頑張る40代!plus

2002年04月30日(火) 頑張る荒らし君!

ここ数ヶ月、ぼくは人様の掲示板に書き込んだことがない。
もし、名前が「しろげしんた」なり「しんた」なりになっている書き込みがあったら、それは荒らし君の愉快ないたずらだと思っていいだろう。

昨日、久々に荒らし君が登場し、愉快な書き込みをしていただいた。
どうやら、「SHINTA」のドメインをよこせ、ということである。
そうは言いましてもねえ、ここはお金を払って借りているところだし、一年間使い切らないともったいない。
そういう理由があるんですよ、荒らし君。
君も言っているように、ぼくは貧乏人ですからねえ。
ということで、せっかく書き込んでもらったのだから、と少し申し訳ない気もしたが、削除させていただいた。

ところが、今日の夕方だったか、めけずにまた書き込みをしてもらった。
今度は過激な画まで入れてくれている。
ぼくは基本的にこういう面白い画は好きなのだが、ぼくのネットワークが削除してしまった。
これもまた惜しいことをした。
荒らし君は、またここに書き込んでくれるんだろうが、惜しむらくは、ぼくのネットワークが、また削除してしまうだろう。

しかし、これではみなさんに、荒らし君の活躍をお見せすることが出来ない。
どうしようか?、と悩んだ挙句、荒らし君専用の掲示板を作ることにした。
名付けて『頑張る荒らし君!』
『頑張る40代!』同様、可愛がって下さい。

さあ、荒らし君、君の未来はここにある。
頑張れ!!


ああ、忘れていた。
荒らし君、日記のネタをありがとう。
合掌!



2002年04月29日(月) ゴールデンウィーク

昨日から、やんぽう通信のほうに、『ミエコ』を書き始めた。
最初は毎日更新しようと思っていたのだが、日記も書かなければならないので、今のぼくには負担が多すぎる。
ということで、『ミエコ』の更新は、仕事が休みの日にします。
毎日の更新を期待していた人、ごめんなさい。

今度の休みは木曜日になるから、5月2日か。
え?! 何かこれは!
今、カレンダーを見て気がついた。
休みばっかりじゃないか。
ぼくは、ゴールデンウィークとはまったく縁がないので、今年のゴールデンウィークが、いつ始まり、いつ終わるかなんて気にしていなかったのだが、こんなのありか!?
まず、4月27日(土)から29日(月)まで3連休。
5月1日(水)がメーデーで休み。
3日(金)から6日(月)まで4連休、ときている。
何と、10日間で8日も休みじゃないか。
学生はメーデーは関係ないが、それでも7日も休みがある。

これを、ぼくが学生の頃の暦に置き換えてみると、
4月27日は土曜日だから学校がある。
28日は日曜日だから休み。
29日は天皇誕生日で休み。
30日から翌2日までは学校。
3日は憲法記念日で休み。
4日は土曜日で学校。
5日は子供の日だが、悪いことに日曜日と重なっている。
6日はもはやゴールデンウィークではない。
と、10日のうち4日しか休みではない。
ぼくたちは、休日率4割程度で喜んでいたのか。
28,29日の2連休だけだから、どこにも行けないし。
いったい、あの頃は何をしていたんだろう。

覚えているのは、小学校4年生の時、動物園に行ったことと、翌年、5年生の時に、クレージーキャッツを見に行ったことだ。
5年生の時は、クレージーを見ることよりも、同じ日に近くの市民会館でやっていた、ザ・タイガースがコンサートのほうが気になっていた。
ぼくとしては、クレージーよりもタイガースを見たかったのだ。
あとは、高校1年の時、柔道部で新入部員の歓迎キャンプに行ったことくらいか。
高校の裏山でキャンプをしたのだが、当然参加したのは野郎ばかりで、色気もくそもなかった。
まあ、ゴールデンウィークといったら、その程度の思い出しか残ってない。
やはり、夏休みや冬休みに比べると、ゴールデンウィークというのは印象が薄いものである。

そういえば、東京にいた頃、ゴールデンウィークに帰省したことがある。
20年以上も前の話だが、その頃はまだ今ほど民族大移動は行われていなかったような気がする。
なぜなら、その時は飛行機で帰ったのだが、スカイメイトを使ったため、空席待ちをしていた。
かなり時間がかかると思いきや、すぐに飛行機に乗れたのだ。
お盆や暮れの帰省時には、乗るまでにかなりの時間を要している。
やはりそこには、昔のゴールデンウィークは、今ほど休みがなかった、ということもあったのだろう。

しかし、3日休んで3日行って4日休むんじゃ、子供たちは浮ついて、勉強どころじゃないだろう。
ぼくたちの時代も、飛び飛びで休みだったせいか、学校に行っても、浮ついて勉強どころではなかった。
そのせいで、この時期に何度か、怪我をするなどの事故が起きている。
今回みたいに、3連休と4連休に挟まれた3日間というのは、ぼくたちの時代以上の危険性を持っているだろう。
政府もこのへんを踏まえて、いっそ企業並みに10連休などにしてはどうだろうか。
それが本当の意味の、ゆとり教育だと思うのだが。



2002年04月28日(日) いい一日

久しぶりに、日曜日が休みだった。
サービス業に携わっていると、なかなか日曜日に休みが取れない。
前の会社では、土曜日や日曜日に休みを取るには、店長の許可をもらわなければならなかった。
「店長、来月の○日の日曜日、友人の結婚式があるので、休みがほしいんですが」
「え、日曜日に? 断るわけはいかんとね」
「そんなことはできません」
「困ったねえ。で、披露宴は何時からあるんかね」
「午後1時からですけど」
「じゃあ、午前中は仕事が出来るやないね。で、何時まであるんかね」
「おそらく、3時までだと思うんですけど」
「じゃあ、それが終わってから来れるねえ」
と、いつもこんなやり取りをやっていたものだった。
披露宴で一杯やってから仕事をするというのも、考えものである。
とにかくきつい。
半分眠気もさしているから、効率が上がらない。
とくに、客商売という仕事の性格上、酒を飲んで仕事をするというのは、褒められたものではない。
一般にこの日だけは無礼講と言わていれる初売りでも、仕事中に酒を飲むことを、ぼくは好まない。
とにかく、前の会社は、土日の休みを罪悪視するようなところだった。
別に、ぼく一人休んでも、大勢に影響はないと思うのだが。

さて、今日は午前中に黒崎に行ってきた。
話題のブラウザ『Opera』の本が出ているといううわさを聞き、本屋にその本を探しに行ったのである。
しかし、その本を見つけることは出来なかった。
しかたなく、代わりに別の本を買おうと、店内をウロウロと探してみた。
歴史、新書、文庫、とくまなく探してみたが、これはという本は見つからなかった。

結局買ったのは、西岸良平のコミックだった。
ぼくは、この人の作品は、『夕焼けの詩―三丁目の夕日』しか知らなかったのだが、見てみると他にもいくつか描いている。
いくつも作品があるというのは、マンガ家だから当たり前のことだが、知らないタイトルのマンガを、知ったマンガ家が描いているのを見ると、「おっ」と思うものである。
「ふーん、『鎌倉ものがたり』か。知らんなあ。・・・、ん? おお、これ西岸良平やん!」
このマンガは、「漫画アクション」に連載されていたものらしい。
実は、ぼくが今までこの手の雑誌で読んだことがあるのは、ビッグ・コミック系の「オリジナル」と「スペリオール」、あとは「ヤングマガジン」くらいしかなく、「漫画アクション」は読んだことがなかった。
だから、『クレヨンしんちゃん』が、どの雑誌に連載されていたのかを、つい最近まで知らなかったのだ。

ということで、西岸さんのコミックを何冊か買い、雑誌のところに行ってみた。
パラパラとページをめくった。
「おお!」なんと、柳沢きみおの『翔んだカップル』を連載しているじゃないか。
タイトルは『翔んだカップル21』になっているが、まさしく『翔んだカップル』である。
知らなかった。
あの名作が、アクションで蘇っていたのか。
買ってみようか、とも思ったが、電車の時間に間に合わないので、今日は買わずに帰った。

今日は黒崎に行く前から、かなり時間を気にしていた。
なぜなら、今日は、午後1時からテレビで「ダイエーVSオリックス」の試合があったからだ。
寺原投手の福岡ドーム第一球を、どうしても見ておきたかったのだ。
ぎりぎりセーフだった。
駅から走って家に帰り、慌ててテレビをつけると、寺原が今からまさに投げようとしていた。
しかし、今日の寺原はよかった。
もっと投げさせればよかったのに。

今日は天気も崩れなかったし、西岸良平の本も手に入れたし、ダイエーも勝ったし、まあ、いい一日だったと言えるだろう。
おっと、もう3時やん。
明日は仕事だし、もう寝ることにしよう。



2002年04月27日(土) おすすめサイト!

久々に長編に取り組んでいる。
今日は仕事が暇だったので、「ミエコ」のことを下書きしていた。
すでに、何日か分の下書きが出来た。
さて、それを書いていて、気がついたことがある。
それは、今回はあまり本人が出てこない、ということだ。
また、本人が何かをやらかした、というのも出てこない。
目立つのは、ミエコの周りのキャラばかりである。
「この時のミエコの上司は誰々で・・・。あ、そういえばこの人は、こんなことをしでかした人だったんだ」
そう思うと、そのエピソードも入れないと気がすまない。
そういうエピソードも入れているので、かなり長くなったのだが、ミエコ本人のことに触れているのは、ほんの少しなのである。
ま、これはあくまでも下書きなのだから、後で修正していけばいいや、と思っているところである。

さて本題です。
何日か前にある企業からメールをいただいた。
ぼくは、メルマガをかなり多くとっているのだが、あまり読んだことはない。
なぜそのメールを読んだのかというと、普通のメールは本名で来るのだが、その企業のメールは『しろげしんた』様で来ていた。
それで、興味を持ったのである。
中身を読んでみると、「頑張る40代!」のスポンサーになりたいという。
スポンサーと言うと大げさだが、要はバナー広告を貼らせてくれ、というのだ。
バナー広告には、以前フラれた経験がある。
携帯電話代がかさむので、何とかしなければと思い、バナー広告でも貼ってみようかということになった。
そこで、ネットでそういうところを探し、その中で一番堅実そうなところを何件か選び、申請してみた。
数日後、すべてのところから、『うちには合わない』という旨の返事をもらった。
その時ぼくは、「上等やないか。じゃあ、そちらからバナーを貼ってくれというサイトにしてやろうやないか」と思ったものだ。

それから約一年、ようやくそういうところが現れたのだ。
喜んだぼくは、その企業のサイトを訪れ、内容を読んでみた。
すると、その企業が貼ってくれというのはバナーではなく、リンクのほうだった。
そこは、携帯サイト専門だったのだ。
まあ、別に収入を得られるのなら、携帯でもかまわんと思い、とりあえず申し込んでみた。
一時して、先方から返事が来た。
「OKです」とのことだった。
さっそく、携帯のサイトにスポンサー様の用意したソースを貼り付けた。
そこには『おすすめサイト!』と書かれていた。
とりあえず、そこをクリックしてみると、出会い系サイトの案内がでてきた。
内容は随時更新されるらしいので、ま、こんなのも有りだろうと、別に気にしないでおいた。

それから2,3日、仕事が忙しかったので、スポンサー様のことをすっかり忘れていたのだが、今日ふと思い出して、スポンサー様をクリックしてみると、なんと今日の案内はアダルト系だった。
もう一度戻し、クリックしてみると、今度は出会い系。
さらに戻して、クリックしてみると、そこには筆舌に尽くし難い言葉が書いてあった。
『頑張る40代!』は、「ちょこっとギャグ系サイト」ではあるが、決して「出会い系サイト」や「アダルト系サイト」ではない。
それなのに、そこに『おすすめサイト!』というコンテンツがあって、そこをクリックしたら、アダルトサイトに飛ぶ、となると問題である。
仕事中にそのことに気がついたので、家に帰ってから、すぐにこのリンクをはずすつもりでいた。
しかし、迷っていた。

家に帰ってから、「どうしようか」と、自分の右手を見るに至った。
ぼくは、迷うことがあると、最後はいつも、自分の右手を見ることにしている。
なぜなら、そこには勇気が隠されているからだ。
ぼくの右手の感情線は、手の端から端までまっすぐ横切っている。
いわゆるマスカケという手相である。
この手相を持つ人は、転んでもただ起きない性格だという。
ぼくは、自分がそういう性格であると思うことで、いつも勇気が沸いてくる。
だから、何かあるとすぐに右手を見てみるのだ。
ということで、今回は、「転んでもただ起きない性格」と確信することが、「これは好都合だ。日記のネタに利用させてもらいましょう」という答を導き出した。

ま、とりあえず携帯のサイトにある、『おすすめサイト!』を見てみて下さい。
そして何度か更新してみて下さい。
いろんなサイトが紹介されているはずです。
明日リンクを外しますので、お早目に。

最後に、『頑張る40代!』は、決してそんな浮ついた「アダルト系サイト」や「出会い系サイト」なんかではない!
ということを名器して、今日の日記を終わります。
・・・あっ、しまった!



2002年04月26日(金) 序

ぼくが、パソコンを買った理由は、別にホームページを始めようと思ったからではない。
その当時、�颯癲璽疋瓠璽襪砲呂泙辰討い燭里世�、どうも文字数が少ない。
もともと文章にこだわるほうだったので、全角250文字では自己表現が出来ないのだ。
パソコンを買うのが一番いいのだけど、その頃はパソコンに対しては何の興味も持っていなかった。
とりあえず、パソコン以外で何かいい方法はないか、と探していたところ、ドコモのカタログで「モバイルギア」というのを見つけた。
博多まで出向いて、モノを確認し、近くのドコモショップでそれを買い求めた。
その当時、どんなメールをしていたか?
そう、それが今の日記のようなものだった。
その日の出来事とか、東京時代の思い出などを、何人かの人に送っていた。

その後メールにも飽きてくると、今度はインターネットなるものに興味を持ってしまった。
特にどういうサイトを見たいというものはなかったのだが、とにかく一度ホームページというものに触れてみたかった。
そうこうしているうちに、パソコンを手に入れてしまった。
例の「モバイルギア」で苦労したおかげで、インターネットの設定などに戸惑うことはなかった。
とにかく、モバイルギアの設定は難しかった。
プロバイダ選びも、迷うことはなかった。
モバイルギア時代に、いろいろ比較検討して加入したプロバイダを、そのまま使うことにした。
そのプロバイダは、今もメインにしている。

ところで、パソコンを手に入れる以前から、ぼくは自分の詩や歌を、どこかで発表したいと思っていた。
その後、パソコンを始めてから、ホームページの存在を知り、いつか自分のホームページを作ろうと思うようになった。
しかし、詩や歌だけでは面白くない。
「何か他にないか?」といろいろ考えていた時に、ふと面白い人間を紹介することを思いついた。
ぼくは、学生時代から面白い人間に縁がある。
そういう人たちを紹介できたら、ホームページも賑わうだろう。
そう思ったぼくは、さっそく文章を書き始めた。
「まず、誰を書こうか」と迷った末に、モリタ君のことを書くことにした。
なぜモリタ君を選んだかというと、彼が、受けそうなエピソードをたくさん持っているという理由からである。
実は、ぼくが前に勤めていた会社には、どこに出しても恥ずかしくない奇人変人が、4人いた。
その中に、モリタ君が入っているのかというと、そうではない。
その4人組がレギュラーで、モリタ君は補欠くらいの存在だった。
しかし、いざ文章にするとなると、その4人組ではどうもしっくりこない。
理由は、受けそうにないエピソードをたくさん持っているからだ。

さて、今から紹介する「ミエコ」であるが、残念ながらその4人組の中には入っていない。
4人組に入ってないということは、そのエピソードが受ける、ということか?
それは、書いてみないとわからない。

彼女はあくまでも普通の女の子である。
ただ、「ちょっとアホ」ということを除いては。


 ※なお、ミエコのことについては、「やんぽう通信」に、ぼちぼち掲載していくことにします。



2002年04月25日(木) ぶー

日頃の行いがいいのか、今日は寝坊せずに、無事に7時半に家を出ることが出来た。
さらによかったのは、渋滞の時間より早く、慢性渋滞地域を通り過ぎたので、懸念していた大渋滞にあわずにすんだ。
着いたのは、予定より20分も早く、8時5分だった。
これも、日頃の行いがよかったからだろう。
今日はいいことがありそうな気がする、と思っていると、大変なことに気がついた。
靴とズボンのすそが汚れているのだ。
「どうしたんだろう?
・・・あ、そうか!」
そういえば、車を駐車した場所がぬかるんでいた。
そこで汚れたのだろう、泥がいっぱい付いている。
『ちぇっ、いい日じゃないやん』

さて、8時半になり朝礼が始まった。
今日のスケージュールや、役割分担を発表している。
その間ぼくは、「何時に帰れるんだろう」などと考えていた。
朝礼後、ぼくは同じくうちの店から応援に来ているもう一人の人と、カゴやカートの整理をしていた。
すると、商品部の課長がぼくのところに来て、「あんたんとこ店は、男二人もきとるんね」と言った。
「はい」
「二人もいらんやろ。今日からそちらも売り出しのに」
「そうですね」
「しんた君は帰っていいよ。その分売上げ上げて」
新店は食品中心の店で、一度も食品に携わったことのないぼくは、内心ほっとしていたが、もう一人の人に悪い気がして、躊躇していた。
そこに、店舗のほうの課長がやってきた。
「しんた君、帰り。ここは一人でいいよ」
ということで、ぼくは店に帰ることになった。
朝礼が8時半、ぼくが「帰れ」と言われたのが9時10分、その間やったことはカゴとカートの整理だけだった。
前の日に渋滞のことで悩み、普段より1時間半も早く起きて家を出、朝礼後に「帰れ」である。
いったい何しに来たんだろう。

さて、店に帰る時に、ひとつ気になっていることがあった。
それは、今日は普段と違う格好をしている、ということだった。
普段と違う格好とは、Yシャツ・ネクタイ姿である。
新店の応援者は全員ネクタイ着用、となっていたから、いやいやそういう格好をして行ったのだ。
ぼくは普段店では、荷出しなどの作業が多いので、Tシャツの上に店のジャンバーを引っかけているだけである。
しかも、4月に入ってからは、店の中が暑いので、ずっと半袖である。
ところが今日は、「外にいることが多くなるだろう」と聞いていたので、わざわざ長袖のYシャツを着て行った。
それが、店に戻ることで裏目に出るのだ。
「このままの格好でおろうかのう。Tシャツの新しいの買おうかのう」
そんなことを考えているうちに、店に着いた。

店長が「どしたん?」と訊いたので、帰ってきた理由を説明した。
それから売場に行き、売出しの準備をした。
しばらくして、店の朝礼が始まった。
ところが、パートさんがみな、ぼくのほうを注目している。
ぼくが「どうしたんだろう?」と思っていると、
「しんちゃん、ヘンな格好」
「何でネクタイとかしとるんね?」
と言い出した。
しまいには笑い出す人も出る始末だ。
ぼくが「そんなに、おかしいかねえ」と訊くと、「だって、見慣れんのやもん」と言う。
ぼくは、密かに『自分はネクタイ姿が似あっとる』と思っていたので、これはショックだった。
朝礼が終わった後、慌てて隣の衣料品売場に行き、Tシャツを買った。
何とか動きやすい格好に整えた。
しかし、Tシャツのほか、ポロシャツなども買ったため、結局8千円ほど使ってしまった。
予期せぬ出費である。
いずれ買おうとは思っていたが、今日買うとは思ってなかったので、少し損をしたような気がする。
『チェッ、全然いい日じゃないやん。ぶー』

さて、今日はここまでです。
「ミエコちゃん」を期待していた方、もう少しお待ち下さいませ。



2002年04月24日(水) 明日は早出だ

明日は何年ぶりかの早出である。
新店オープンのため、応援に行かなければならない。
朝8時半に集合ということだから、遅くとも7時半に家を出ないと、間に合わない。
新店は、うちの店からあまり離れていない場所にある。
家からの直線距離では、若干近い。
ということは、普段なら20分ぐらいで着く距離なのだが、何せ時間が時間である。
一般の人の通勤時間と重なってしまう。
となると、これは地獄である。
こちらの渋滞は、生半可なものではない。
ノロノロでも前に進めばいいのだが、こちらの渋滞は進まない。
ひどい時には、20分かかって10mほどしか進まなかったこともあるのだ。
今は、道路状況も少しは改善されているから、そこまでの渋滞はないだろうが、それでも覚悟はしておかなければならない。

以前も、同じ時間に出勤しなければならないことがあった。
その時には倍の時間を見積もっていた。
つまり、集合時間の40分前に家を出たのである。
しかし甘かった。
着いたのは、集合時間から10分ほど過ぎた時間だった。
当然、「お前、もっと早く出て来い!」と文句を言われた。
ということで、今回は通常の3倍の時間を見積もって、1時間前に家を出ることを決めたのである。
新店のある場所も確認してきた。
どの道を通れば早く着くかも調べた。
おそらく明日は楽勝だろう。
しかし、それもこの日記が何時に書き終わるかにかかっている。

そういえば、前にいた会社に、ミエコという女の子がいた。
彼女はぼくの部下だったのだが、遅刻の多い子だった。
その遅刻の理由というのが面白かった。
普通、会社での遅刻というのは、「寝坊した」「電車が遅れた」「渋滞に巻き込まれた」という理由が圧倒的に多いだろう。
しかし、ミエコの場合は違っていた。
彼女は、「9時半に会社に着くためには、何時に家を出たらいいのか」という計算ができなかったのだ。
「ミエコ、お前、今日何時に家出たんか?」
「8時50分」
「お前の家からここまで1時間かかるのに、どうして40分前に家を出るんか」
「だって、何時に出ていいか、わからんやったんやもん」
「お前、9時半の1時間前っちゃ何時か?」
「9時半の1時間前やろ、うーん、8時半!」
「そう、8時半やろ。じゃあ、何でその時間に出らんとか」
「ああ、そうか。そうやって計算するんか」
である。
しかし、その翌日には、決まって突拍子もない時間に来たものだ。
一度、8時に来たことがある。
「お前、何時に家出たんか?」
「7時!」
「ばかか、お前は!前にも言うたやろ、8時半に家を出れば間に合うっち」
「ああ、そうやった」
しかし、その翌日には、また遅刻である。
このミエコとあのモリタ君のおかげで、ぼくはいつも神経をすり減らしていた。

さて、学生時代の半分以上を遅刻していたぼくはどうだったのか、というと、前の会社ではいたって真面目だった。
遅刻したのは2回だけであった。
一度目は、歩道橋の階段の手すりに頭をぶつけて、5針縫う怪我をした時だった。(11月3日の日記参照)
二度目は、ストーブの火を消し忘れ、途中でそのことに気づいて、引き返した時である。
会社には電話を入れておいたが、理由が理由だけに、何も咎められなかった。

あ、もう午前0時を過ぎている。
早く寝ないと遅刻してしまう。
ということで、新たに登場したキャラ「ミエコ」のことは、また追って書くことにします。



2002年04月23日(火) 人間昆虫記 卵編

ヒトは誰しも、卵の時期がある。
離乳食を食べるようになり、二本足で歩けるようになるまでが、その時期に当たる。
一般に「かわいい、かわいい」とちやほやされる時期である。
だいたい、この時期は見るもの触るものに興味を抱くだけだと思われがちだが、この時期の精神活動たるものや、凄いものがある。
前世のトラウマ、プライド、癖、しがらみ、などすべてを清算する、という大事業を行っているのだ。
ここで、前世を清算して、新しい人生を始めるのである。

時に、わけのわからないことで泣き出す赤ん坊。
実は、この時に過去を清算しているのだ。
よく、赤ん坊は我々大人が見えないものを見、聞こえないものを聞く、と言われる。
赤ん坊が見ているもの、それは神なのである。
赤ん坊が聞こえるもの、それは天の声である。
「こんにちは。神様です」
「だ?」
「今日は、過去を清算しに来た」
「だあ」
「○子ちゃんを覚えておるか?」
「だあ」
「そう。小学生の頃、お前が家庭科の時間にコショウをばら撒いて、くしゃみをさせた子だ」
「だ、だあ」
「覚えてないだと?わしにごまかしは通用せん」
「ぶう」
「あの子それからどうなったと思うか?」
「だあ」
「知らない、か。あの子はあれから、強度のアレルギー性鼻炎になったのだ」
「・・・」
「おかげで、春先にはいつも花粉症に悩まされておった」
「・・・」
「かわいそうなことに、それが原因で婚期を逸してしまい、彼女は一生独身だったのだ」
「・・・」
「その記憶は消そう。しかしだ。今生、○子ちゃんはお前の妻になることになる」
「ぶう」
「何、好みじゃないだと?今生は好みになるのじゃ」
「ぶう、ぶう」
「性格悪かっただと?それは、お前が原因じゃないか」
「・・・」
「いいか、一生かけて○子ちゃんに償いをしろ」
「ぎゃあ」
「ふん、泣いても無駄だ」

「お前、酒が好きだったなあ」
「だあ」
「残念だが、今生では、お前は酒を受け付けない体質になるのだ」
「ぎゃあ」
「お前は前世、何度酒で失敗したと思っているのだ」
「ぶう」
「何?失敗してないだと。よく考えてみろ」
「だあ、だあ、だあ」
「ブー。3回じゃない。それは宴会で醜態を演じた数じゃないか。そうではない。前世お前は酒を飲んだ数だけ、失敗しているのだ」
「だあ」
「何を失敗したかって?人を傷つけたんだよ」
「だあ?」
「お前は前世で、よく人のことを観察していただろうが」
「キャッ、キャッ」
「笑い事ではない!それで充分に相手は傷ついたのだ。お前は人を観察しながら、時折その口から毒を吐いていただろうが。変なことばかり言いやがって。相手はそれで寿命を縮めたんだ」
「・・・」
「いいか。今生お前は、アルコールのにおいを嗅いだだけで、酔っ払う体質になるのだ」
「ふ、ぎゃあ。ふぎゃあ」

「お前は、今生もグリーンピースを食べない気でいるな」
「だあ」
「しかしだ。今生では食べてもらう」
「ぎゃあ」
「だめだ。グリーンピースの件は厨房の神様から強く言われていることだ。お前がファミレスで、ピラフに入っているグリーンピースを残したおかげで、ファミレスの従業員や周りの人がどれだけ迷惑したことか」
「だあ?」
「汚いんだよ。その残し方が。他の人のスープのカップの中に入れたり、皿の上でつぶしたりして。挙句の果てには、グリーンピースを、人が飲んでいるコーヒーの中や、背中に入れたじゃないか!」
「・・・」
「ふん、寝たふりか。まあ、好きにするがいい。お前の離乳食は、ピースご飯で決まりだ」
「ふ、ふぎゃあ」

・・・・・

ヒトは誰しも、卵の時期がある。
この時期、ヒトは前世を清算するという。

 ※すべてフィクションでございます。



2002年04月22日(月) 大人を逃げていませんか?

最近テレビで、「大人を逃げていませんか?」という公共広告機構のメッセージをよく見かける。
子供に対して、何も注意しない大人が増えているのは確かだが、考えてみたら、大人が子供を注意しないのは、別に子供を恐れているのではなく、その後ろにいる親を気にしているのだ。
彼らは実にうるさい。
どんな悪いことをしても、自分の子は正しいと思っている。
他人の介入を一切許さない。
口では体罰を認めても、自分の子は別だと思っている。
悪くすると、裁判沙汰になる。
結局、「こんな親を持つ子供に、誰が関わるか!」ということになる。

前の店にいた時のこと。
ぼくの部門は2階にあった。
そこには1階から上がってくるエスカレーターがあったのだが、そこを子供たちが駆け下りるのだ。
ほとんど毎日のことだった。
おそらく、親は下で買い物をしているんだろう。
もしこれで事故でもあった場合は、当然のように店が責任を問われる。
怪我でもされたら、賠償金ものである。
しかし、問題はそういうことではない。
下手をすれば、大怪我をするかもしれないのだ。
怪我をして一番困るのは、怪我をした子供本人じゃないか。
それを教えるのが、大人の務めである。

そう思ったぼくは、駆け下りる子供を見つけるたびに注意していた。
最初は「そこで遊んだら危ないよ」だったが、そんな優しい言い方をしても子供たちは聞かない。
「だって、ここ下りのエスカレーターがないやん」
生意気である。
そこで、ぼくは怒鳴ることにした。
「こらー、どこを駆け下りよるんか!!」
「ここで遊んだら、死ぬぞ!!」
効果覿面だった。
駆け下りていた子も、途中で下りることをやめ、2階まで上がってくる。
そして、すごすごと階段を下りていくのだ。
しかし、また別の子が同じことをやっている。
そこでまた怒鳴り上げる。
その繰り返しだった。
親がいても関係ない。
注意しないほうが悪いのだ。
ぼくは、どんどん怒鳴ってやった。

ある時、小学校の社会見学で、団体の小学生が2階に上がってきたことがある。
先生がいるから大丈夫だろうと安心していたのだが、子供たちは相変わらず駆け下りをやっている。
そういう場合、先生が注意するものと、ぼくは思っていた。
しかし、先生は何も言わない。
ただヘラヘラと笑っているだけである。
カッとしたぼくは、いつも以上に声を張り上げ、「こらー、そこで遊ぶな!!」と怒鳴った。
その時、先生が言った言葉に呆れてしまった。
「ははは、ほーら怒られたやろうが」、だった。
『あんたたちは、引率者やないか。何をノー天気なことを言いよるんか。怪我をされて困るのは自分たちやないんか!』
ぼくは、この言葉がのどまで出かかったが、言うのをやめた。
こんな奴らに何を言ってもだめだ、と思ったからである。

ところで今日、うちのパートさんから胸のすく話を聞いた。
バスに乗った時のこと。
バスの中で、子供が騒いでいたらしい。
その子の母親は、周囲への建前から、「運転手さんに叱られるから、静かにしなさい」と注意した。
すると、それを聞いた運転手さんは、マイクで「叱るのは親の仕事でしょ」と言ったらしい。
母親は、真っ赤な顔をしていたという。

店で子供が騒いでいたりすると、母親やばあさんがこちらを見て、「ほら、静かにしないと、おじちゃんに叱られるよぉ」などと言っている。
よくよく考えてみると、おじちゃんが悪者になっているのだ。
悪者逃れをしている悪者は、あんたたちでしょうが!



2002年04月21日(日) ほら吹き

K−1を見ながら書いている。
ぼくはK−1のことはよく知らない。
テレビでK−1をや見る時は、「これとキックボクシングと、どう違うんだろう?」といつも思っている。
またその連想から、沢村忠やロッキー藤丸の名前を思い出したりしている。

キックボクシングは、ぼくが小学校高学年から中学にかけて、一大ブームを起こした格闘技だった。
その中でも、沢村忠はひときわ目立っていた。
プロレスでいえば力道山、野球でいえば長嶋茂雄、ボウリングでいえば中山律子的な扱いの人だった。
いわゆる時代の寵児である。
この人の半生をつづったアニメ『キックの鬼』は、クラスの男子全員が見ていた。
また、カネボウハリスが発売していた『キックガム』の点数を集めたらもらえるメダルシールは、当時の男子の憧れの一品だった。
他にも、チャンピオンベルトをもらえる企画などがあった。

沢村忠といえば、いつも思い出すことがある。
キック全盛の頃、ぼくは柔道を習っていた。
講道館指定の町道場に通っていたのだが、そこの先生の思い出である。
先生は、柔道家というよりも、実業家タイプの体格をしていた。
事実、ある会社の創業者だった。
柔道は八段で、他にも数々の古武術の段位や、柔道整復師などの国家資格を持っていた。
今でも先生の名刺を持っているのだが、名刺にはそういう肩書きばかり書いている。

さて、この先生、肩書きどおり腕も達者だったのだが、口も実に達者だった。
確かに実績のある方で、文化勲章などをもらったり、新聞雑誌に紹介されたりしていたのだが、それ以上に言うことが大きかった。
いつもいつも、自慢話を聞かされたものだ。
時には、「力道山は先生が教えた」などという、大それたことを言うこともあった。

ある日のこと。
突然先生が「今度、沢村忠が先生を訪ねてくる」と言い出した。
ぼくが「先生、沢村忠知ってるんですか?」と聞くと、先生は「おう、沢村忠はなあ、先生の弟子だ」と言った。
「沢村忠は、先生のところに泊まるんですか?」
「おう」
みんな、「すげえ」「会いたい」などと言っている。
ぼくも会いたかった。
「で、いつ来るんですか?」
「○月×日の土曜日に来る」
「え、本当ですか?」
「おう」
ということで、みんなその日を楽しみに待っていた。
ぼくは学校で柔道を習っていることを、誰にも言ってなかったので、沢村忠の件も口外しなかった。
しかし、他の人はその通っている学校でかなり広めたらしい。
そのため、沢村忠に会いたいという理由で、道場に入門する者も出てきた。

さて、その○月×日土曜日。
土曜日の練習は、午後3時から5時までだった。
しかし、その日はみな学校が引けてから、すぐに道場にやってきた。
1時半には、大半が集まっていた。
誰もが、沢村忠を見たい一心だったのだ。
しかし、練習が始まるまで、沢村忠は来なかった。
練習が始まったが、誰も真剣にやっているものはいない。
いつ沢村忠が来るのか、そればかりを気にしていた。
途中で先生がいなくなると、「沢村忠が来たんやろうか?」などと言っている。
一時して先生が戻ってくると、「先生、沢村忠は来ましたか?」などと聞く。
結局、沢村忠が来ないまま、練習は終わった。
誰もが、
「沢村忠、何しよるんかのう」
「おれ、ちょっと待っとこう」
などと言っている。
5時半を過ぎた頃、先生が戻ってきて、「何をしよるんか。早く帰りなさい」と言った。
「でも、沢村忠がまだ来てないけ・・・」と誰かが言うと、先生は「沢村忠から、さっき『夜中になる』と連絡があった」と言った。
一同「ええっ!」、であった。
しかたなく、みんな帰って行った。
しかし、ぼくは残っていた。
道場の奥に、こそーっと隠れていたのだ。
7時が過ぎた。
まだ来ない。
8時になった。
もうだめだ。
結局あきらめて、家に帰った。

しかし、ぼくは癪であった。
で、次に道場に行った時のこと。
誰もが「しんた君、沢村忠来た?」と聞いてきた。
ぼくは「おう、来たよ」と言った。
「あーあ、待っとけばよかった」
「握手もしたし、サインももらった。それと、いっしょに風呂にも入った」
「ええっ?!、風呂にも入ったと。いいのう」
8時まで待ったのである。
このくらい言っておかないと、気がすまない。
しかし、本当のところはどうだったんだろうか?
ぼくは、道場にいた先生の孫に訊いてみた。
「おい、本当に沢村忠は来たんか?」
「さあ、ぼく知らんよ。ちょっと、お母さんに聞いてくる」
『お母さん』、先生の長女である。
同じ家の敷地内に住んでいた。
しばらくして、孫が戻ってきた。
「来てないらしいよ」
話を聞いてみると、道場の練習生が、あまりに「沢村忠、沢村忠」と言って騒ぐので、先生が妬んでそういうほらを吹いたんだろう、ということだった。

そんな先生も、十数年前に他界してしまった。
今では懐かしい思い出である。
そういえば、K−1で思い出したが、今度極真の国際大会を福岡でやるらしい。
極真と言えば、空手バカ一代『大山倍達』。
彼も先生の弟子の一人である。
もちろん、先生の中では、であるが。



2002年04月20日(土) コーヒー

今日は朝から気分が悪かった。
昨日はコーヒーを飲みすぎた。
ブラック、カフェオレ、缶コーヒーなど、確実に1リットル以上は飲んでいる。
おそらく、そのせいで胃が荒れたんだろう。

ぼくは基本的にコーヒーが好きではない。
これは、小学生の頃の体験からきたものである。
確か小学4年生の秋頃だったと思うが、テレビで『ネスカフェ』のCMを見て、無性にそれを飲みたくなったことがあった。
そこで、家にあったネスカフェを取り出し、自分で入れてみることにした。
しかし、それまでぼくは、コーヒーといえばコーヒー牛乳と、学校の給食に出るコーヒー入り脱脂粉乳しか飲んだことがなかった。
したがって、コーヒーの入れ方もよくわからない。
「このくらいだろう」と思って、コーヒーカップの半分位ネスカフェ粉を入れてしまった。
えらく苦かったが、「コーヒーとはこんなものだろう」と思って、全部飲んでしまった。
じわじわと気分が悪くなり、吐いてしまった。

その年の冬、親戚の家に行った時のこと。
おばちゃんから、テトラパックのコーヒー牛乳をもらった。
さっそく飲んだのだが、ちょっと苦めだった。
飲んだ後、またじわじわと気分が悪くなり、吐いてしまった。
実は、これは練炭にやられたのだった。
窓を閉め切っていたため、軽い一酸化炭素中毒になってしまったのだ。
しかし、その時はそういうことを知る由もなく、ただコーヒーにやられたと思っていた。
それから7,8年間、ぼくはコーヒー関係の飲み物を一切口にしなかった。

なんとか、その『コーヒー=気分が悪くなる』という呪縛から逃れたのは、本格的にタバコを吸い始めた頃だった。
予備校に通っていた頃だったか、昼食を食べるために、ぼくはよく学校の近くの喫茶店に通っていた。
その店には、ぼくが高校の頃から飲み始めた紅茶が、メニューになかった。
何度か「ここは、紅茶をメニューに入れんと?」と訊いたが、いつも答は「入れんよ」だった。
しかし、食事の後に、水を飲みながらタバコを吸うのも味気がない。
そこでぼくは、タブーに挑戦することにした。
なるべく胃に負担をかけないようにミルクをたっぷり入れ、飲みやすいように砂糖を少し多めに入れた。
恐る恐るこの液体を口の中に入れてみると、これがおいしい。
さらにタバコを吸ってみると、これがまた合う。
以来、コーヒーとタバコは、切っても切れない仲になった。
後年、ぼくは何度か禁煙をしたが、その間喫茶店でコーヒーを飲むたびに、口寂しさを感じたものである。

この『コーヒー+タバコ』には、意外な効能があった。
お通じに良いということである。
ここで初めて、高校の時、保健の先生が「『タバコは百害あって一利なし』とよく言うが、一利はある。それはお通じに良いということだ」と言った意味がわかった。
若い頃、ぼくは便秘症だった。
それが、この『コーヒー+タバコ』で改善されていったのだ。
最初の頃は、喫茶店に行くたびに、便意を催して困ったものだが、それも徐々に治っていった。

しかし、それでコーヒーが好きになったのかというと、そうでもない。
コーヒーは2杯が限度である。
それ以上飲むと、今日のように胃が荒れてくる。
そういうこともあり、ぼくは、ファミレスに行った時は、コーヒーを注文しないようにしている。
何杯飲んでもただだから、調子に乗ってお代わりをしてしまうからだ。
だから、ファミレスでは他の飲み物を注文している。

ところで、家でコーヒーを飲む時に、ミルクや砂糖のほかに入れているものがある。
それは塩である。
ミルクや砂糖を入れた後に、塩を指で軽くつまんで、パラパラと振りかけるのだ。
これで味ががらりと変わる。
何と形容していいのかわからないが、とにかくまろやかな甘さになるのだ。
このことを人に言うと、いつも「お前、馬鹿やないんか」と言われるが、おいしいものはおいしい。
そういう人には、このおいしさは一生わからないだろう。

これをやる時に、気をつけなければならないことがある。
それは、砂糖と塩を間違えて入れないこと、である。
ぼくは過去3度、この間違いを犯した。
さすがに飲めたものではなかった。



2002年04月19日(金) 夢は天才である

昨日は、「今日は休み」と書こうとして、変に時間を食ってしまった。
おかげで、また徹夜である。
寝たのは、結局午前7時を過ぎていた。
先日ラジオを買ったということを書いたが、このラジオには目覚まし機能がついている。
買ったその日に、午前8時にラジオがなるようにセットしておいたのだが、今日はそれが災いした。
寝入りばな、「真紀子がどうした、こうした」という声が聞こえてきた。
「真紀子なんかどうでもいいやん」、と大声を出して起き上がった。
しかし、周りを見回したが誰もいない。
『おかしいなあ』、声はまだ続いている。
声の主を探すと、窓際にそれはあった。
「なんか、ラジオやんか。驚かしやがって」
と、ラジオのスイッチを切り、また寝た。

10時頃だったろうか、変な夢を見た。
『場所は会社である。
どういうわけか、ぼくは布団の中に入って寝ているのだ。
隣の部屋では会議をやっている。
そこでは、「しんたはだめやのう」などと言い合っている。
と、突然風景が変わった。
場所は、どこかの埠頭である。
何故かぼくは、翌日にあるという、卒業試験のことで頭がいっぱいだ。
高校の同級生が多数出演して、校長から表彰されている。
そこに、二人の男がギター(KISSのモデル)を持って現れた。
「今度、プロデビューすることになりましたー」
と言って、突然演奏を始めた。
ひげを伸ばしているが、顔は見たことがある。
彼らも同級生である。
「おいおい、44もなって、まだあんなことやっとるんか。あいつら」
と言う声が聞こえる。
何でも彼らは、ラジオ局とタイアップして、ホークスの歌を作るらしい。
そのタイトルを募集しているという。』

そこで、目が覚めた。
「何なんだ、今の夢は」と思いながら起き出すと、まだ彼らの歌が鳴っているじゃないか。
しかし、周りを見回したが誰もいない。
「もしかして」と思い、耳を傾けると、やはりそうか。
声の主はラジオだった。
「おかしいなあ。さっき切ったはずなのに」と、いろいろ調べてみたら、今回買ったラジオは、2種類のアラーム設定が出来る機種だということがわかった。
そこで、設定時間を調べてみると、ちゃんと午前10時に設定してある。
おそらくこれを買った日、いろいろといじっくっていた時にでも設定したのだろう。

しかし、夢というのは不思議なものである。
最後の「ホークスの歌」というのは、ラジオで言っていることがそのまま夢の中に入ってきたのだが、その前後の話とその部分が、ちゃんとつながっているのだ。
おそらく、二人の同級生がギターを持って現れた時には、まだ曲もかかっていなかっただろうし、ホークスのことも言ってなかったはずだ。
夢というのは、まさに天才である。
いかに優れた作家といえども、突然飛び込んできた話を、瞬時にその前後の物語とつなぐことなんて出来ないだろう。
ということは、人間の潜在能力には、作家の才能も眠っているということになる。
そうか、その部分を鍛えたら、文壇デビューも夢じゃないわけか。
でも、どうやって潜在能力を鍛えるんだろう?
うさぎ跳びしたり、滝に打たれたりするんかなあ。
まあしかし、物語を作ることなど、ぼくには到底出来ないことだし、「鍛える」という面倒臭い行為は、ぼくには向いてない。
日記で精一杯だ。
目が覚めてからは、そんなことばかり考えていた。

ということで、今日はラジオと夢に振り回された一日だった。
ああ、そうだ。
書き忘れていたが、今日は仕事が休みだったんです。



2002年04月18日(木) とうとうこの日がやって来た

ここ数日、午前0時を過ぎると、突然襲ってくる睡魔。
今のぼくの体力では、到底この睡魔と闘うことは出来ない。
日記の更新が朝になってしまう。
そのために早起きしなければならない。
だけど寝不足は解消できない。
また午前0時に睡魔と闘うはめになる。

おまけにネタにも詰まっている。
今日がどういう日だったのか、さっぱりわからない。
ただ忙しかっただけ。
これでは話にならない。
具体的なものが何もない。
確かに、売り出しの初日ということもあった。
確かに、商品が大量に入荷したということもあった。
しかし、具体的にそれがどう忙しかったか、ということを語ることが出来ない。
いや、そういうことを語っても、何の意味も持たない。
自己中おばさんに一撃を加えたことに、何か意味があるだろうか?
ラベラーを置き忘れて大騒ぎしたことに、何か意味があるだろうか?
くしゃみと同時に鼻水を飛ばしたことに、何か意味があるだろうか?
倉庫の整理中、肩が上がらなくなったことに、何か意味があるだろうか?
すべて空しいことである。

周りを見ると、今日もブランドに身を固め、嫌な香水を振りまく人の群れ。
自分の知識をひけらかせ、存在感を示そうとする人の性。
人の顔を睨み付け、肩を怒らせて歩く若者たち。
いくら着飾っても、いくらいい香りを振りまいても、足の爪はみんな臭いわい!
いくら理論武装しようとも、いくら威嚇しようとも、健康診断の検便は誰にでもついてくるわい!

余計なお世話がやってくる。
「しんちゃん、また一段と白くなったねえ。いい加減に染めたら?」
ちょっと待てよ。
ぼくが「くろげしんた」になったとして、ぼくが「くりげしんた」になったとして、それであんたらの人生は変わるのか?
人の髪色の変化が、そんなに面白いのか?
「しろげしんた」は見世物なのか?

今日も、午前0時を過ぎると、突然襲ってくる睡魔。
今日のぼくの気力では、到底この睡魔と闘うことは出来ない。
日記の更新が朝になってしまう。
そのために早起きしなければならない。
だけど寝不足は解消できない。
また午前0時になれば、睡魔と闘う。

ということで、いよいよこの日がやって来た。
いろいろご不満もありましょう。
いろいろ言いたいこともありましょう。
しかし今日は、誰が何と言おうとも、ぼくはこの日を実行します。
このサイト初まって以来の出来事です。
いつかこの日がやってくるとは思ってました。
しかし、今日がその日だとは思いませんでした。

こんにちは、「頑張る40代!」です。
このサイトを始めて1年と3ヶ月になります。
今日は初めての休みです。
それでは、また明日。

今日の日記:
「休みにします」と書こうとしたら、長くなってしまった。



2002年04月17日(水) ラジオを買った

今日、ラジオを買った。
今までは携帯用のラジオを使っていたのだが、もう寿命なのか、感度が悪くなり、電池の消耗も早くなっていた。
まあ、780円で買ったのだから、文句も言えないのだが。
今回は、携帯用ではなく、時計付きの据え置きタイプである。
電灯線が使えるので、これからは、電池がなくなったと言って大騒ぎすることもなくなるだろう。

ぼくがラジオ派人間ということは、前にも書いたことがある。
なぜ、ラジオが好きになったかというと、理由はいろいろある。
そのひとつはプロ野球である。
小学生の頃、ぼくは西鉄ライオンズファンだった。
しかしその頃、西鉄の試合をテレビでやることは少なかった。
西鉄ライオンズの試合に触れるには、球場に足を運ぶか、ラジオで聴くかしかなかったのだ。
今はなんということはないだが、小学生のぼくには、小倉球場や平和台球場というのは、東京に行くのと変わらないくらいの遠い場所であり、年一度も行ければいいほうだった。
そこで、残された道、ラジオを聴くようになった。
前にも言ったが、ラジオの野球解説というのは、かなり詳しいものである。
ぼくは、そのおかげで野球のルールを覚えたのだった。
ライオンズが西武に行って、一時野球中継から離れた時期もあったが、今でもプロ野球をラジオで聴くという習慣は続いている。

もうひとつの理由は、祖父の影響である。
うちの祖父は極度の近眼だったため、あまりテレビを見ることがなかった。
そのため、祖父の唯一の楽しみはラジオだった。
祖父は、真空管式のラジオを使っていた。
ぼくが小学校5年か6年の時に、祖父の愛用のラジオが壊れてしまったことがある。
家の者が代わりを買いに行ったのだが、その頃のラジオはトランジスタが主流になっていた。
しかたなくトランジスタ製を買って帰ると、祖父が「こんなのラジオじゃない!」と言って駄々をこねだした。
使い方がわからなかったのである。
結局、トランジスタは返品した。
ラジオは、それまで使っていたやつを修理して使うことになった。
祖父は、毎日ラジオをつけっぱなしにしていた。
ニュース、野球、相撲、寄席、競馬、株式、何でもありだった。
耳が遠いせいもあって、いつもガンガン鳴らしていた。
夜中でも、「ピーピー、ガーガー」やっている。
「近所迷惑やけ、ラジオを切って」と言っても、お構いなしだった。
おそらくぼくも、そういう血を受け継いでいるのだろう。
休みの日にはラジオをつけっぱなしにしている。
さらに夜中にも、「ピーピー、ガーガー」やっている。

中学からは、音楽番組や深夜放送を聴きだした。
今もそうだが、洋楽の情報番組はラジオでしかやっていない。
特に洋楽全盛だった当時は、ラジオは必須アイテムだった。
「ビートルズ・フォーエバー」などの番組は、ラジオでしかやってなかった。
また、当時ブームだったフォークも、ラジオでしかやってなかった。
岡林信康・泉谷しげる・ケメ・なぎら健壱・加川良・三上寛・遠藤賢治といった人の歌は、ラジオでしか聴くことが出来なかった。
拓郎の『ライオン フォークビレッジ』なんて懐かしい番組もあったなあ。
高校に入ると、AMよりFMを聴くことが多くなった。
番組がなんとなく大人びて、おしゃれでしたね。
『FMバラエティ』の青木小夜子さんは、今どうしているんだろう?
しかし、その後はFM放送を聴くことが少なくなった。
今こちらでは、県内で4つ、下関の「カモンFM」まで入れると5つのFM局があるのだが、全然聴かない。
もっぱらAMである。
音がいいんだから、どこかホークス中継をやってくれんかなあ。
そしたら聴くのに。

東京にいる頃は、テレビを持ってなかったので、ラジオばかり聴いていた。
あの頃、どんな番組を聴いていたのかはあまり覚えてないが、いつもニッポン放送にチューニングを合わせていた。
当時、タイトルは忘れたが、秋田書店提供のラジオマンガみたいなのをやっていた。
午後9時半ぐらいからやっていた。
その番組に間に合うように銭湯から帰ってきて、サントリーのグレープフルーツ・エイドを飲みながら、『がきデカ』や『マカロニほうれん荘』を聴くのが楽しみの一つだった。

ラジオの話をしだすときりがない。
今日から新しいラジオでの生活が始まる。
幸先よくホークスが勝った。
これからが楽しみである。



2002年04月16日(火) 迷惑電話

「しろげ、しんたさんですか?」
「はあ」
「初めまして。私、株式会社××の○○と申します。今、お時間のほうよろしいですか?」
「はあ」
「今日は、英会話の件で、お電話さしあげたんですけど、しんたさんは英会話に興味はありますか?」

高校を卒業した頃から、こういう電話が頻繁にかかるようになった。
いつも若い女性からだった。
英会話だけではなく、他に、海外旅行やスポーツ器具などもあった。
ぼくは引っかかったことがないのでよく知らないが、この手の商売は、そういう商品を電話で案内し、興味ありそうな人を喫茶店に呼び出し、そこで契約するシステムだと聞いている。
しかも相手は、喫茶店に一人で来るようなことはない。
たいがい、他のスタッフもそこに待機しており、交渉が難航しそうな時や、新米が相手している時には、すぐさまフォロー出来る態勢をとっている。

一度、その現場を見たことがあるが、その人たちの登場の仕方は、実に臭いものがあった。
いかにも、偶然にそこに現れたかのように振舞っているのだ。
「お、偶然だね。どうしたの、こんなところで」
「はいはい、この教材ね。知ってるよ。すごくいいって、今評判になってるみたいだね」
「ぼくの知ってる人も入ってるんだけど、今度アメリカに留学するって言ってたよ。彼、高校時代の同級生なんだけど、その頃は英語がまったくだめでねえ。」
などと言っている。
しかし、ぼくは一部始終を見ていた。
その人は、カモがその喫茶店に来る前から、他のテーブルに座っていたのである。

さらに、下手な芝居は続く。
交渉人がトイレに行くと、今度はそのスタッフが、交渉することになる。
まず、交渉人がトイレに立つ。
すると、スタッフが頃合を見つけて、おもむろに立ち上がる。
そして、カモの所に来て、「入りましたか?」などと声をかけている。
「入会しても、絶対損はしませんよ。ぼくは彼女のことを、昔からよく知っているけど、決して人を騙す人じゃないから安心していいと思うよ。まあ、ここは、前向きに考えてみて」
気の弱い人なら、そこで契約を交わすことになる。

先にも言ったとおり、ぼくあこういう商売には引っかかったことがない。
こういう話には、いつも一種の勘のようなものが働くのだ。
最初の頃は、英語嫌いだったのも幸いした。
「英会話にはまったく興味がありません!」と言って電話を切っていた。
そのうち、こういう類の電話の応対に余裕が出てきた。
「しろげ、しんたさんですか?」
この時点で、相手がわかるようになった。
「そうですが」
「初めまして」
「はい、初めまして」
彼らも馬鹿ではないから、パターンを替えてやってくる。
「おめでとうございます。私、××商事の○○と言いますが、今回しんたさんが、△△という企画の、□□に選ばれました」
「へえ、そうなんですか」
「まず、企画から御説明しますと、・・・」
延々と彼女の話は続く。
ぼくは受話器を、机などの上に置き、他の作業をしている。
頃合を見はかり、受話器を取り、「よくわかりました」と言って、電話を切るのである。

だいたい、この手の電話、相手はいつもマニュアル通りに話しているものだ。
そこで、マニュアルに書いてないようなことを、こちらが答えればいいということに気が付いた。
5,6年前だったか、『財テク』に関しての電話を受けたことがある。
「はじめまして、私、××社の○○というものですが、本日は『財テク』の件で、ぜひしんた様にお知らせしたいことがありまして、電話いたしました。お時間のほうは、よろしいですか?」
「いいですよ」
「ありがとうございます。ところで、しんた様は『財テク』という言葉を聞いて、何を思い浮かべますか?」
「あなたは、何を思い浮かべますか?」
「え?!」
相手はここで途切れてしまう。
こちらがマニュアルにないことを言ったからだ。
そこからは、こちらのペースである。
戸惑っている相手に、こちらの持論を展開する。
「・・・ということで、あなたも早くこんな仕事から手を引いたほうがいいと思いますよ」
「・・はい、わかりました。本日はありがとうございました」
相手は早く切りたかっただろうが、充分にこちらの意思を伝えなければならないから、最低10分はお付き合いいただくことになる。
こちらの意志とは何か。
そう、「こんな電話かけるな!!」、である。
ぼくは人がいいから、直接「電話をかけるな」などと言えないのである。

それにしても、最近はこういう電話が少なくなったような気がする。
おそらく、電話よりもメールのほうが安くつくという判断からであろうが、そのおかげで、『迷惑メール』というやつが毎日何十件も来るようになった。



2002年04月15日(月) しんたの日常会話

◆ 序

昼間、ある取引先の人がやってきた。
何日か前に、仕入伝票の件でトラぶっていたのだが、今日はその訂正にやって来たとのこと。
それにしても、前の担当者はよく来ていたのに、この担当者はまったく顔を見せない。
何と、今年初めての登場である。


◆ とりあえず皮肉を言うしんた

取引先 「どうも、ご無沙汰しています」
しんた 「お、明けましておめでとう」
取 「え?」
し 「だって、今年初めてやろ」
取 「は、はぃ・・・」


◆ 一応月並みなことを言うしんた

し 「忙しいと?」
取 「ええ、人員が削減になって、今ぼくが担当している店舗は128軒なんです。それで、あまり顔を見せられなくなって・・。ホント、どうかしてほしいんですけど」
し 「ふーん、128軒か。それは大変やねえ」
取 「はい」


◆ 彼の異変に気づき、それを口にするしんた

し 「それはそうと、あんた酒飲み?」
取 「酒は普通だと思うんですが」
し 「いや、酒飲みやろ」
取 「どうしてですか?」
し 「前に比べると、色が黒くなったよ。それ酒焼けやろ」
取 「ああ、これですか。これは釣り焼けですよ。それに、ぼくは肝臓は強いほうですから」
し 「ふーん、担当が増えたけ、ストレスが溜まって、飲みよるんかと思った」


◆ 健康診断の話をしだした彼に、うそをつきまくるしんた

取 「そういえば、ぼくも今年からバリウム飲まなきゃならないんですよ。いよいよ35歳ですからねえ」
し 「そうなんね。でも、甘いねえ。バリウムだけやないよ」
取 「え?」
し 「検便があるんよ」
取 「そ、そうなんですか!?」
し 「うん。親指くらいの大きさの便を取って、マッチ箱に入れて提出せないけん」
取 「えっ、本当ですか?!」
し 「うん。でも、他のは我慢できるけどねえ。いい歳して検便というのもねえ」
取 「検便で、何を調べるんですか?」
し 「ギョウチュウに決まっとるやん」
取 「ギョウチュウですか?」
し 「うん」
取 「うそでしょう。小学生でもあるまいし」
し 「いや、それで成人病がわかるらしいんよ」
取 「そうなんですか」
し 「うん。癌とかも」
取 「しかし、検便とは・・・」
し 「説明書がついとって、『割り箸で、親指大の便を取りましょう』と書いてあるもんね」
取 「いやだなあ」
し 「そうやろ」
取 「本当にそれで癌がわかるんですかねえ」
し 「わかるみたいよ」


◆ 胃癌になった人の話を聞いて、少し不安になるしんた

取 「そういえば、うちの会社に、胃癌の手術をした人がいるんです。4年ほど前のことですけど。その人焼酎が好きで、毎晩飲んでたみたいですよ」
し 「焼酎は体にいいんやけどねえ。その人、深酒しよったんやないんね」
取 「いや、普通でしたよ。いっしょに飲みに行った時は、あまり飲んでるふうではなかったけど」
し 「ふーん」


◆ 勝手なことを言いまくるしんた

取 「でも、早期発見したのがよかったようで、今はピンピンしていますよ」
し 「じゃあ、その人は癌じゃなかったんやろう」
取 「さあ、本人は胃潰瘍と思っていたみたいですけど」
し 「だいたい、医者ほど当てにならんもんはない。ちょっと引っかかることがあると、すぐに癌と判断するらしいけね。
知り合いに癌の手術を受けた人がおるんやけど、もう15年くらい経つのにピンピンしとるもんね。医者は完治したと言いよるらしいけど、本当は癌じゃなかったんやろうという、もっぱらの噂なんよ」
取 「へーえ」
し 「もし癌になっとっても、医者にかからんでほっといたほうが、いいと思うんやけど。癌はあくまでも一過性のものやけね。医者がたまたま見つけて、鬼の首を取ったように大騒ぎしよるだけやん。
癌なんか自然治癒力で治るもんやけね。
手術して、抵抗力のないところに放射能を当てる。あれじゃあ、治るもんも治らん。腹が痛けりゃ、手で押さえときゃいいんたい!」
取 「そうですよねえ。腹が痛い時、手で押さえていたら治りますからね。
知り合いに、医者にかからずに、胃潰瘍を根性で治した人がいるんですよ。その人も自然治癒力と言っていました」
し 「そうやろ。医学なんか信じたらいけんとよ。虫歯だって、もしかしたら治るかもしれんのやけ。歯医者の言うことを真に受けて、いらんこと歯を磨くけ治らんとたい」


◆ 意外と単純な取引先男

取 「しかし、ストレス溜まりますよ。福岡営業所管轄で128店舗も担当持ってるの、ぼくだけなんですよ。
おまけに、年間の予算が5億円なんですよ。福岡市内を担当している人は2億円くらいなのに」
し 「5億円?!、すごいやん。ちょっとした会社の資本金並みやん。ひょっとしたら、国家予算額がこのくらいの国もあるかもしれん。」
取 「えっ、国家予算ですか。それはないですよ」
し 「いや、そう考えて仕事したほうが面白いやろ。一族郎党に『おれは、ある国の国家予算並みの仕事をしてます』、と言うて威張れるやん」
取 「あ、そうですねえ」
し 「そうやろ。あんたは大物たい」
取 「そうか、国家予算か。そうですよねえ」


◆ 最後に再び皮肉を言うしんた

・・・・
取 「それじゃあ、失礼します」
し 「うん、頑張ってね。ヨッ、大物!」
取 「へへへ」
し 「よいお年を」



2002年04月14日(日) ジャニス・イアン

最近、山口智子の出ているCMの中で、ジャニス・イアンの歌がかかっている。
『Will You Dance?』である。
昔この歌は、「岸辺のアルバム」というドラマの主題歌に使われていた。
ぼくはその当時、そのドラマを見ていなかったので、この歌にはなじみがない。
もしかしたら、ラジオか何かで聴いていたかも知らないが、その時は軽く聞き流していたのだろう。

この歌を初めて(?)聴いたのは、それから十何年も経ってから、今から10年ほど前のことである。
その2年ほど前に、ぼくは、坂口良子主演のドラマ、「グッドバイ・ママ」の主題歌になっていた『Love Is Blind(恋は盲目)』のCDを探していた。
そのとき、何かの資料で「岸辺のアルバム」の文字を見つけた。
「そういえばこんなドラマがあったなあ。『Will You Dance?』、さて、どんな歌だったか」
そう思うと、無性にその歌を聴いてみたくなった。

しかし、『Love Is Blind』も含めて、CDは手に入らなかった。
それもそのはず、その当時日本では、彼女のアルバムは、まだCD化されてなかったのだ。
あきらめていたところに、CD発売の朗報が飛び込んできた。
さっそく、CD化されたジャニス・イアンのアルバムすべてを注文した。
手に入れた時は、天にも昇る気がしたものだった。
それらのアルバムには、『Will You Dance?』の他にも、いい歌がたくさん入っていた。
かくてそれらのアルバムは、ぼくの中のベストアルバムの一角を占めるようになったのである。

買った直後は、何度も何度も彼女のアルバムを聴いたものだ。
まあ、真剣に聴くというよりは、さらっと流す聴き方ではあるが、そのほうが彼女の歌が、より染み入るのだ。
しかも、ぼくの心の状態にマッチしているのか、気分が落ち着く。

ところがしばらくして、彼女のアルバムをあまり聴かなくなった。
他に興味が移ったせいもあるが、そこには、CDを手に入れたので、聴きたい時に聴くことにしよう、という意識が働いたに違いない。
その後は2年程前に、一度聴いたっきりだった。

さて今回、山口智子のCMを見て、久々にジャニス・イアンが聴きたくなった。
山積みになっているCDの中から、何枚かあるジャニス・イアンのCDを取り出し、かけてみた。
10年前と変わらない。
やはり、彼女の歌を聴くと、気持ちが落ち着く。
彼女をエンヤのように、癒し系と呼ぶかどうかは知らない。
しかし、ぼくにとってジャニス・イアンは、十分に癒し系である。

4月に入ってから、ナイターのない日には、いつも彼女の歌を聴いている。
もちろん会社帰りに、である。
今日はホークス戦がデー・ゲームだったので、ジャニスイアンを聴いて帰った。
仕事の終わった安堵感の中で聴くジャニス・イアンは、また格別なものがある。

ところで、今日は意外なことに気が付いた。
実は、ジャニス・イアンの歌を聴いていると、見慣れた風景が変わって見えたのだ。
これと同じようなことは以前にもあった。
しかし、今日ほど鮮やかに風景が変わったことはなかった。
まるで映画の中の風景なのだ。
以前、『ブラック・レイン』という映画を見たが、あの映画で描かれている大阪の街というのは、ぼくが知っている大阪の街とはかなり違ったものに映っていた。
やはり、映画を撮る人の視点で違うのであろうが、そこには音楽の力も働いているのだと思う。
ぼくのイメージする大阪というのは、『大阪ラプソディ』や『道頓堀行進曲』のかかっている、大阪である。
コテコテの街、大阪である。
そういう既成観念を覆すような、BGMの数々。
改めて、音楽の力は偉大だ、と思ったものである。

今日はその映像を北九州に見た。
BGMは、もちろんジャニス・イアン。
タイトルは、『Blue Of The Blues』。
もしかしたら、北九州はブルースの似合う街なのかもしれない。



2002年04月13日(土) 朝の出来事

「さて、何を書こうか?」などと考えていたら、朝を迎えてしまった。
しかたがないので、考えていたことをそのまま日記にした。
今日は休みだったので、それから一眠りしようと思っていたのだが、午前中に済ましておかなければならない用があるを思い出した。
親戚のところに、床漬けを持って行くようになっていたのだ。

ということで、一応日記を書きあげてから、すぐに親戚の家に向かった。
親戚の家は、うちから車で10分足らずの場所にある。
近いし、朝も早かったので、着替えずに寝巻きのままで行った。
ぼくは、ずいぶん昔から寝巻きは作務衣にしている。
休みの日に家にいる時は、着替えずにずっとこの格好である。
ジャージも持っているのだが、最近は肌が弱くなったせいか、あの系統の生地だとすぐに痒くなってしまう。
ぼくの肌には、木綿が一番合っているようだ。
冬はこの上から、袖なしの半纏を羽織っている。
袖なしの半纏、つまりちゃんちゃんこである。
何年か前に、太宰府天満宮に行った時、参道の久留米絣の店で手に入れたもので、けっこう値段は高かった。
野良着のような柄をしている。
これを見つけた時、そこの前から動けなくなったのを覚えている。
今朝は、少し肌寒かったので、そのちゃんちゃんこを羽織って出かけた。

親戚の家の辺りは道が狭く、車で入って行くことが出来ない。
そのため、車はいつも近くのボーリング場に停めている。
この駐車場は無料である。
もちろんそこは、ボーリング場に用があってきた人のためのものであるが、ぼくのような、「親戚の家に来たけど、車を停める場所がないわい」、という人がしょっちゅう停めているのだろう。
そのためだろう、そこには「当ボーリング場に関係のない車を見つけた場合は、10万円の罰金をいただきます」という看板がかかっている。
ぼくはもちろん無視しているが、実際そこで10万円払った人がいるのだろうか。
その看板を見ると、いつもそう思ってしまう。
こういうところなら、見つかっても何とでも言い逃れが出来るはずだ。
もし張り紙でもされていたら、そのままボーリング場に入って、1ゲームでもすればいいことだ。
それにしても、10万円とは現実味のない額である。
駄菓子屋の親父が、おつりを返すのに、「はい、30万円」というようなものである。
せめて1万円とでも書いておけば、少しは牽制になるのに。

さて、その駐車場での話である。
まさか、こんな時間(午前6時)、こんな所に人はいないだろうと思っていたのだが、大間違いだった。
『じじばば』が、ボーリング場の駐車場に集合しているじゃないか。
10人近くいただろうか。
ぼくが車から降りた時、その人たちがいっせいにぼくのほうを見た。
ぼくは知らん顔をしていたが、彼らはじっとこちらを見ている。
そして口々に何か言い合っている。
「何なんだろう」とぼくは思ったが、相変わらず無視していた。
すると一人のばあさんが、ぼくのところにやってきた。
「あんた、遅かったねえ」
「え?」
「みんな待っとるんよ」
「あのー、何でしょうか?」
「○○さんやろ?」
「いえ、違いますけど」
「あー、そうね。白髪のおいさんと聞いとったもんやけ。それは、失礼しました」
そう言って、ばあさんはみんなのいる場所に戻っていき、「あのおいさんじゃないよー」と言っていた。
「おいさんちゃなんか、おいさんちゃ」とぼくはつぶやきながら、親戚の家に行った。

床漬けを置いて戻ってくると、彼らはまだいるのである。
そして、またぼくのほうを見て「あの人やないか」などと言い合っている。
「いや、あれはさっきの野良着のおいさんやないね」
「ああ、そうか。野良着か」
おいさんから野良着になっていた。
ぼくは、駐車場で缶コーヒーでも飲んで帰ろうと思っていたのだが、また『じじばば』に絡まれると面倒だと思い、早々にその場を立ち去った。

しかし、あの時間、彼らは誰を待ち、何をしようとしていたのだろうか。
それを考えると、ちょっと気味が悪くなった。
ということで、今日見ようと思って録画していた、昨日の『陰陽師VS.日本の悪霊たち!・・』は、後日見ることにした。



2002年04月12日(金) さて何を書こうか

「さて、今日は何を書こうか」
これが、最近のぼくの口癖である。
そういえば、今日は朝から言っていた。
「何」、もちろん日記のことである。
言うだけで何も出てこないのだが、やはり口にする。
もはや、日記が生活の中心になっているのだろう。

ぼくの働いている店は、午後8時まで営業である。
日にもよるが、だいたい6時を過ぎると、客足が途絶え、暇になる。
その頃から、その日の日記のことを考え始める。
書くことがある時はいい。
また、そこで何かテーマが浮かんだ時もいい。
しかし、何も思い浮かばない時がほとんどである。
空しく2時間が過ぎ、閉店となる。
そこで、帰りの車の中で考える。
しかし、車の中では何も思い浮かばない。
風呂の中で考える。
ところが、出ない時もある。
風呂から上がって、パソコンの前に座って考える。
さらに、出ない時もある。
食事をしながら考える。
それでも、出ない時はある。
再びパソコンの前に座って考える。
やっぱり、出ない時がある。
テレビを見ても、新聞読んでも、本を読んでも、口笛を吹いても、座禅を組んでも、逆立ちしても、水を頭からかぶっても、爪をかじっても、出ない時は、何をやっても何も出てこない。

しかたがないので、そういう時は気分転換の意味で、サイトの更新などをやることにしている。
突然トップが変わっていたりするのは、日記に詰まっているからなのである。
しかし、最初は「時間がないから、今日はちょっとだけ」と思っていても、次第にそれに熱中するようになる。
それをやりながらも、日記のことは気にはしているのだが、興味の対象が完全にサイト更新のほうに移っているので、「まず、これをすましてからやろう」と思うようになってくる。
これでまた、1時間が過ぎ、2時間が過ぎ、となっていく。
一応寝る時間を午前2時と定めているが、これをやりだすと予定時間をはるかにオーバーしてしまう。

では、「何を書こうか?」と考え始める午後6時から、日記を書き上げるまでに、いったい何時間かかるのだろうか。
最近の例でいうと、4月3日の「セクハラ」は、午後10時30分に書き終えている。
つまり、4時間半かかっているということになる。
昨日の「フルネーム・コンプレックス」は、午前1時半に書き終えた。
7時間半かかっている。
普段はこのくらいである。
4月8日の「余計な科目」は、午前11時半に書き終えている。
なんと、17時間半もかかっているのだ。

これを見ると、怒りの日記が一番早く書ける、ということになる。
次に、病気のことを書くこと。
思い出話を書くのが一番遅い。
ということは、「早く寝るためには、怒らなければならない」、ということになる。
人から「以前は、疲れたような顔をしていたけど、最近はそれがないね」と言われたら、「はい、毎日怒ってますから」と答えなければならない。
しかし、毎日毎日怒りの日記を読まされるほうは、たまったもんじゃないだろう。
「しんた、また怒ってるよ」
「こいつの人生には、楽しいとか、嬉しいとかはないんだろうか?」
「こんな人がいると、周りはたまらんだろうな」
などと、余計なことを考えさせてしまうだろう。
ところで、人は怒っている時、眠ることができるのだろうか?
今度日記に詰まった時、それをじっくり考えてみることにしよう。

それにしても、問題は今日の日記である。
さて、何を書こうか・・・。



2002年04月11日(木) フルネーム・コンプレックス

あまり大きな声ではいえないが、ぼくは昔から、人前で自分の名前を呼ばれるのが嫌いである。
特にフルネームで呼ばれることが嫌である。。
銀行に行くと、苗字を呼んでから、追い討ちをかけるようにフルネームを呼ぶ。
「しろげ様、しろげしんた様」といった具合だ。
これほど恥ずかしいことはない。
だから、ぼくはATMで出来ることは、すべてATMで処理するようにしている。
それでも、通帳を更新する時は、嫌でも窓口に行かなければならない。
そこでぼくは、フルネームを呼ばせないために、「しろげ様」と呼ばれた時点で、「はい!」と大きな声で返事することにしている。
ただでさえ、フルネームで呼ばれることが嫌いなのだ。
もし公衆の面前でフルネームを呼ばれたりしたら、もうその銀行には行く気がしなくなる。

郵便局も同じことが言えるが、ぼくは、郵便局は郵便貯金をやっているわけではないし、簡保に入っているわけでもない。
ぼくの利用する場所は、番号札で対応しているので、名前を呼ばれることはまずない。
ここはセーフである。

学校の入学式や卒業式もフルネームで呼ぶ。
さらに悪いことに、名前を呼ばれると、必ず返事をして立たなければならない。
こういう場でもぼくは、
「しろげ し・」
「はい!!」
と、名前を呼んでいる途中に、大きな声で返事をして立ち上がっていた。
「お、元気がいいなあ」とほめられてたこともある。
が、実はフルネームを呼ばれるのが嫌だったからである。
卒業証書をもらう時も、
「卒業証書。6年2組、しろ・・」
「ゴホッ、ゴホッ」
と、校長先生が名前を読むと同時に咳払いをした。
「大丈夫かね?」
大丈夫ではない!

意外な所で、フルネームを呼ばれたことがあった。
神社である。
車を買った時、多くの人が神社やお寺に安全祈願をしに行く。
ぼくもご多分に漏れず、交通の神様で有名な宗像大社に、祈願に行った。
この神社は、車のお祓いをする前に、本殿で祝詞をあげることになっている。
ここで予期せぬことが起こった。
その祝詞である。
「・・・、福岡県北九州市八幡西区○○町×丁目に住みたる、しろげノしんた・・・」
やられた。
しっかりフルネームを読まれてしまった。
しかも、「ノ」まで付いている。
当然返事は出来ない。
突然読まれたので、咳払いをする間もなかった。
さらに、神前に玉串を奉げる時に、もう一度名前を呼ばれた。
同じ日に、二度交通事故を起こした気分であった。

なぜそこまでフルネームを呼ばれることに抵抗を感じるのか?
理由は簡単である。
自分の名前が嫌いだからである。
物心ついた時から、大っ嫌いである。
嫌いな名前を、よくまあ、44年間も引きずってきたものである。
変えられるものなら、さっさと変えていただろう。
しかし、そういうわけにもいかない。
そこで考えたのが、通称名を広めよう、ということだった。
東京にいた頃、ぼくは別名を使っていた。
また、アルバイト先でも別名を使っていた。
詩などの投稿の時には、必ずペンネームを使っていた。
ぼくが姓名判断を始めた理由も、実はそこにあるのだ。

姓名判断を始めた時のこと。
自分の名前が、大変良い画数であることがわかったのだ。
「こんな名前が良いわけない」と思い、自分の名前を悪く書いている本を探したものだった。
でも、どの本を見ても、「この画数は大吉です」と書いてある。
しかたがないので、この名前がいかに悪いかというのを、自分で証明しようといろいろ研究した結果、「名前で運命はわからない」という結論に達したのである。

しかし、どうして自分の名前が嫌いなのだろう?
その理由は今もってわからない。
おそらく、幼児の頃に、何か嫌な思いでもしたのだろう。
「お前の名前、でーべーそ」とでも言われたのだろうか。



2002年04月10日(水) 招かざる客

昨日は一日家にいたのだが、昼を過ぎた頃だったか、「ピンポーン」とチャイムが鳴った。
誰だろう、と出てみると、そこには小太りのおっさんがいた。
「はい、どちら様でしょうか?」
「こんにちはー、読売新聞ですけど」
新聞の勧誘だった。
ぼくは、こういう時の応対は、いたって冷静である。
「ああ、読売さんですか。それは残念なことをしました」
「え?」
「うちには、巨人ファンはいませんからねえ」
「ダイエーファンでしょ。よく言われるんですよ。でも、読売新聞はダイエー情報も満載ですよ」
「西スポよりも?」
「いや、西スポさんほどじゃないけど・・・」
「残念ですねえ。うちは西スポなんですよ」
と、お引き取りいただいた。
ちなみに、うちで取っているのは、西スポではなく朝日新聞である。

新聞の勧誘は実にしつこい。
だいたい新聞というのはどこも似たり寄ったりだから、よっぽど個性的な新聞の名を持ち出さないかぎり、相手は引いてくれない。
つまり、毎日新聞の勧誘に来た時に、「うちは朝日ですから」ではだめだ、ということだ。
ぼくは毎日新聞が来たときには、「すいませんねえ、うちは日経とってますから」と言うことにしている。
だいたいこう言えば、相手は引いてくれる。
中には「一般紙も読んでみませんか?スポニチもお付けしますよ」と突っ込んでくる人もいる。
そういう場合は、「うちには2紙も取る余裕なんてありませんよ。合計3紙も取るとゴミも溜まるし、お宅がゴミを引き取ってくれますか?」と言うことにしている。

休みの日に家にいると、いろいろな人がやってくる。
「ピンポーン」
「はい、どちら様ですか?」
「私、O教会からやって参りました」
ドアを開けてみると、そこには子連れの女性が立っている。
「なんでしょう?」と聞くと、聖書を買ってくれという。
子供までが「お願いしまーす」と言う。
子供はそのためのダシである。
「申し訳ありませんけど、うちは代々浄土真宗の家系でして」
と言ってお断りする。
それでもしつこく食い下がる人には、「パーン」と手を叩き、「さて、どちらの手がなったでしょう?」と質問する。
相手は必ず、戸惑って「え?」と言う。
すかさず、「これがわかったら買いましょう」と言う。
相手は、気味悪がって帰っていく。
ぼくは合掌して送り出す。
実は、この「パーン」は、禅問答のひとつである。
答はぼくにもわからない。
勧誘撃退だから、何でもあり、である。
相手が何か答えたら、「違います」と言うだけである。

そういえば、彼女たちは以前、「ものみの塔」なる機関紙を売って歩いていた。
こちらが「いりません」と言うと、「では読んで下さい」と言って、ただで置いていった。
置いていくくらいなら、ポストに入れればすむことじゃないか。
わざわざ「ピンポーン」する必要はない。
神に仕える身の人の考えることは、よくわからない。

新聞、宗教の他にも、互助会、生命保険、物売り、共産党など、さまざまな人がやってくる。
そのつど応対も変わるのだが、一度失敗したことがある。
第一生命が来た時である。
「こんにちは、第一生命です」
「ああ、第一生命さん。ぼく入ってますよ」
「そうですか。どちらの支部から入りましたか?」
「黒崎支部です」
「そうでしたか。それはすいませんでした」
と言って帰った。
後日、その人がまたやってきた。
「こんにちは、第一生命です」
「ああ、どうしたんですか?」
「帰って調べたんですが、しんたさんの名前はありませんでしたよ」
「え、調べたんですか。しょうがないなあ」
「顧客を検索したら、すぐにわかりますよ」
そう言って、彼女は笑いながら帰っていった。
まさに、『策士、策に溺れる』
彼女のほうが、一枚上手だったわけである。



2002年04月09日(火) 担任J子

ぼくが中学1年の時の担任は、J子という女の先生だった。
英語の教師で、ヒステリックな人であった。
この先生は徹底的にぼくを嫌っていた。
当然ぼくもこの担任J子を嫌っていた。

昨日の日記で、美術の通信簿の点が「1」だったと書いたが、実はこの時、体育の点も「1」だったのだ。
そのために学校で問題となった。
体育の「1」は、まったく授業に出ず、ボイコットしていたためである。
当然、母親が召喚され、お小言をもらうことになる。
「2科目『1』があるというのは、学校創立以来の初めての出来事ですよ!これは大問題です」
担任J子が血相を変えて言った。
たしかに、通信簿の『1』というのは不名誉なことである。
しかしぼくは、この「学校創立以来初めて」というのが気に入っていた。

母親が学校から召喚されるのは、この時が3度目であった。
最初は喧嘩だった。
習字の時間に、Mという男が「しんた、筆貸して」と言ってきた。
ぼくが「いいよ」と言って筆を差し出すと、Mはわざと体をぼくの筆に押し付けてきた。
Mは「お前汚したの!」と言って、机の上にあった墨のたっぷりついた筆を掴み、振り下ろした。
墨は散って、何人かのシャツを汚した。
ぼくは、Mを羽交い絞めにして、筆を取り上げた。
クラスの連中は一部始終を見ていたので、みなMを非難した。
ちょうどその時、担任J子が教室に入ってきた。
「なんしよるんね、あんたたちは!」
担任J子は他の生徒に事情を聴いていた。
そして「しんた君とM君、放課後職員室に来なさい」と言った。

職員室で担任はぼくら二人を並べ、「どうしてあんたたちは、喧嘩するんかね」と訊いた。
ぼくは「喧嘩なんかしていません。Mが突然暴れだしたんです」と言った。
するとMの奴は、「しんたが先にやったので、仕返ししました」と言った。
結局どちらも悪いということになり、クラスの人たちに謝る羽目になった。
他の連中は「しんたは悪くないです」といってくれたが、担任はそれを聞き入れなかった。
さらに、双方の親を召喚したのだ。
その時担任は、「子供さんをちゃんとしつけてもらわないと、このままでは不良になりますよ」とうちの母親に言ったらしい。
さらに「しんた君が一人で黒崎(繁華街)に行く姿を見かけた、という声があるので心配してたんですが、まさかこんなことをするなんて・・・」とほざいていたらしい。
たしかにぼくは一人で黒崎に行っていたが、それは柔道場に通っていたためである。
そのくらい調べればわかることじゃないか。

2度目の召喚の理由は、授業態度がなってない、であった。
その日の授業が暇だったので、ぼくは落書きをしていた。
それを技術の先生に見つかった。
ただそれだけの話である。
取り立てて目くじらを立てるような問題ではない。
それでも、担任J子は鬼の首を取ったように、うちの母親を呼びつけた。
「いつも落ち着きがなくて、ほかの生徒に迷惑ばかりかけてます。私どもも、もう手に負えない状態でして」と言ったらしい。
3度目の召喚の、1週間前の話である。

それにしても、中学1年の2学期までに3度も母親を学校にを呼ぶとは。
担任J子は、ぼくのことを大変な問題児だと思っていたのだろうか。
それとも、大変嫌っていたのだろうか。
まあどちらにしろ、担任J子との付き合いは1年で終わった。
よその学校に転任したのだ。
ぼくは、「これで終わった。もう2度と会いたくない」と思った。

しかし、これで終わらないのが人生である。
担任J子には、ぼくと同い年の娘がいた。
もちろん他の学校だったのだが。
なんという因縁か、その2年後に、ぼくはそのJ子娘と同じ高校に行くことになったのだ。
高校で何度か、元担任J子にお目にかかりましたわい。
その時、元担任J子は、「あの問題児と娘が一緒の高校だなんて」と思ったに違いない。
さぞかしプライドが傷ついたことだろう。



2002年04月08日(月) 余計な科目

中学の頃、『技術』という科目があった。
大工仕事をさせるものである。
ぼくはこれが苦手だった。
講義を受けるだけなら何とか我慢も出来たのだが、実技ともなるとまったくだめだった。
その授業で作るものといえば、文鎮やブックエンドといった簡単なものが多かった。
しかし、ぼくはこの簡単な作品を、まともに作って提出したことがないのだ。

まず、先生が提出期限を決める。
週2時間ほどの授業だったから、だいたい1ヶ月が目安になる。
授業の初めに、先生がその日の作業のポイントを説明していく。
例えば、
「今日はこの板を鋸で切り、かんな掛けまでやることにします。この作業のポイントは・・・」
などとやるのである。
こうやって、段階を一つ一つ追って、ひとつの物を完成させていくのだ。

器用な人は、先生の説明に対しての飲み込みが早く、実に要領よく作業を進めていく。
早々とその日の作業を終え、もう次の作業に取り掛かっている。
先生も、そういう生徒のそばから離れない。
そして、「ここはこうしたほうが、もっと効率よく出来るぞ」などとアドバイスをしている。

さて、ぼくはというと、最初は真面目に取り組むのであるが、元来の不器用者である。
完成のイメージだけはしっかりと思っているのだが、作っている過程で、イメージとかけ離れたものが出来ていくことにもどかしさを感じだす。
こうなると、俄然作業が面白くなくなり、元来の怠け癖が出てくる。
隣の奴をつかまえてしゃべりだす。
先生がそれを咎める。
ひどい時には呼び出されて、ビンタを食らう。
それでも面白くないものは面白くない。
手がまったく動かない。
作業を始めて、2週間目で1週遅れとなり、3週間目で2週遅れとなる。
みんなが提出する時には、3週遅れになっている。
当然、完成品は出せないのである。

例えば文鎮。
この作業は、丸い金属棒の下のほうを真っ平らに削り、上面の中心部にネジ穴を開け、そこにツマミをつけ、色を塗ったらお終いである。
これを1ヶ月かけて作ったのだが、ぼくが提出したのは、グラグラして安定性に欠け、上面に申し訳程度の穴の開いた、ツマミのない文鎮であった。

『美術』も似たようなものだった。
やはり与えられたテーマに対して、壮大なイメージが浮かぶ。
早速取り掛かるのだが、時間を追うにつれ、こちらもイメージとかけ離れたものになっていく。
そのうち飽きてしまい、他の人が提出する頃には、まだ30%に満たない状況だった。
ということで、提出しないことがしばしばあった。
特にひどかったのは、中1の2学期であった。
期間通して、一枚の画も提出しなかった。
この時は筆記試験がなかったため、通信簿で人生初の「1」をもらうことになった。

また美術は、パレットを洗ったりしなければならない。
面倒この上もないことである。
これは『習字』でも同じことがいえる。
さらに、こういう類の教科はトラブルに発展することが多かった。
人の顔に、筆で落書きする奴が必ずいるのである。
最初は冗談でやっていても、それがエスカレートしてしまい、取っ組み合いの喧嘩になってしまう。
ぼくも、習字の時間にトラブルに巻き込まれたことがある。
まあ、そのことを書くと長くなるので、明日の日記にでも書くことにしよう。

上の科目に比べるとましだったのは、『音楽』である。
音楽は歌を歌い、笛を吹いていればことは足りた。
テストは緊張するのでいやだったが、概ね平和な授業だった。

しかし、こういう科目は小学校の頃に得意不得意がわかるはずだから、中学から選択科目にすればいいのだ。
そうすれば、トラブルは回避できるし、ぼくみたいな怠け者を生まなくてすむだろう。



2002年04月07日(日) 高校野球

いつの間にか、春の選抜高校野球が終わっていた。
今回は報徳学園が優勝したのか。
それは、おめでとうございました。
しかしぼくにとっては、どうでもいいことである。
毎回毎回、どうでもいいことだと思っている。
次回も当然、どうでもいいことだと思うだろう。

実は、ぼくはアンチ高校野球派なのである。
これは高校時代から始まったことだ。
なぜ、高校野球が嫌いになったのかというと、野球部というのが、学校内外で異常に優遇されていたからである。
その当時、ぼくの所属していた柔道部の年間の予算は、7万円であった。
一方の野球部の予算は、50万円であった。
ぼくは生徒会に食いついた。
「この差は何か!!」
「だって、野球部のほうが部員が多いじゃないですか」
「部員が多かったら、予算が多いんか? それなら野球部より部員の多い生物部はどうなるんか?」
「いや、部員が多いという理由だけではないんです」
「じゃあ、遠征に金がかかるんか?」
「いや、遠征費は別枠です」
「じゃあ、何に金が要るんか? バットか? グローブか?」
「いえ、バットやグローブは違いますけど」
「じゃあ、ボールか?」
「はい、それは含まれています」
こういう押し問答をずっとやっていた。
挙句の果てには、
「だって、柔道部は全然注目されてないじゃないですか。それに比べると野球部は・・・」
と、いかにも野球部だけが運動部と思っているような発言をする始末だった。
しかし金の使い道は、釈然としない。
結局そこを突っ込んで、柔道部の予算を3万円上乗せさせた。

また、野球部の試合は何かと話題に上った。
当時、ぼくの通っていた高校は、軟式テニスと水泳がずば抜けて強い学校だった。
どちらも、国体やインターハイで優勝している。
しかし、そういうことは、学校内では全然話題に上らない。
全校朝礼の時に、軟式テニス部や水泳部の人間が表彰されても、
「ふーん、あいつら優勝したんか」
で終わりである。
それに対し野球部のほうは、県北予選の1回戦程度で話題に上るのだ。
これでは、軟式テニス部や水泳部の人たちの努力が報われない。

授業でも、野球部の人間は優遇されていた。
3年の時、水泳の時間に半分近くの人間が見学していたことがある。
それを見て、体育の教師は怒り出し、一人一人理由を言わされた。
ぼくはその時、クラブの練習で足の親指を負傷していた。
包帯を巻いていたこともあり、見学組に回っていたのだが、「そんなの理由にならん!」と一蹴された。
ところが、である。
その見学組の中に、野球部のエースがいた。
彼に対して先生は、「まあ、お前は仕方ないのう。ここにいて肩を冷やしでもしたらことだ。早く教室にもどれ」と言った。
何なんだ、この差は!!
条件は一緒じゃないか。
野球部のエースだからといって、許されることではないだろう。
結局、野球部のエース以外は、みな「サボリ」とみなされ、後に罰を受けることになる。

マスコミは甲子園の予選ともなると、異常な加熱ぶりを見せる。
デパートにもどでかい垂れ幕が下がる。
甲子園出場校の最寄り駅で必ず出陣式をやってくれる。
甲子園のトトカルチョは黙認される。
俳句の世界では、「高校野球」や「球児」というのが季語になっている。
夏は特に、テレビ朝日が張り切る。
クロネコヤマトまでもが張り切っている。

高校の卒業アルバムには、当然のように野球部の試合風景や、野球部を応援する一コマが掲載されている。
果たして野球部を応援したことが、一生の思い出になるのだろうか?



2002年04月06日(土) 最近

◆ その1

最近、三谷幸喜のエッセイを読んでいる。
ぼくは、映画やドラマはあまり見ないのだが、この人の脚本したもののいくつかは見たことがある。
彼独特の、何か「ふにゃ」とした喜劇が好きなのだが、このエッセイでも、いたるところにその「ふにゃ」が出ている。
脚本家の苦労話や、それこそ舞台裏の話を面白おかしく書いてある、なかなか面白いエッセイである。
暇つぶしにはもってこいだ。

さて、この本を読んでいて、ぼくは今までと違った本の読み方をしていることに気がついた。
普通、本を読む時は、内容の面白さだけを追っているのだが、この本に限っては、自分がこのエッセイの作家になったような気分になって読んでいる。
例えば、「この項はノリにノっている」、「この項はアイデアがまとまらんようだ」、「ネタに詰まっとるみたい」、「この項遊んでいる」、「なかなか出口が見つからんみたいやな」、「ここはもっとうまい表現の仕方があるんじゃないか」などと思ってるのである。
こういう読み方をしてみると、やはりプロの物書きでも苦労しているんだ、と考えてしまう。
しかし、プロでもないぼくが、どうしてここまで日記を書くことに苦労しなければならないのか? とも考えてもいる。


◆ その2

最近、ズボンをはくのに苦労している。
ぼくの持っているズボンのサイズは、すべてウエスト82cmである。
ところが、それが合わない。
現在のウエストは、おそらく86〜7cmになっているんじゃないだろうか。
それでも、ズボンをはかないで仕事や遊びに行くわけにもいかないので、無理してはいている。
まず、お腹をグッとへこませて、一気にボタンやフックをかけ、それからベルトを止めるのである。
そして、ゆっくりとお腹を元に戻す。
この一連の作業が億劫である。
しかも、お腹を元に戻すと、かなりきつく、息苦しく感じる。
ズボンがお腹を締めつけ、さらにそのズボンのふちにお腹の肉がだらしなく垂れ下がっている状態である。
この状態で、10時間以上も過ごさなければならないのだ。
まさに地獄である。

いつも言っているが、これは『妖怪ハラマワリ』の仕業である。
何とかしなければならない。
とはいっても、運動してもだめ、器具を使ってもだめ、食事を減らしてもだめ、お菓子を絶ってもだめ、もちろん祈祷師を使ってもだめである。
なぜならこの妖怪に取り憑かれると、『意志』が弱体化してしまうからだ。
だから、いつもこういう試みが長続きしないのである。
そこでぼくは対策を練った。
意志がないとできないようなことをやることが無駄なら、残された道はこれしかない。
直接妖怪と交渉して、出て行ってもらうのである。

まず、軽く『グー』を握り、腹回りを痛くない程度に叩いていく。
つまり、ハラマワリを呼び出すのである。
この時、「ハラマワリ出て行け!」と唱えながらやると効果がある。
ただ叩くだけだと、ハラマワリは「うるさいなあ。こいつ、何やってるんだ?」と思うだけである。
はっきりとこちらの意思を、相手に伝えなければならない。
「ハラマワリ出て行け!」とやると、ハラマワリは「この人は私を必要としてないんだ。そうか、お呼びでないのか」と思うようになる。
そして最後には「こらまた失礼しました」と言ってどこかに行ってしまうのである。
ぼくは、この方法を1週間試しているが、心なしかズボンをはくのが楽になったような気がする。
きっとハラマワリが引越しの準備をしているのだろう。



2002年04月05日(金) 2年9組の保健委員

新学期というと、他にもいろいろな行事がある。
その中にクラスの組織作りというのがあった。
学級委員や体育委員などの役割分担である。
この役割分担で、今でも忘れないのが、高校2年の頃にやった保健委員である。

2年の始業式の次の日、選挙方式でクラスの各委員を選出した。
学級委員から決めていくのであるが、担任から「まだクラスの人のことを、よく知らんだろうから、今回だけ学級委員は私が決めたいのですが」という提案があり、みんなはその意見に従った。
学級委員の次が保健委員であった。
最初の選挙である。
担任が言ったように、ほかの人のことを知らないのだから、当然選挙は知名度の高い奴が選ばれるようになっている。
ということで、1年の時変なことばかりやって目立っていたぼくに、白羽の矢が立った。

一般的に言って、学校の保健委員というのは、いわゆる閑職である。
ほとんどやることがない楽な係である。
しかし、高校2年の時の保健委員の仕事はひどかった。
学校の本館と南校舎の渡り廊下の途中にトイレがあったのだが、このトイレを管轄するのが9組の保健委員、つまりぼくであった。
高校2年の時、保健委員だけは1年間替われないという決まりがあった。
ということで、ぼくは1年間トイレの管轄をしなければならなくなった。
養護の先生は、休み時間であろうが放課後であろうが容赦なく校内放送で、「2の9の保健委員、保健室まで」と呼んでは、「トイレが水浸しになっとるよ」とか「便器が汚れとる」と言ってぼくに掃除をさせた。
トイレ中が水浸しになることは、2度や3度ではなかった。
また、「『こんなところにするか!?』という場所」にウンチが転がっているのも、2度や3度ではなかった。
これらを処理するのに、結構時間がかかったのを覚えている。

さらに嫌だったのが、検尿集めである。
これは誰の尿かわかるだけに気持ちの悪いものだった。
容器を手で掴まなければならなかったのだが、なにかぬるぬるして気持ちが悪かった。
しかし、検尿を見てわかったのだが、尿の色も人それぞれでちがうものである。
透明な尿、黄色く濁った尿、白く濁った尿、など千差万別である。
「この尿で占いとかできるんやろうか?」などと思いながら、見ていたものである。

いろいろと嫌なことばかりあった保健委員だったが、役得がないわけでもなかった。
修学旅行の時、薬箱を管理されたのだが、そこに入っていた『トラベルミン』を好きなだけ飲めたのだ。
修学旅行2日目には、すでにトラベルミンはなくなっていた。
3日目に「気分が悪くなりそう」と言ってきた奴がいた。
仕方がないので、「これが効く」と言って、胃薬を与えておいた。
別にその後何もなかったから、効いたのだろう。

とはいうものの、やはり高校2年の時の保健委員の仕事はつらかった。
3年の時も引き続き保健委員をやったのだが、そのときは楽だった。
一応検尿集めはあったが、それ以外の仕事はないに等しかった。
しかし、この時は1学期で委員を辞めたのだ。
おそらく、2年の時にいろいろやったおかげで、この仕事が好きになっていたのだろう。
そのせいで、仕事のない3年の保健委員に面白さを感じなくなっていた。
やはり、人間は仕事をしている時が一番楽しいというのを、この時感じたものである。



2002年04月04日(木) 新学期

そろそろ新学期である。
小学生の頃、この時期の一番の関心事といえば、なんと言ってもクラス替えだった。
「また同じクラスになりたい」と思う奴もいれば、「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思う奴もいた。
ぼくたちの学校は、2年単位でクラス替えをやっていたので、その先2年間の運命が始業式に決まるのである。
幸いなことに、ぼくは「こいつとは、絶対一緒になりたくない」と思った奴とは、一緒のクラスになったことはない。
おかげで、小学校の6年間は楽しい学校生活を送れた。

中学時代は、クラス替えのことがあまり気にならなかった。
それは、小学時代とメンバーがほとんど変わっていないからだった。
同じ学校に6年間もいれば、一緒のクラスになったことのない奴でも、だいたい気心が知れてくるものである。
そこには、誰と一緒のクラスになっても同じことだ、という諦めもあった。
また、クラスの環境は自分たちで作っていくものだ、という意識が芽生えてきたこともあったのだと思う。
まあ、あまり面白くない中学のクラス替えだったが、楽しみがないわけではなかった。
それは転校生である。
この時期、いつも2、3人の転校生がいた。
ぼくたちの学校は、転校生をいじめるような風潮がひとかけらもなかった。
どちらかというと、みな好奇心で接していた。
もし、その転校生がよく勉強できたりすると、その好奇心は尊敬へと変わっていく。
その次の学期には、その人は必ず学級委員になっていた。
あほな風潮である。

さて、高校生になると、再びクラス替えが関心事になってくる。
クラス替えに直接関係あるのが、2年と3年の時である。
2年の新学期の頃は、1年の頃に同じクラスや同じクラブの人間以外はあまり知らないものである。
そこで、クラス替えに新しい出会いを求めるのだ。
このへんが、小学校時代のクラス替えとはちょっと違うところだった。
しかし、クラス替えに興味を示したのは、この2年の時だけであった。
3年になると、クラスの連帯感よりも、より個人的な人間関係というものを大切にするようになっていたため、ぼくにとってはクラスというもの自体が意味を成さなくなっていた。
それだけ付き合いが広くなっていたのである。

その後、この傾向はさらに強くなる。
ぼくは、会社の人間との付き合いというものには、あまり興味を持たないほうである。
ぼくにとっては、会社の外の付き合いのほうが大切なのである。
だから社内の人間よりは、社外の人間と飲んだ回数のほうがはるかに多い。
取引先と仕事を離れて飲むことが多かった。
もちろん割り勘である。
彼らはいろんな所から来ていたから、そういう地方の情報を聞くことが好きだった。
また、異業種の人と飲むことも多かった。
音楽関係の人の家に遊びに行ったり、ホストの忘年会に参加したり、NHKのアナウンサーと飲んだり、小学校の先生と語ったり、と大忙しであった。
こういうことも、元はといえば、高校の頃から始まったのである。

さて、いくつになっても、新学期は新学期である。
社会に出てからも、人は同じことをやっている。
クラス替えは人事異動という名に変わっただけである。
適材適所などという言葉にだまされてはいけない。
あれは上司の逃げの方便である。
クラス替えと同じことなのである。
昔ぼくは、クラス替えが好きな人間だった。
しかし今は、人事異動が好きになれない人間になっている。



2002年04月03日(水) セクハラ

ある小売店での話である。
その店には、ぼくほどではないが、けっこう白髪の多い男の人(仮にYさんとしておく)がいるらしい。
先日、その店に本社の営業部長が来たときの話。
その営業部長は、天下りでその会社に入ったらしく、その業界のことについては素人に近い。
一方のYさんは生え抜きのベテラン社員である。
他の会社のことであるから、詳しいことは知らないが、営業部長とYさんは、以前から折り合いが悪かったという。

その日、営業部長がYさんをつかまえてこう言った。
「君、その白髪頭、何とかならないかね。そういう頭で店に立つとは、お客さんに対して失礼じゃないか。染めてきなさい」
Yさんは怒りに震えていたそうである。
周りに他の社員もいたらしく、その部長は、
「君たちはどう思うかね」
と訊いた。
そこに一人、ハゲた人がいたが、その人は、
「私は髪がないですから、よくわかりません」
と言って逃げたという。
もう一人、若い人がいたらしいが、その人は、
「別にいいんじゃないですか」
と言ったらしい。
その部長は釈然としない顔をしていたという。

今日ぼくは、この話をその会社の人から聞いた。
ぼくが白髪王だから、ぜひ聴いてもらいたかったに違いない。
その人もアンチ部長派である。
ぼくは一言言った。
「実に感動的な話やねえ」
しかし、はらわたが煮えくり返っていた。
こんなことがまかり通っていたら、白毛一族はどうなるんだ。
じゃあ、ハゲはいいのか!?
「お客さんがまぶしいからヅラをつけなさい」
とでも言うのであろうか?
一目でヅラとわかる人はどうなんだ!?
「お客さんに不自然な思いをさせるんじゃない!」
とでも言うのだろうか。

しかし、これははっきり言って、セクハラである。
訴えて、慰謝料を請求すればいいんだ。
証人もいることだし。
やってやれ、やってやれ。
しこたま慰謝料をふんだくって、会社から追放すればいいんだ。
白髪王のぼくが応援してやる。

うちの会社にも天下り連中が多いから、もしかしたらぼくのところに、そういうことを言ってくる人もいるかもしれない。
ぼくは、そういう理不尽なことを言ってくる奴とは、断固戦うことにしている。
前の会社でもそうしてきたし、そのために左遷の憂き目にもあっている。
もう、多少のことには、びくともしないようになっている。
『しろげしんた』の『しろげしんた』たる由縁を否定されると言うことは、ぼくの存在や全人格を否定されるに等しいことである。
もし、そういう奴がいるのなら、人を見て言うがいい。
白髪王に逆らうと、どういう目にあうか、充分に思い知らせてやる。



2002年04月02日(火) CM

先日、テレビ東京系で「おもしろローカルCM大賞」という番組をやっていた。
やはり関西のCMは面白かった。
へこんだ車を売るのに、「最新のデザインや」と言い張るおばちゃんのCMや、関西電気保安協会のCMが特によかった。
あの臭さがたまらなくいい。
引越しのサカイのCMの初期の頃の臭さを、髣髴とさせるものがあった。

そのほかにも、全国いろいろなCMが流れていた。
福岡放送の「ナイトシャッフル」を見たことのある人なら誰でも知っている、沖縄の『川満しぇんしぇい』も出ていた。
沖縄では、知らない人がいないほど有名な人だということである。
ちなみに、「ナイトシャッフル」では見せなかった自宅の中を、この番組では見せていた。

福岡のCMでは、双子の姉妹が振りをつけて「2000円で行けるばーい♪」と歌う西鉄ののCMや、天国社のCMを流していた。
天国社のCMは、全国的に話題になっているそうである。
80歳を越えたお年寄りがダンスや卓球をやっている姿を映し、バックで「まだまだ行かない、天国社♪」という歌を流すCMである。
『天国社』とは葬儀屋である。
ぼくは、初めてこれを見た時から「変なCM」と思っていたが、こんなCMが話題になっているとは驚きである。

そういえば、福岡にはけっこうお宝CMがある。
早朝の街を駆け抜ける一台のバイク。
そのバイクの行き先は、高台にある墓場。
新宮霊園という会社の、15秒ほどのCMである。
たったこれだけのCMであるが、このCMのどこがお宝かというと、このCMには「もっていまーすかー、・・・、しんぐうれいえんー♪」という歌がバックに流れている。
実はこの歌、長渕剛が歌っているのである。
かなり昔からやっていたCMだから、この歌はおそらくこちらにいた頃、つまりデビュー前のものだろう。
まさにファン必聴ものである。

何年か前に、阿蘇大観望が舞台にしたドコモ九州のCMがあった。
あの頃はメインキャラクターが、陣内孝則だった。
女性と二人で出ていたのだが、その女性があの田中麗奈だったらしい。
そういえば、「なっちゃん」のCMが流れていた時、友人が「あ、ドコモの子やん」とか言っていたなあ。
ぼくは、ドコモのCMを見たとき、大観望のほうに目を取られて、女の子の顔などはちゃんと見ていなかったので、ピンと来なかったけど。
さすがに田中麗奈のCMはもう流れていないが、長渕のCMはいまだに現役である。

けっこう地元出身の芸能人を使ったコマーシャルも多い。
最近は、ハウスのインスタントラーメン『うまかっちゃん』のCMに、氷川きよしが出ている。
前は元チェッカーズの高杢が出ていた。
また、九州電話のCMには、武田鉄也・財前直美・前川清が出ている。
ホワイトデーを発案した石村萬盛堂のCMには、元社員でもある小松政夫が出ていた。
しかし、芸能人を多く輩出している福岡県にしては少ないほうである。

さて、ぼくがCMで一番印象に残っているのは、高校を卒業する頃よく深夜にやっていたCMである。
たしか『ハワイグループ』というキャバレーか何かのCMだったと思う。
別に、映像が斬新だった、などという理由ではない。
あまりしつこく流すので、歌が頭にこびりついてしまったのだ。
あの歌は今でも忘れない。
「田中さんも、高橋さんも、みんなハーワーイー♪、(ハワイ!)」
という歌だった。
そういえば、「楽しいロンドン、愉快なロンドン、ロンドーン、ロンドン♪」というCMもこの頃のものだった。

ところで、このCMを思い出す時、必ず対で思い出す歌がある。
深夜にやっていた、「歌う天気予報」でかかっていた歌である。
濃艶なケバイ姉ちゃんが歌っていた。
「私はあなたが好き、たっまらなく、たっまらなく、すっきー♪」
という歌だった。
この歌を聴くたびに、いつもぼくは「この人はどうやって歌手になったのだろうか?」と思っていた。
振りは下手だし、歌も決してうまいものではなかった。
「歌手にしてやる」と言う甘い口車に乗り、体を捧げてきたタイプじゃないのだろうか。
まあ、いろいろな要因があって歌手になったのだろうが、この歌詞はいただけない。
その後、彼女の姿をテレビで見ることはなかった。
彼女にはきっと、いいスポンサーがつかなかったのだろう。



2002年04月01日(月) ナイターが始まった

今日からまた、お風呂でラジオを聴く生活が始まった。
もちろんナイターを聴いているのである。
これは、ホークスが弱かった頃から、ずっと続いている習慣なのだ。
試合の進行具合いかんでは、かなりの長風呂になることもある。
最長、2時間半という記録を持っている。
午後9時から11時半まで、風呂につかっていたのだ。
もちろんぬるま湯につかっているので、のぼせるようなことはない。
ただ、寝るのが極端に遅くなるのは、言うまでもない。

「早く風呂から上がって、テレビで見ればいいやないか」、とよく言われる。
おっしゃるとおりである。
そのためもあって、BSを契約し、さらにスカパーに加入したわけだから。
しかし、ナイターはやっぱりラジオである。
テレビで、あそこまで細かい実況をやってくれるだろうか?
例えば、昨日のホークス松中のホームランのシーン。
テレビでは、「やったー!ホームラン。大きなホームランでした」だけであった。
これがラジオなら、「松中打った!ライトを襲っている。大きい。大きい。ライトは一歩も動かない。入ったあ!ホームラン」となるだろう。
つまり、テレビは結果中継、ラジオは実況中継をやっているということである。
ラジオで野球中継を聴き慣れた人ならわかるだろうが、ラジオで聴く時には、頭の中にグラウンドがあるのである。
アナウンサーの実況で選手が動くのである。

ラジオの中継で、ひとつ特記することがある。
それは解説である。
実に詳しい。
テレビの場合、アナウンサーから何を聴かれても、「そうですね」である。
例えば、
「次の配球ですが、フォークがきますか?」
「そうですね」
これで終わりである。
これがラジオになると、
「次の配球ですが、フォークがきますか?」
「そうばかりとは言い切れませんね。ここは、もう一球遊んでもいいでしょう」
となる。
特にラジオの解説の人には、職人肌の人が多いから、より専門的なことを教えてくれる。
ぼくが聴いているKBCラジオは、以前、河村英文さん(元オリックスコーチ)が解説をやっていたが、この方の解説は詳しく丁寧だった。
さすがピッチングコーチをやっていただけあって、いろいろと配球の妙を教えてくれていた。
そういうことを知っていると、野球の見方も自ずと変わってくるものである。

ラジオの野球解説者も、いろいろな人がいる。
テレビだとなかなかわからないその人の性格が、ラジオだと手に取るようにわかるものである。
先の河村英文さんは、いつも文句ばかり言う人だった。
まあ、その頃のホークスは弱かったから、文句を言う気持ちもわかったが。
河村さんがオリックスのコーチになってからは、昨年亡くなった杉浦忠さんがやっていた。
この方は温厚だった。
選手を決してけなさない。
やはり監督をやっていたから、選手を思いやる気持ちが強かったのだろう。
この方の解説に慣れてきたところだったので、亡くなった時はさすがに寂しかった。
高橋慶彦は理論派。
とにかく理屈っぽい。
しかし、この人の解説もわかりやすかった。
よく「ぼくが解説をやると勝つんです」と言っていた。

とにかく、今年も「ホークス・ジャンボナイター」が始まったわけである。
今日から風呂に入る時間が長くなるのだが、日記を書かなければならないから、なるべく早く上 がろうとは思っている。
そのためにも、エラーや失投で同点にされ、延長戦突入といったことのないように、ホークスの選手(特にT内野手、P投手)にお願いしておきたい。


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