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2001年11月18日(日) 君が涙のときには

僕はポプラの枝になる。
人の孤独につけこむようなことは言えなくて。

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日吉の駅からのスロープに立ち並ぶ銀杏並木は
綺麗に色づき始めていた。

会場に足を踏み入れ前方の舞台を見やると、
コンサート会場に特有のもやがかかっていた。
「わかれうた」を引っさげて行った24年前以来の学園祭ライブ。
これも幅広い世代から支持を受けていることを示すエピソードだ。

指定された座席へ向かい愕然。
アリーナ中央席第5列。
ふと見ればマイクまでわずか5メートル程度。
抽選くじを引いた某同期エフさんの
普段の行いがよかったせいなのかどうか。
少なくとも僕がくじを引かなくて正解だった事は確かだ。

5分前の予ベルがなった時点で会場は静まり返る。
高まる緊張。

本ベル。

そして拍手。

舞台後方からゆっくりとその人は現れた。
一曲目「あした」が始まる。
ライブの開始でスタンディングしないのは今回が初めて。
このライブではついに一度も席を立つことは無かった。

ラジオのレギュラー番組を長く持っていたせいかどうか
MCがうまい。ライブでこんなによくしゃべるアーチストは
見たことがない。途中、開演前に観客が寄せた一言を紹介
するコーナーがあったのだが、会場中大爆笑の渦。

「悪女」「狼になりたい」「空と君とのあいだに」と続く。
途中、舞台がクリスマスを意識したセットへと変わる。
後半は最近のアルバムからの曲が多くなる。
耳にしたことは無くても、それでも聴かせてしまう力が
彼女の音楽にはある。

ベース、ギター、ドラム、高音コーラスが舞台を後にする。
最後の曲「ヘッドライト・テールライト」を歌う前、
彼女はこう言った。

「20世紀を生きている時、21世紀は夢の世紀でした。
思い描いていた事がなんでも叶って、争いのない理想的な
世界が来ると誰もが信じていました。
けれど、実際に21世紀に入って、私達はこれまでと何ら
変わらない悲しい現実を突きつけられました。
きっとまだ人間って未熟なんだと思います。
成長するのに凄く時間のかかる子供なんだと思います。
でもいつか人間だって悪いもんじゃないよね、
そう言える時が来るはずだと思っています」

そういって彼女は歌い始めた。


当然の鳴り止まぬ拍手に応えてのアンコール。
新しい世紀に入ってもなお彼女の音楽が強く
支持されている事を示した曲、「地上の星」。

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この言葉をやたらに使う事は避けているのだが、
心底「感動」した時、人は身体の内側から震えるような感情が
湧き上がって、何も言葉が出なくなるものだ。

駅までの道すがら、大した言葉が出なかったような気がする。
自らの味わった感動を前にしては何を言っても陳腐に
聞こえてしまうような気がした。

帰りの電車でも、帰宅しても余韻から抜けきれないでいる。
すぐにでもまた次の曲が始まるんじゃないか、
日記を記しながらまだそんな思いが抜けきらない。


2001年11月14日(水) point of no return

最初にお断りしておくと、
最近人気の某男性ユニットによる曲の名ではありませぬ。

4限、ゼミ。今日は1930年代のインド市場を巡る日英経済紛争の話。
ふと先生が"point of no return"という言葉を発した。
日本の中国大陸侵略が引き返すことの出来ない不可逆的な状況に
までいってしまったことを英語でこのように表現した、
そう理解するのにはしばらく時間がかかった。

これまでの自分は常に"point of no return"を意識しつつ
行動してきたように思う。そしてひとたびこの点を越えた後は、
なかなか自分自身の制御がきかなかったように思う。

最近、自分の身の回りで起きている出来事は、
この点を通り過ぎてしまったことが多いように思う。
どうにもならないことが多すぎる。

颯爽と軽やかに飛び越えたい。
そんな甘ったれた思いをする自分に寛容でいる。
少なくとも今は。


2001年11月11日(日) 一日早いプレゼント

休日の午前中に起きたのは本当に久しぶりの事だ。
新宿で先輩から余っているイベントのチケットを貰い、
一路横浜へ。桜木町の駅周辺はずいぶんと賑わっていた。
ランドマークタワーに入ると、バラスバンドのチューニングの
音が聞こえてきた。ふと前方を見やると、広場の周りに人垣が。

数校の高校の吹奏楽部によるミニコンサートが開催されていた。
お目当てのイベントにはかなりの時間を取られるだろうし、
その後夕方都内に戻る用事もあったのだが、どうしても足を止めず
にはいられなかった。

マーチやグレンミラーのブラスアレンジなどかつて自分も演奏した
お馴染みの曲ばかりで「これで終わり」と思いつつ、なかなか
その場を離れる事が出来なかった。ようやく意を決し、
歩き出したその刹那、ある高校の最後の演奏が始まった。
あまりに懐かしくて、またもとの人垣に戻ってしまった。

それは高校3年生の冬、最後の定期演奏会で演奏した曲だった。
もう4年も前のことだけど、不思議な事に苦労したフレーズ
なんかが鮮明に蘇ってきた。自然、頬も緩みがちになってしまった。

ようやく広場を離れパシフィコ横浜へ。
「トリエンナーレ2001」は今日が最終日ということで大混雑。
作品によっては1時間待ち等ザラの有様。
それでも一通り見て回る。芸術などよくわからないけれど、
花火の電飾、泥(?)の巨大ドレスなどなど、
興味の引かれる作品が多数あった。
アートを言葉で表現するのは難しい。

夕刻、高円寺へ。横浜で時間を取られ、待ち合わせには
すっかり遅刻してしまった。かつてのアルバイト仲間が
作・演出を担当している劇団の公演へ。

芝居を見るのは生まれて初めてだったのだが、至近距離で
展開される役者達の熱気・迫力あふれる演技に圧倒された。
テーマやメッセージ性に違和感が無かったわけではないけれど、
終了後は何とも言えない充実感が溢れていた。

予期せぬ心地よさに包まれた一日だった。
期せずして一日早いプレゼントを貰った気分だった。


2001年11月08日(木) 敗北を抱きしめて

ちょっとしたことのお礼として友人から本を貰った。
今年度ピュリッツアー賞受賞作品、ジョン・ダワー著
『敗北を抱きしめて』(岩波書店、原題"Embracing Defeat")。
「何か希望の本ない?」と問われて、迷うことなく所望した。

従来からの戦後史研究と最も異なるのは、日本の敗戦からの復興を
政治家や知識人層といったエリート層ではなく、民衆の意識の側面に
注目しつつ考察している点だと思う。タイトルも非常に示唆的。
憲法や歴史教科書問題を考える上でも有益であるように思う。
友人に是非勧めたい本だ。

帰りの電車で文字通り貪るように読むふけってしまった。
小説以外ではこんな本は久しぶりだ。ああ、卒論が恨めしい。
ピュリッツアー賞は昨年も日本関係の書物が受賞した。
アメリカの日本研究の水準の高さ、そして関心の高さの表れであろう。

文学論の講師は先日の講義でピュリッツアー賞に対して
「制度化している」と批判していた。その批判は妥当なものだと
思ったが、今日の写真家の講演会では失望させられた。
その写真家を「大御所」などという形容詞をつけて紹介。
そんな形容詞、写真のレクチャーとどれほどの関連があるのだろう、と。

妙に堅い話になってしまった。
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講義の後、本をくれた友人と夕食。木曜の夜、彼と話す時間は
今の生活の中で最も落ち着くひとときかもしれない
「春休みにはシベリア鉄道でヨーロッパ入りしたい」
と言ったら呆れ顔だった。よくやるな、顔がそう語っていた。

木曜の晩、散歩好きの彼と夜の都内を徘徊・・、いや散歩が
出来るのももう数えるほどになってしまった。
「失って初めてわかるものがある」と言った人がいた。
けれど、失う前からその有り難みがわかることが
無くなってしまうのは、あまりに惜しい事だと思う。
為す術も無く、それを受け入れるほかないのだろうか。


2001年11月07日(水) 線引き

日本対イタリア戦に絡んでサッカー記事を見ていたら
興味を惹かれた記事があった。
http://www.cnn.co.jp/2001/SPORTS/11/07/fifa.korea/index.html

牛や豚、鳥は良くて犬はよくない、
その線引きは何に由来するのだろうか?
線引き、それ自体が悪いというつもりは無い。
ただ最近、自分の身近なところで似たような
線引きの話が出たものだから。

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午後、卒論に必要な史料を入手すべく、横浜へ。
なんとなくこの街の持つ雰囲気が好きで、
つられる形で横浜を卒論の舞台にしてしまった。

関内の駅を出て、横浜スタジアムをかすめ日本大通へ。
大桟橋に向かってしばらく歩くと、
旧英国領事館の建物が見えてくる。
そこが目指す建物、横浜開港資料館。

これまであちこちを探し回っていた史料に
ここでようやく辿りつくことが出来た。
古い史料だけになかなか手に入らないだろうと覚悟していたのだが、
それなりに論文で引用もされているし、と高をくくっていた。
大学図書館ではマイクロフィルムも漁ったのだが空振り。

それだけに、手にした時はこみ上げてくるものがあった。
「歴史の論文は手ではなく足で書くもの」。
そんな言葉をどこかで聞いたことがある。
でもこれで満足しちゃいけない。
史料を読み込まなくては。

午後5時、閉館。
外へ出るともう空は暗い。
ふと見上げるとみなとみらいのビルのネオンが飛び込んでくる。
資料館の帰り道はいつも遠回りして桜木町まで歩く事にしている。
赤レンガ倉庫を横に見やりつつワールドポーターズ方面へ。
お馴染みの風景だ。桜木町駅へと続く道を歩いていると、
右手の遊園地からは歓声が聞こえてくる。
自然、歩を緩めた。

11日までパシフィコ横浜を中心に「トリエンナーレ2001」という
現代アートの祭典が開催されている。以前から興味を持っていた
のだが、今週で閉幕。混雑覚悟で週末にでも行こうと思う。

普段海と無縁の生活をしているからか、
時々無性にこの街に来たくなる。
「卒論」と言う立派な口実を、今はありがたく使う事にしよう。


2001年11月01日(木) 夜の散歩

月日の経過の早さなど今更驚く事でもないのに
それでも月が変わる度、「もう11月か」なんて言葉が
口をついて出てしまう。

大教室の講義の最中、佐藤正午『取り扱い注意』を
読み進める。知人に「是非」と勧められた本。
確かに、僕にとって久々に「読み進めることができる」
小説であるように感じる。
けれど、正直に言えばもう一歩。やや余計な文章が目に付く。
村上春樹以外で集中して読む事ができる現代作家が
現れないだろうか。古典でも読むかな。

今日は夕食の後、友人と早稲田から池袋まで歩く。
散歩好きの彼と池袋まで歩くのは今回が2回目。
道すがら沢木耕太郎を勧められる。
ふらふらと適当な道を進んでいくのだが、夜空に
聳えるサンシャインを目印にしていれば迷う事は無い。
人でさえすれ違うのがやっと、という程の軒先をかすめる
狭い道が続く。時折、家の中からは家族の話し声や
炊事の音が聞こえてくる。
雑司が谷霊園と池袋の夜景のコントラストが印象的だった。

今日も月は綺麗だった。


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