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2001年10月31日(水) 晴天の日

何か一つのことを乗り越えたとき、
「自分は強くなった」と思う事がある。
それは単に錯覚とも言い切れなくて、
実際に何らかの部分で精神的に逞しくなって
いるのかもしれない。

けれど、自信なんていうものがイメージに
過ぎなくて、脆くて儚いものだと気づくのは
いつもそれを失った後のことだ。
誰しも「晴天の日に、翌日は雨が降るとは考えない」。

今日はゼミの後、図書館で卒論資料探しに奔走。
文字通り館内を走っていた。レファレンスカウンター
の人も一緒に走ってくれた。申し訳なし。

モーターショウに東京国際映画祭、東京国際ファンタ映画祭、
大学ラグビー対抗戦と行きたいイベントが目白押し。
運試しに応募したBjorkのコンサートチケットが当たってしまった!
9千円のチケットがネットオークションでは6万円だとか・・・。
そして紅葉の気配。11月も中頃になれば
関東平野の紅葉も見頃とのこと。
秋から冬へ。一番好きな季節がやってくる。


2001年10月30日(火) It's over

日曜の晩、内定者が自主開催の懇親会へ。
未来の同期から「最近更新してないねー」と言われた。
さすがに間隔があきすぎたな、と反省。
言い訳をすれば、正直に言って、このところ他人に発信する
のを前提としてものを書けるような精神状態ではなくて、
もちろん今夜もそんな状態。

昨日、そんな事を口にしたらサークルの友人が一言。
「悩みが抽象的過ぎないか?」と。
「悩みはもっと具体的に持てよ」と。

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今日、3冊の本に興味を持つ。
塩野七生「マキャベリ語録」、
佐藤正午「彼女について知る事の全て」、
池部良「ハルマヘラ・メモリー」。

1冊目は今晩、夕食時に友人が勧めてくれたもの。
2冊目は大学の後輩、ぼんフィーのお勧め。
3冊目は亡き祖父が戦時中に赴いていた南方の地の名を
冠した題名に惹かれて衝動買い。中国東北部から南方戦線へ
「転進」した部隊の話なのだが、これは祖父の部隊と
全く同じ動き方をしていて興味を持った。

また「積ん読」が溜まってゆく。

一昨日の晩、ひょんなことから未来の某同期と長電話。
それまでは大して突っ込んだ話をしたことがなかったのだが、
その電話で某同期が村上春樹ファンである事を知る。
同期と本の話が出来たのは初めてに近かったし、何より嬉しかった。

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手前味噌な話だが、最近時々自分と似ていると言われる某有名人
(NOTおじゅん)がいる。恥ずかしいのでもちろん名前は伏せる。
僕の顔を知る人はあれこれ想像を。
今日たまたま新聞で、その彼のインタビュー記事を見つけた。
そして思わず目に留まった文章があった。

「すごい達成感がきたんですよ。普段、生きていて、だれでも
いいことなんてそんなにないじゃないですか。9割嫌なことで、
残りの1割がいいことかもしれない。でも、その1割が9割の嫌な
ことを消してくれることがあるんだと、その時思いました。うまく
言葉にできないんですが……。収録が終わった時には、
もう1人で号泣でした。だれよりも泣いていました。長丁場だった
からなのかな。それから、現場で面白いと思えることを探そうかな
って気持ちになれました」。

自分が常々思っていた事と同じ考えで共感を覚えた。
なんだかファンになってしまう気がする。


2001年10月14日(日) 人の為す善

家では勉強できないので大学PCルームへ。
日曜の割に大盛況で、順番待ち状態。
今日は初めて大学まで車を運転してきた。
ゼミの発表原稿作成の息抜き。
というかさっきから息を抜き過ぎているような気も・・・。

このところの週末はいい天気が続いている。
部屋にいることが罪な事のように感じられるほどだ。

知人がたまたま読んでいると聞いたので衝動買いをした
吉本ばなな『キッチン』を読む。世界各国で翻訳された
らしいが、正直、底の浅さのようなものを感じた。
意図的にかどうかはわからないが、中学生の書いたような
文章で物足りない。とりあえず表題作は読了。

先週は卒論がまったく進んでいないにもかかわらず
坂口安吾『堕落論』、ラッセル『幸福論』を併読。
最近中島みゆきにはまっていることもあいまって
「優しさ」だとかについてふと考えてみた。

人に優しくするとき、その裏に何か見返りを要求する心が
あるならば相手はそれを見抜いてしまうだろう。
ラッセルはそう言っていた。

裏のある優しさは偽善。僕は正直戸惑った。
悩んでいる人を見て言葉をかけるのは偽善なのだろうか。
自分の本心から出た言葉ではないのだろうか。
これまでの僕は偽善だらけだったことになるのだろうか。
本当の「優しさ」とはどういうことなのだろう?

1つ示唆的だったのは、最近ある友人がくれたメールに
あったこんな言葉だ。
「僕は偽善とは、人の為す善、と理解しています」。

そしてもう1つ、中島みゆき「空と君とのあいだに」
という有名な曲の冒頭。
「君が涙の時には僕はポプラの枝になる」。

この曲はこう続く。
「人の孤独に漬け込むようなことは出来なくて」。
胸が痛んだ。

押し付けの「優しさ」を「思いやり」と誤解している人が
いかに多いかということを、そして「ポプラの枝」である
ことの難しさを、再認識した。自戒を込めて。

さあ、いいかげん課題を仕上げようか。


2001年10月10日(水) 10月10日

ここのところ日記更新が滞っていた。見に来てくれていた
方々には本当に申し訳ないとしか言い様が無い。
物理的にも精神的にもいろいろとありすぎて他人に何かを
発信する気力が消え失せていたというのが正直な理由。

googleで"ohjung"と検索すれば最上位で表示されるこのサイトが
バイト先の人々に発見されたのも当然といえば当然だが、
まずますうかつな事が書けなくなってしまったという気もする。
だからといって過去ログを調べないで、STBの方々。
ついでにバイト仲間のHPをリンクしておく事にする。

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妹をはじめとして、僕の周りには10月10日生まれの人がなぜか多い。
東京オリンピックの開会式の日、そして旧「体育の日」。
体育の日にちなんで「たいこ」と名づけられた友人を知っているが、
彼女一人の存在だけで祝日法改正反対の十分な根拠になりうると思う。

今日は嵐のような大雨だった。
10月10日は文化の日と並んだ「晴れの当たり日」(?)らしく、
雨が降るのは久方ぶりの事らしい。

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空爆開始、こうする他に無かったのかと無念でならない。
テロ集団を肯定は出来ない。けれど「やられたからやり返す」では
正義と理想を気取る国だって同罪だ。どちらもやっている事は人殺し。
個人の殺人は裁かれ、裁く側の国家の下す殺人が容認されるのは
どうしても解せない。
これ以上、悲劇と憎しみを増幅させてどうするつもりなのか。
この意見が情緒的と批判されようと、何か立派な口実があっても
銃を手に取る事は僕には出来ない。

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何事も始める事は案外たやすい事だ。
でも物事の終わりは意外と難しい。
そこに人の度量というかセンスが現れるような気がしてならない。

傷つくのも傷つけるのももうたくさんだけど、
そんな弱音を吐いていては生きていく事すら出来ないのかもしれない。
僕にはまだそれに耐えるだけの強さが無いけれど。


2001年10月04日(木) 歴史は繰り返す。

一度目は悲劇として、二度目は茶番として。

『ルイボナパルトのブリュメール18日』の冒頭は
この言葉から始まる。
人類の歴史に限らず、個人の歴史においても
当てはまるのかもなと思う。
年を取るに連れて、経験を重ねるに連れて
進歩すると言うのは幻想なんだろうな、と。


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