめざとく見つけた先生に聞かれてしまう。
「や…あの…やっぱ親子だなと思って」
あいつと先生、そういうとこがそっくりなんデスと、言ったら先生は一瞬、まじまじとカップを見つめてそれから笑った。
「そんなに似ているかね」 「塔矢も…あ、すみません。えーと、いや、あいつも、冷めたやつ嫌いなんですよ。でもよく話しに夢中になってドリンク冷めちゃって、口をつけて始めて気がついて顔をしかめるんですけど、結局そのまま全部飲んじゃうんです」
だって、せっかく注文したのに、残したら勿体ないだろうと、残せばいいじゃんとの自分の問いに塔矢はいつも答えるのだけれど。
「出されたものは残さないように躾たからな」
軽い笑い声をあげて、先生は一瞬、愛しそうな顔をした。 普通、親子で同じ仕事についていたりすると、反発しあうものなのに、あいつと先生はそうでは無い。
あいつは先生を純粋に尊敬して慕っているし、先生も親ばかでは無く、息子が可愛いということを隠さない。
珍しい親子だよなといつも思うのだけれど、もしかしたら二人とも「素直」だからなのかもしれなかった。
本人達は気がついていないのかもしれないが、塔矢と先生は本当によく似ていると思うから。
「どうかね、アレは」 「どうって絶好調ですよ。ここん所連勝続きで、また本因坊戦のリーグ入りも決まったし」 「でも、それは君もそうだろう」
おかしそうに言われて、でもあいつのが勝ってんですよと言ったら今度は声を出して笑われてしまった。
「君は…何段になったんだったかな」 「五段です」 「アレは…七段。追い抜けないのがそんなに悔しいかね」 「悔しいですよ。だっておれがいくら追い上げていってもあいつはまたその更に先を行ってしまうし」
去年リーグで当った時にも、結局おれは負けてしまって、悔しさのあまりしばらく口をきかなかったくらいだった。
「君たちはまだ若い。私の年になるまでには、今こんなことを悔しがっているのが滑稽に感じられる程、もっと高い所にいるはずだ」
柔らかい口調ながら、そのまなざしは真剣だったので、しゃんと背筋が伸びるような気がした。
「違うかね?」 「いえ…違わないです。そう、なるつもりです」
人が聞いたら不遜と思うようなおれの言葉を先生はただ穏やかな表情で受け止めた。
「期待しているよ」
だが、私も止まってはいないから本気で来なさいと、そう言われて嬉しさに頬が熱くなった。
「―はい」
素晴らしい先達が前を歩いている。
追いついて来いと、追い抜いて行けと。 でも楽にはそれをさせてやらないと、言われることのなんと嬉しいことか。
自分は恵まれていると、この世界に入ってもう何度も思ったことをおれはまた思った。
「先週の君の棋譜を並べてもらえるかな」
とりとめなく喋った後、先生に言われておれは指でテーブルの上に棋譜を描いた。
あいつとよくカフェでしたりするように、コップの水で子どもが落書きをするように、何度も何度も線を引き、その上に一手一手記して行った。
「おもしろい一局だ」
大きく開けた窓の向こう、またゆっくりと飛行機の尾翼が横切って行く。
「途中までは良かったんですけど、でも途中で読み間違えて」 「いや、私でもやっぱりここは勝負に出るね」
ああでもない、こうでもないと。
それはこれ以上無い程の充足した時間。
上海行に向かう飛行機が来るまでのしばしの間、おれと先生は顔をつきあわせ、もうガラスの向こうの飛行機を眺めることはせずに、テーブルに指を走らせながら、ただひたすらに検討をしたのだった。
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思いがけず好評だったので「パパがライバル」の続編なんぞ書いてみました。
パパとヒカル、秘密のデート編。つーのは嘘で、囲碁イベントの帰り、まだ成田に行ったことが無いと言ったヒカルをパパが誘って、出発までの時間、見晴らしのいいレストランでお茶している所です。
アキラは卓球に引き続きこのことも聞かされて、すっかりへそを曲げてしまいます。 でもパパには曲げられないので、ひたすらヒカルに当りまくりですが、ヒカルは「ちぇっ、なんだよ相変わらずファザコンだなあ」ぷんぷんと見当違いのことを思っていたりするわけです。
アキラ焼き餅やきまくりです。
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