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2001年08月22日(水) 夏の終わり

例の交流プログラムが終わって、韓国側メンバーから
メールが届き始めた。例によって、今年も不届き者がいた。
「おじゅん」の写真添付メールである。

参った。
自分が言うのもなんだが、気味が悪いほど自分にそっくりだ。
同じ顔をしながら韓国では人気タレント、日本では一介の
しがない大学生。韓国行って人生やり直すか。

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甲子園が終わった。西東京代表日大三高が優勝した。
東京勢の優勝は95年の帝京高校以来。その年の東東京大会決勝で
帝京に負けたあの試合を思い出す。

6月終わりの日記で、甲子園の地区予選が始まると夏の到来を感じる
と書いたけれど、一方で僕は甲子園が終わると夏の終わりを感じる。
これではまるで高校球児のようだけれど。

7月と8月では蝉の鳴き声も変化するのだとか。
そして8月も終わりに近づくと、窓の外から鈴虫の音が聞こえ始める。

僕はこの週末から北海道へ行って来る。
北海道はこれで4回目。毎年、なぜかこの時期に出発する。
帰える日時は決めていない。お金が尽きた時点で帰宅。
出来るだけ長くいたい。


2001年08月20日(月) 再セットアップは時間がかかる

というわけで、「積ん読」状態の本を取り出す。
清水義範「国語入試問題必勝法」(講談社文庫)を読んで大爆笑。

4人の老人が1人20枚のリレー小説を書くことになったのだが
うち1人の老人はどうしても割り当ての分量が書けず、
そのリレー小説の発案者に相談したところ、
「小説家は、書くのに困ったら字数を稼ぐためにある方法を使う」
と聞いて早速実行。

<以下引用>
森本一郎(おじゅん注・このリレー小説の主人公)はその次の日、
ゲートボールに行った。会長が言った。
「番号」
「1」
「2」
「3」
「4」
「5」
「6」
「7」
「8」
「9」
「10」
(略)
「番号もとい」
「1」
「2」
「3」
「4」
「5」
「6」
「7」
「8」
「9」
「10」
(略)
会長はみんなにこう言ったのだ。
「今度のゲートボール大会の賞品は、野菜一年分にしようと思うのだが、
何がいいだろうね」
「ねぎだな」
「いや、だいこんだ」
「かぼちゃ」
「にんじん」
「白菜」
「オクラ」
「玉ねぎ」
「きゅうり」
「西瓜」
「ごぼう」
「アスパラ」
「キャ別」
「みょうが」
「カリフラワ」
「いんげん」
「じゃが芋」
「さつま芋」
「長芋」
「大和芋」
「小芋」
「タロ芋」
「かんでんち」
「かんでんちは野菜じゃないだろう」
(以下略)

<以上引用>

・・・。
怒涛の芋6連発、しかも「小芋」は反則じゃないか?
最後の「かんでんち」というオチにも参った。しかもご丁寧に
「野菜じゃないだろう」と突っ込みまで。
野菜で原稿用紙1枚半も稼いだとか。

他にも「いわゆるひとつのトータル的な長嶋節」など傑作が目白押し。
笑いを求めている方は是非。


2001年08月17日(金) ためらい/8月15日の第4試合

ずいぶんと日記の間隔が空いてしまった。
先週一週間ゼミの交流プログラムで不在だったせいもあるし、
今週はお盆にも関わらず割と用事があったという言い訳もできる。
けれど、何より大きいのは、最近、ここに「日記」を記す事に
少なからぬためらいを感じていたからだった。
今、僕は、こうしてまた書いているわけだけれど、自らの中から
湧いて来た疑問に対して明確な答えを見出したわけではない。

自己満足的で吹けば飛ぶよなサイトに過ぎないのだからやめるも続けるも
本人が決めれば良いだけのこと、誰も迷惑をこうむるわけでもない。
やりたくなければやらなければいい。
それだけのことだ。

けれど、と思う。

そう、いつの日からかインターネット上に自分の思いを
書き連ねるという自己完結的な行為を止めることを考えるときに、
刹那自分を踏みとどまらせる思いが心をよぎるようになっていた。
時々ではあるけれど、お互い顔も知らない誰かがこの日記を読んだ
感想を送ってくれる。そんなことがある度に、こんな駄文でも
書いていてよかったなと思う。

それはまさしく自己満足な思いなのだろう。
意味など何もないかもしれない。
下手な文章がどこかで誰かの嘲笑を買っているのかもしれない。
けれどもそうやって、「大した事ではない」とか「些細な事だ」
と言って何かを止めていったら一体最後に何が残るというのだろう?
何が瑣末で何が大切なのか、そんなものは後知恵に過ぎないのでは
ないだろうか。僕は、少し踏みとどまってみよう、と思った。

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ちなみに先週の交流プログラムの詳細は別に「special memory」欄に
後日掲載しようと思う。一日の日記にまとめる事など到底できないほどの
濃密な時間だったから。

甲子園では夏の高校野球大会が佳境に入ってきた。
明日でベスト8が出揃う。
甲子園大会で一番面白いのは準々決勝だという意見をどこかで
耳にしたことがあるが、僕もその通りだと思う。

大学1年の夏の準々決勝で印象に残っているのは何と言っても
横浜対PL学園の延長17回の攻防だ。記憶が確かなら、あの日は
残暑の厳しい日だった。当時部屋に冷房がなかった僕は
涼むために居間に居座り、テレビに釘付けになっていた。

その次の日から僕は北海道へ旅に出た。
横浜高校の劇的なまでの結末は翌々日の北大の学食のテレビで知った。
翌朝、僕は最果ての街稚内で夜行電車を降りた。
松坂投手の祖父が稚内に住んでいることもあってか、
新聞の扱いがひどく大きかったのを覚えている。

去年の夏も僕は北海道へ旅に出る直前に甲子園の準々決勝を見た。
横浜対東海大浦安戦。池袋のデパートのテレビに映る東海大浦安の
浜名投手の奮闘に目を奪われ、なかなかその場から動けなかった。
横浜が勝つだろうとの予想に反して、東海大浦安が勝ち進んだ。

準々決勝と並んで僕が注目している試合は8月15日の第4試合だ。
今年は習志野対明徳義塾戦、去年は確か智弁和歌山の試合だったと思う。
吹奏楽の名門でもある習志野高校の応援のサウンドは聴いていてとても
心地よかった。

5年前の8月15日、2回戦の第4試合は予定を大きく遅れて17時頃に始まった。
試合が中盤に差し掛かる頃には早くも照明が点灯し、外野に線審がつく
ナイトゲームになった。試合は1点を争う緊迫したシーソーゲーム。
中盤に逆転され1対2で迎えた8回表、僕の高校は3番4番の長打で再逆転に
成功する。3対2。7回裏の一死3塁のピンチで相手のスクイズをはずして
併殺した直後の逆転劇にスタンドは酔いしれた。

9回裏、アルプススタンドは誰しもが自分達の勝利を確信していた。
そんな状態だったものだから、平凡なゴロをショートがはじいて
内野安打が生まれ、ノーアウトのランナーが出たことなど誰も気にも
留めていなかった。かくいう僕も試合終了を見越して「楽器をしまおう」
なんて部活の友達と軽口を叩いていた。ひょっとしたらグラウンドにいる
選手達も同じような気持ちだったのかもしれない。

ノーアウトランナー1塁。
相手の打順はその試合当たっていなかった4番打者だった。
カウントワンボールからの2球目。

鋭い金属音。
球場が一瞬、静寂につつまれた。

振りぬかれた打球はぐんぐんと伸び、カクテル光線に照らされて
自分達の応援する3塁側のアルプススタンドに向かってくる。
いや正確に言うと打球がむかったのはアルプススタンドではなかった。
レフトは背中を向けて空を見上げた。
そのときのレフトの選手の顔は今でも鮮明に覚えている。
3対4、逆転サヨナラ負け。

僕は毎年8月15日の第4試合、必死に応援する3塁側のアルプススタンドを
見る度に、あの夏、あの場所で立ちつくしていた自分を思い出す。
それは苦くも痛くもなく、何故か不思議と甘い思いを伴って。


2001年08月04日(土) 「おじゅん」の名の由来

かつての日記にも少しばかりこの名の由来を記したと思う。
今となっては、その命名理由を知る人も多くこの日記を見ているので、
改めて記すのは少し恥ずかしいのだが、リクエストもあったことだし、
明日からの予定と絡めて話そうかと思う。

僕は明日5日から10日まで国際交流プログラムに参加する。
「国際交流プログラム」、そう書くと何だかニュアンスが
うまく伝わらないように思う。

このプログラムはこの夏で10回目の開催となる。
巷でよく見かける「国際交流プログラム」の類のように
後押しする団体があるわけでもなく、全くの手作りのプログラム。
僕の所属するゼミと韓国のある大学のサークルの学生で共同運営し、
夏に東京で、冬にソウルで開催される。プログラムでは日韓両国の
歴史・経済・政治・文化等々について討論したり、現地の学生の案内に
よって景勝地をめぐるツアーを行ったりする。

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本来であればゼミに参加できるのは学部3年生から、
しかも所属学科以外のゼミを受講することは出来ない。
けれど、こんなものは事務所の言う建前だ。
ゼミなんて先生に直談判すればまず受講を認めてくれる。
そんなこんなで僕は4つのゼミに所属している。
まあ数は何の問題でもないし、興味のあるテーマを扱うゼミに
出ればそれでいいのだと思う。それがたまたま4つあっただけだ。

とにかく僕はひょんな事から「学部2年」で「異なる学科」の
あるゼミに所属し、このプログラムに参加することになった。
どんなことだってきっかけなんて些細なことだ。
けれど、2年前の少しばかりの好奇心で僕の学生生活は
大きく変わった。

思い出の尽きないこのプログラムの中で、僕は韓国の学生達から
韓国の有名なコメデイアンにそっくりだと言われた。
その話はたちまちのうちに全メンバーに伝わり、
あろうことかメーリングリストで写真が公開されてしまった。
それを見た友人、「マジ受けた。やばい。お前そっくり」。
しこたま傷ついた。

そのコメデイアンの名は「Kwan Ohjung」。
送られてきた写真を見るにつけ慙愧に耐えないが、
これまであだ名なんてめったにつけられた事がないし、
まあ面白いかなと思いその「ohjung」の名を拝借したという次第。

あまりgoogleで検索したりとかしないように。調べた挙句、
画像を送りつけて「思わず苦笑」とかメールで送ってこないように。
21歳の男としてそれなりにプライドが傷つくので。
「うまく」イラスト処理されたサイトへプロフィールページから
リンクをはってあるのでそれで満足して・・・。

4回目の参加となる今度のプログラムで、僕は歴史問題を考える
グループに加わることにした。折りしも現在、日韓問題の悪化が
毎日のように新聞紙上を賑わせている。
絶えることなく生起するこれらの問題を、単に「右翼」や「左翼」
だとか、「自虐史観」や「修正主義」といったようにレッテルを
貼ることで割り切ろうとするのは、あまりにも一面的なやり方
ではないだろうか。

「何が問題なのか」、まずは問いを立てることから、
そして語ることから始まるんじゃないかな、何事も。


おじゅん |MAILHomePage

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