日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2017年03月25日(土)

ざっくりと、今日見た夢。
なんか信頼できるな、と感じた人。(現実には会ったことはありません) その人が大きなデパートみたいな超高層ビルに連れて行ってくれる。何階まであるのかよくわからない。
その人はこっちこっちとどんどん先に行ってしまって、周りに人もいっぱいで結構離れてしまって姿が見えなくなってて、ここを曲がったからこのエレベーターに乗ったと思う!と、バクチ的に確かめずに飛び込んだらハズレで、目的は上の階にあるのにエレベーターは下に降りていく。あー、ちがうー、いないしこれじゃないー、とエレベーターは下がっていく。

エレベーターは上に行くもの、下に行くもの、大きいエレベーターがいくつも並んであるのだけど、階を飛ばしたりして移動のパターンが訳が分からない。それなので、自分一人でその目的の場所に行ける気はしないようなものでした。
迷子になったので、とりあえず建物の入り口にまで戻ってきてみました。
そして外から眺めてみる。でっかい建物だなあと。

スマホは持っているのだけど、連れてきてくれた人とはまだ知り合ったばかりで、直接の連絡先もわからない。
だけど、もともと出会った場所に連絡をすれば、そこから聞くことができるのはわかっている。
でもわたしはそれを躊躇している。
直接につながることを躊躇している。スマホの中に、その人の名前がある状況、そこを押すとその人に直につながる、ということに躊躇している。
なんか躊躇しているなあ、と夢の中でも気がついている。でも辿り着けないから、つながらないといけないよなあと思っている。

でも、もう一回会ったら、はぐれないように手をつながなきゃいけなくなりそうで、それも嫌だなと思っている。
嫌いな人ではないし、むしろ好ましく思っている人だけれど、体温がわかるとか、スマホに出てる名前を押せばすぐにつながるとか、そういう距離が近くなるのが嫌だと思っている。

そんな夢でした。
なんでこういうものを夢に見たのか、なんかわかる気がします。


今日は鍼の日でもありました。
今日のACIMのワークは「私は神の法の下にのみある」(Lesson76:I am under no lows but God's.)なので、それも興味深く感じながら。
神以外の「掟」を、わたしは頭で信じているだけじゃなくて、もっと奥の部分で信じてるかもしれないな、みたいなことを探りながら、鍼を受けに行きました。

夜寝るときに枕を抱えて横寝で寝ると、わたしはどうやらみぞおちの痛み(コリ)は出てこないようでした。2日試してみましたが、どちらも驚くほど痛みが出てきません。(毎朝当たり前にコリが出ていたので驚くのでした)
だからもしかすると、仰向けに寝ていると腰や首に痛みや不具合を感じて、それをかばうためにみぞおちに力を入れてしまうのかな、と思いました。
幼い頃を思い出すと、首ということも気になってはいます。頭を2回打っていたりしますし。別に痛みはありませんが、固くこわばらせてはいるのでした。

今日鍼灸師さんも、リラックスを覚える(思い出す)のが難しいんだよね、みたいなことをおっしゃっていましたが。本当にそうだと思いました。

肩が上がって、肩が内巻きになって、それが癖になっているといわれましたが、それって思いきり恐れの反応だなあと、それを聞いていて思いました。
その肩に出てくる癖にわたしが自分で気づいたのはボディワークを習い始めてからになりますが、いっちばん初めにその現場(?)を見たのは実は高校の時で、自分の写っている写真を見て、あれ?と思ったことでした。
わたしが思ってる自分と違う、みたいなことをそこで思いました。

そんなわけで、もう20年以上ずっとやってきた癖・動作なので、その動作が癖になっていない頃の感覚など忘れているのです。

でも、思い出したい。

今わたしは、子供の頃や若い頃に諦めたことを、やっている感じがします。
わたしは、自分が体調を崩しやすい(お腹を壊しやすい)とか、体を緊張させやすいとかそういうことを、ある時からもう諦めていました。
「わたしは腸が弱いんだ」とか「強くならなきゃダメなんだ」とか思っていて、何かの基準にあっていないことを見ないようにして、諦めていました。

今、その諦めをやめています。
弱いなら弱いでどのくらいなのかを調査しよう、というか。
それはそれでいいや、というか。
その自分に合っていることをしよう、というか。
何回やっても埒が明かない、ではなくて、メンテナンスが必要なんならやろうぜ、みたいな。
ある意味ではこれも「諦め」って言いますよね。こちらの場合は、思っても仕方がないことを、諦めている。子供からの諦めは、それとは逆だった。同じ「諦め」なのに、それだから異なる感覚、それだからまるで正反対の感覚がするのかもしれません。

そんな感じの、調査と回復的な心持ちで鍼灸を受けているのですが(勝手に)、今日、鍼灸を受けて体が楽になって、首と腰かあ、と思いながら車を運転していたら、「怖い」「怖くて泣く」みたいな子供の頃に出てくるような感覚が出てきました。今現在のわたしが、この感覚で「怖い」と感じる機会はありません。
なんだろうなあ、何が怖いときにこの感じだったっけ?と思っているところです。


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