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2001年12月30日(日) 今年最後の日記

今年の年越しはやむを得ず自宅で過ごす。
本当なら旅に出ていたいのだけど、卒論が。惜しい。

家では勉強が出来ない性質なので、図書館の閉まっている
年末年始は喫茶店やファストフード店に入り浸っている。
閉店の頃になると街を歩く人の数もめっきり減ってしまう。
先週末はクリスマスを控えた連休中と言う事もあってか、
夜遅くまで賑わっていたものだけど。

一体何度忘れればいいのかわからないほどの数の「忘年会」
も怒涛の勢いで過ぎ去った。酒を飲めない僕は大して
「忘れる」事も出来ないのだろうが、普段はなかなか
会えない人と顔を会わすことが出来たので良しとしようか。

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MOMA展へ。
これまでどちらかと言えば美術は苦手だったのだが、
今回でずいぶんと認識が変わった。その変化を言葉で
表現するのはなんとも難しいのだけど、
とにかく自分の中で何か「来る」ものがあった。
これでは小学生の感想文のようだが。

同行した友人はピカソに目覚めたとのことだったが、
僕はわずか2点しかなかったダリの作品の虜になってしまった。
あのシャープなタッチと繊細な表現に惹きこまれてしまった。
演奏会と共に美術展にも機会を見つけては行きたいと思う。

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昨年の12月、こんなことを記した。

>次の冬、そしておそらく最後の冬、
>無数の失敗と喜びの思い出を笑顔で振り返って、
>僕はこの地に誰よりもふさわしい人間であったと
>自信を持って言いたいし、そう言えるはずだと思う。

一年後の今、確かに自分はそれに相応しい人間であると
言えると思う。けれど、逆説的に言えば、
そう思った今、僕はもうこの地にいるべき人間では
なくなってしまったのだとも思う。

誰しも、今年はいろいろとあったと振り返るものだけど、
僕にとってこの1年は、これまで22年間の人生でも
稀に見る激動の一年だった。
とりわけ、就職活動と祖父の他界という2つの大きな出来事は、
今だに自分の中でどう位置付けたら良いのかわからないままだ。

でも一つ確かに言えるのは、僕が長年住み慣れた
居心地の良い今の環境から、新しい未知の環境へと
移り進む機が熟したという事なのだと思う。
今年経験した大きな2つの出来事は、
きっとそれを示唆しているのだと僕は思う。


2001年12月19日(水) 何気ない風景

新しい始まりは、精神の緊張を強いることがあります。
しかし、それは未知の自分を探す冒険の出発点です。
ほんの少しの勇気と弛まぬ努力で、以前とは異なった自己を
発見できるものです。さあ、胸を張り上を向いて、
新しい挑戦を開始しましょう。この杜に集う我らはみな、
それぞれに進取の精神の体現者なのですから。

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4限のゼミの教室へと向かおうとキャンパスを歩いていると、
学部の建物の前でサークルの友人に声をかけられる。
近くのベンチに腰を下ろし、コーヒーを飲みつつ、しばしだべる。
講義の合間に教室を移動する人が目の前を行き交う。
と、見知った顔が一人二人と声をかけ僕らの前で足を止める。
今まで何度もあった、何気ない風景。

5分ほどして、講義の時間がやってきて散り散りになった。
明日で年内最後の講義。年が明ければすぐに試験期間。
今日のような何気ないことも、もうあと何度あるのだろうか。
学部の建物から研究室棟へかかる空中廊下で下を行き交う学生の
流れを見ながら、そんなことを思っていた。途端に今日の
ひとときがとても貴重な時間だったように思った。

冒頭の文章は、入学時に配られた学部紹介である先生が
書いていたものだ。「新しい始まり」ももちろん大切だとは
思うけれど、それでも今は少しためらいを覚えてしまう。


2001年12月14日(金) 疑心暗鬼

今日は内定先のパーティーだった。
「卒論の息抜き」といいつつ、
しっかり2次会までいってしまった。
抜くほどの息もしてないくせに。

聞けば内定先にいつも厳しい記事を書くお隣の新聞社でも
忘年会があったとか。その新聞には先週末、朝刊一面
トップ記事でガツンとやられた。内定者は動揺し、
「すわ、もう一度就職活動か」なんて思ったり。

正直、立食パーテイーや大人数の中で会話するのは苦手だ。
だから今日も行くまではすこし憂鬱だった。
たくさんの人を惹きつけて、うまく会話を盛り上げる人を見ては、
うらやましいな、なんていつも思ったりしていた。

今日、同じようなことを、同期がポロリともらした。
周りにいつも誰かが集まっていそうな人だったので
意外な感じがした。けれど、少し肩の力が抜けた。

パンフレットだけで思い描いていた理想のように甘いもんじゃない
とは頭の中ではわかっていたけれど、やはり現実にそれに出くわすと、
理解するのに少し時間がかかってしまう。
理解は妥協とは違う。
そのことを意識し続けないと。

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他人の何気ない一言を気にしてしまう。
そう思う人は多いと思うし、自分自身そうだと思う。
けれど、自分でそうとわかりながら、他人に対して
思慮に欠けた言葉をかけてしまった事を後悔することが間々ある。

今日、明らかにいつもと違う様子の人がいた。
何かを抱えているかのようだった。
どうしたの、と一言かけたかった。
けれど、かけられなかった。

事情を何も知らない僕が声をかけたところで何になるのだろう。
何の力になれるのだろう。こんな僕の態度は「ネガテイブ」という
言葉で片付けられるものだろうか。
全ての人と仲良くする事なんてばかばかしい事なのだろうか。
それとも、ただ自分が嫌われたくないからなのだろうか。
八方美人の風見鶏?

ずいぶん前から心配の種だった今日が、自分にとっては心配していた
ほど悪くは無かったからこそ、逆に疑心暗鬼になってしまった。


2001年12月07日(金) Bjork on tour

40分近い長い前座に辟易し、この前座はスイカを食べる時の
塩の役割なんだ、と自分を必死に納得させて席に着いていた。
でも自分はスイカに塩をかける性質じゃないし、とも思ったり。

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大きくせり出した舞台前方にオーケストラが入るのはわかっていたが、
フル編成のオーケストラが収まるには狭すぎる気もしていた。
出てきた編成を見て、びっくり。
弦楽器+Hr+Percという編成。
オケをやっている友達曰く「北欧っぽい」とのこと。
オーケストラは偶然にも半月前にコンサートに行った
東京フィルだった。

唯一の管楽器としてHrが出てきた時点で、
オープニングは予想がついた。
果たして、予感どおり柔らかなHrの音色が響き渡る。
アルバム"SelmaSongs"の一曲目"Overture"。
映画「ダンサーインザダーク」のオープニングでも使われている。

これまでのアーチストのコンサートで
しばしば音量に嫌気の差してしまうことがあったけれど、
オーケストラのおかげでバックサウンドも深みをもって
「聴く」ことが出来た。

最新アルバム"vespertine"と"homegenic"からの曲が
多かったように思う。休憩をはさんだ後半からは
アップテンポの曲が続き一階席は総立ち状態だったようだ。

どうしても聴きたかった、何とも切ないイントロで始まる
"joga"をアンコールで聴く事が出来た時には本当に嬉しかった。
3年ぶりの来日との事だが、次の来日が待ち遠しくてならない。


2001年12月02日(日) 荒ぶる

優勝をかけた大一番、大学ラグビー伝統の一戦は、
赤黒圧倒的有利の戦前予想を覆し、完全に紫紺の
重戦車軍団に支配されていた。
逆転してもすぐに再逆転を許し、突き放される。
前半終了時点で14-22の劣勢。

後半も開始早々、突き放しのトライを決められ出鼻を挫かれる。
その後、赤黒ジャージーはやっと自慢のバックス陣が機能し始め、
2トライを挙げる追い上げムードに。しかし、マイボールの
ラインアウトをことごとく奪われ、26分には逆に決定的とも
言えるトライを許し、追い上げムードに冷や水をかけられる。

26-34。
この時点で時間は残り15分を切っていた。
1トライ1ゴールの7点でも追いつけない点差。
しかもこの時間に至っても重戦車のデイフェンスは
劣えることを知らず、鋭いタックルで赤黒の突破を許さない。

負けてもこの点差なら赤黒の優勝は揺るがない。
けれど、圧倒的不利の下馬評の中での早慶戦で大勝。
対抗戦3連覇を狙うタイガー軍団の連勝を20で止め、
若きカリスマ監督の下で「完全復活」と謳われる
赤黒フィフテイーンには全勝優勝がふさわしい、
と例年よりも割合が多めだった赤黒ファンは思っていただろうし、
他でもない選手達自身がそう思い込んでいたのだと思う。

敵陣に入り込み攻め続けても、思うように前に進めない。
本当に等しい人数で試合をしているのか、と思わず
疑いたくなるほど、紫紺の防御網は固かった。

35分経過。36、37分・・・。
終了時刻は迫りつつあった。
もはや総立ちとなったスタンドで赤黒ファンは
誰しも半ばあきらめかけていたと思う。
ただ一つ、心に引っかかっていたのは、
点差を少しでも縮めたい後半に、度重なる相手の
反則を得ても、赤黒は一度もペナルテイーゴールを
選択しなかった事だ。
まさか、それが最後の伏線になるとは露知らずに。

翌日の新聞記事で知ったのだが、依然としてゴール前で
一進一退の攻防を続けていた後半39分、インジュアリー
タイム「4分」という掲示がボードに点灯された。
選手、観客の誰もがそんなことには気付かなかったはずだ。
ただ、その「4分」という掲示に1人勝利の女神がホンの
少し気まぐれを起こしたのかもしれない。
赤黒ジャージーが、今まで破れそうで破れなかった
ディフェンスラインをするすると抜け出したのはその時だった。

33-34。1点差。
怒号のような歓声。
しかしゴール後は相手のキックオフ。
ボールを奪って攻撃に入るには時間が足りなかった。
もしタッチに逃げられ試合を切られたら・・・。

しかし、その時の国立競技場は異様な雰囲気に包まれていた。
スタンドを埋め尽くした5万2000の観衆の誰もが「まさか」
とは思いつつ、その奇跡の瞬間を一目みたいと願っていた。
はたして、その気持ちがレフリーに伝わったのか、なぜか
赤黒のキックオフで試合再開。その時はそうとしか
思えなかったのだが、翌日の新聞によれば、
それはトライ時の相手の反則によるものだった。

出来過ぎていた。
安いドラマだってこんな出来過ぎた結末は用意しない筈。
22メートル地点で相手の反則。
最後の最後でのペナルテイーゴールの選択。
全ては必然に包まれていた。
その楕円球がゴールに入るか入らないか、
そんな選択はありえなかった。

ノーサイド。
タイムボードには4が4つ並んでいた。
36-34

紫紺ジャージー、「タテ」のメイジ。
赤黒ジャージー、「ヨコ」のワセダ。
両校が12月の第一日曜日、国立競技場で激突する
伝統の早明戦はこれまで幾多の名勝負を繰り広げてきた。
しかし、この日の試合は長い伝統をもつこのカードで
おそらく史上最も劇的な結末だった。
ちょうど一ヵ月後、またこの国立で、一層逞しさを増した
赤黒フィフテイーンに再会するのが楽しみでならない。


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