| 2003年09月12日(金)
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実るほど頭を垂れたいアサミンジャー |
うちのサイトの看板コーナーであったみそひともじBBSが復活して、 既に十首以上の歌が出揃った。・・・・快挙である。 あたくしはほぼ一日中、それらの歌に感謝と敬意を込めて披講していた。
途中、ちょっと休憩して、パラキスを読んだ(爆)。 あたくしの愛する、矢沢あい大先生、怒涛の完結編である。 ある意味の感動を覚え、板に戻る。
今までにない凄い頻度で、投稿作品が届きまくっている。 あたくしは興奮していた。 こちらも怒涛の勢いで、全ての作品に披講をつけた。 (今までの仕事の遅さは何じゃいな!? という古参のツッコミは聞かないことにしよっ)(爆) (これからきっと、披講速度もどんどん落ちていくだろうこと、見離されないようにせねば)
それはそうと、先日、ききあ嬢が御自分の日記で、山頭火の句を紹介してらっしゃった。 何たる偶然・・・・。 種田山頭火という俳人は、あたくしの恩師がこよなく愛した人で、 挙句、彼の生き様を戯曲にまでして、旅公演までやってしまった。 その時のタイトルは、山頭火の句そのものを充てていた。
うしろ姿のしぐれてゆくか
これで、1つの「俳句」とした彼は、無論、どこの俳壇にも属することのない、 流浪の俳人であった。 後にその自由律の良さが認められ、それこそ教科書にまで載るような文豪となったけれど、 彼が生きている間は、「俳人」として見做されたことはないはずだ。 俳句は知っての通り、5・7・5のリズムを守り、季語を入れねばならない。 それをあっさり破って、自分の言葉のみを信じ、それを俳句としたのが山頭火。
あたくしはこの彼ほど潔くもないので、自分のBBSでも「5・7・5・7・7」だけは守るようにと 言ってはいるけれど、反面、山頭火のような破天荒さが羨ましくもある。 排斥され、淘汰されても、自分の生み出す言葉だけを信じて生きた山頭火。 彼のように生きられないと思いつつも、何かを生み出していないと不安になる自分・・・・。 この矛盾が頭に蔓延って、しばらく離れなかった。
短歌なんて、生まれてこの方やったことがないのよ・・・・という人からの投稿もあった。 とても美しい旋律で出来ていた。 その人から学ぶものもとても多い。 あの板は本当に掲げておくだけでも、あたくしにとっては実りの多い掲示板だったのだ。
実るほどこうべを垂れる稲穂のように、咲いて儚い桜のように、 山々を彩る楓や蔦のように、土の色を自分の色とする紫陽花のように、 燦々と照り輝く太陽のように、大地に恵みを齎す潤いの雨のように、 逆らわず、逆らわず・・・・。 でも時には、滝を駆け上る鯉のように、わが子を千尋の谷に突き落とす獅子のように、 子供の玩具のゴムまりのように、残り少なくなった歯磨きチューブのように、 しぶとく、強く、最期の最期まで・・・・。 そんな気持ちを、あの掲示板からもらってくる。
明日は、サヨコと2人で、日本の古典芸能、落語を堪能してくる予定です♪ 高座に上るのは・・・・
全く意味もなく、「こんぺいで〜〜〜〜〜〜〜すっ!!」と叫びたくなるこの衝動。 無・・・・無意味だ( ̄∇ ̄;)
本日、ありとあらゆる語彙を使い切ったため、日記の結末がこのように疎か(爆)。 「こんぺいで〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜すっ!!」はないよな( ̄∇ ̄;)
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