| 2003年09月13日(土)
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寄席で過ごす贅沢な夕べ |
親の脛を齧りまくり、日本でも有数な芸術学部を卒業させてもらったあたくし。 在学中は、学科側の指定レポートなどのために、見たくもない芝居であるとかも含まれど、 とにかく様々なジャンルの「芸能」に触れさせていただいた。
歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)、能、狂言、新派、舞踏、日本舞踊、新劇、バレエ、 モダンダンス・パフォーマンス、新体操、ミュージカル、果てはサーカスまで・・・・ ありとあらゆるジャンルをとりあえずは制覇したつもりだった。
先生が監修をしているからタダで見れる〜( ̄¬ ̄*)♪というのもあったし、 学校に納めた授業料の中から、能楽堂や国立劇場の見学も兼ねて観劇というコースもあった。 これはレポート提出な上、既に料金を前払いしてあるので(苦笑)休めない。
せりふのない、舞踏やダンスパフォーマンスの芝居はなかなか趣が深い。 せりふはあるが、「新派」というジャンルは古いようで新鮮なものを感じた。 波野久里子さんや水谷八重子さんらをあんまり知らなくても、内容で楽しめた。 歌舞伎もそうだった。とっつきにくい印象があったけれど、スジは簡単で、 ただ、見栄をきったり、普通の動作をせずに芝居が進行していくだけで、 別段、普通のお芝居と変わらないんだな・・・・と感じた。笑いもとるスジになっている。 浄瑠璃や長唄も、古臭い感じがして自分からは飛び込まない世界だったかもしれないが、 実際、生で見てみると結構面白かったりする。
そんな感じで、芸術・芸能に関しては、必要最低限のものを与えてもらい、 その中から自分の好きなものを見つけてちょうだい的な学校のやり方は、別段異論もないし、 もう二度と見たくねぇな・・・・(-。-) ぼそっ と思ったお能以外は、 誘われれば絶対に行くようにもした。 狂言はともかく、お能は本当に退屈でねぇ・・・・。 あれが良いという人もいるんだけれど、あたくしの肌にはどうも合わなかった。
と、結構、嗜みだけはこなしてきたつもりであったが、日本古来の伝統文化で、 唯一、生で見ていないものがあった。 それは、プロの噺家さんの「落語」である。
大学には大抵、『劇団』とか『演劇部』みたいなものが存在するように、 結構有名どころの大学には必ずといっていいほど『オチケン』が存在する。 『オチケン』・・・・『落語研究会』・・・・「落研」・・・・『オチケン』こう読む。 学生がやる、古典落語など高々知れていて、無論うちの学部にもオチケンは存在したけれど、 彼らのやっている活動内容は、全然把握できないまま卒業した。
明治大学のオチケンはかなり有名で、俳優の三宅祐司さんなんかもここ出身だったりする。 噺家さんの中にも明治大学オチケン出身という人は結構いるらしく、 本日、初めて足を運んだ寄席で、トリを勤めてらっしゃった、三遊亭小遊三師匠も オチケンかどうかはさておき、明治大学在学中に、三代目遊三師匠のところに入門している。
我が家では、毎週日曜、何とはなしに「笑点」を視聴している。 番組の半分は「大喜利」で占められているが、 その前座に、まだ真打になっていない若手落語家が小噺をするのは見たことがあっても、 真打の噺家さんの落語を寄席で聞いたことはないというのに、今更ながら気付いた( ̄∇ ̄;)
そして、本日。 初めて寄席に足を運び、そして、真打の噺家さんの落語を聞き、 あたくしはそりゃもう、凄く感動している。 彼らは、自分の喋りで以って観客を笑わせるのが仕事なんだけど、 よくもまぁスラスラと、スジもへったくれもない噺の枕(本題に入る前のつかみ)で あれだけ客を笑わせることが出来るものだなぁ・・・・とつくづく感心したのだ。 勿論、自分もゲラゲラ笑っていて、トリの小遊三師匠が高座から降りる頃には、笑いすぎて 疲れていたくらいだった。 枕に15分以上かけるなんて、こんな滅多にない状況(爆)。 師匠が話していたのは、主に笑点メンバーの楽屋話に、悪口と病歴で(爆)、 それで笑いがとれるのだから、ここんとこで既に大したものなのだ。 だから如何にあの番組が、日本国民に嫌というほど浸透しているかというのも垣間見られる。
枕で大爆笑を取って、スジに突入しても、温まった空気はそう簡単に冷めやしない。 ・・・・というか、二ツ目の若手とは全然、格が違うのである。 素人にもわかる・・・・演じ分けが巧い・・・・。
まぁ、古典落語の定番といえば、長屋に出てくる八っぁんに熊さん、そのおかみさん、ご隠居あたりが 主な登場人物で、それに遊び人の若旦那や長唄のお師匠さん、なんてのも たまにオプションでついてくるが、基本は粋のいい男性2人のやりとりに、 威勢のいい江戸っ子女房がたまに媚びてみたりしながら、 それでも問題が解決しないと、ご隠居という年寄りのところへ駆け込む・・・・ まぁこれが基本のスジというものだ。
「雑」の会員、伊東先生は古典落語作家なので、彼の作品は長く愛読しているが、 大体落語のスジというのは、このように進んでいくんだな・・・・と理解していたところ、 この4月に実際にお会いして聞いてみると、やっぱりその通りで、 普通の戯曲を書くよりも、数段ラクで楽しいらしい(ご本人・談)。
普通の芝居となると、この時点で既に4人の役者が必要で、 あれこれと掛け合いの稽古をしなければならないところ、噺家さんらはこれを全部一人でやる。 所謂「ト書き」の部分まで面白可笑しく、聞かせなければならない。 凄いなぁと思うのは、酔っ払いデレデレの旦那より、凛としているそのおかみさんの方が きちんと女っぽく見えること。 喋り方であるとか、仕草であるとか、ともすれば目線であるとか、 そういうのを全て含めて、からりと変わる。 酔っ払いのぐでんぐでん亭主から、きりりとしたおかみさんへ、一瞬にして変身する。
その上で、2人のやりとりが間の抜けた冗談を散りばめた会話で、支離滅裂なのを きちんと成立させて、スジを進めていくっていうんだから、これはもう職人技!! そこらの役者が、1年や2年稽古したところで、追いつける代物ではない。
もう、思いっきり堪能して笑い転げ、反面、感動し感心し、勉強にもなった。 いっつも笑点では、鮮やかな水色の着物(羽織)を着ている、小遊三師匠なのだが、
粋な江戸言葉を流暢に話すというのも、なかなか最近では見られなくなり、 何が標準語なのか、どれが方言なのか、というのも曖昧なこの世の中・・・・。 本日、今宵。江戸の町並みの風情というのを贅沢に堪能させていただいたのでした。
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