日記×エッセイ...みち

 

 

ACIM Lesson75 「光は来た」 - 2017年03月24日(金)

The light has come.

春になると、スプリング ハズ カム というフレーズを耳にしたりするので、「The light has come.」という言葉で、わたしは春も一緒にぱっと思い浮かんできたりして、今日のワークはとても気持ちがよかったです。

長い実践時間から1日を始め、とても気持ちがよくて、そして職場に行ってもずっとずっと気持ちがよくて、

「あらららら? 人や物事を『許さない』ってどうやってするんでしたっけ? 人ってどういうことから『許さない』って思うものなんでしたっけ?」

という状態になっていました。

午後になって、「許さない」気持ちを少し思い出し(笑)、そうかそうか、わかるわあ〜みたいな感覚になったのですけど、あ、光が薄まった、みたいな感覚も同時にしました。
薄くなっても、光を感じていることはできました。
あー、こうして光を感じにくくするんだなあ、って思いました。
それと、「許さない」気持ちを思い出して、「気持ちがわかる」って思ったときの気持ち。感情。感覚。
わたしはこれをこれまで「当たり前のもの」と思っていたのですけど、「気持ちがわかること」ではなくて、「自分が気持ちがわかったときの、わかったことに対しての感情」みたいなのが見えて、それが少し気になりました。
気持ちがわかることに、うれしさを感じている。
それだけなんですけどね。


仕事が終わって家に帰り、読むのが途中になっていた本の続きを読み始めました。
そこに書いてあったのは、とても覚えのあることでした。
わたしのことを書いているのかしら?と思うくらい、とても覚えのあることでした。

こういう風に思って、
こういう風になって、
だからこういう風にしてきて、
その後はこうなって、、、
というような、心の流れと出来事の流れ、わたしにとても覚えがある流れが本に書いてあって。

そんなことを言っても、それはわかっていてもどうしたらいいかわからないんだってばー。

と思ってたことまでが書いてあったりとかしていて。

ずっとずっと知りたいと思ってきて、続きを読んだらその答えが書いてあるのかもしれなくて。

だけどわたしは本を閉じて、「カルテット」をもう一度6話から見始めました。

もう、知りたかったものに少し触れているような気はします。
でも、言葉で読むことにそうしてちょっと拒否をしてみました。
本での記述がそのくらい、まんまだ、と感じたのと、言葉で「読む」とわたしは読むことが好きな分、自然に違うところ?別腹?んー、なんというのかよくわかりませんが、そこの「違うところ」にするっと入ってきてしまうからです。
するっと入ってきてしまったら、もうわたしは何もすることができません。
だから、少し拒否ってみたのですけど、、、続きは読みますよねそれはね。書いてないかもしれないですけどね。
あー、でも「カルテット」9話だけ見てからにしよう。

ということで、明日。
甘いものとお茶を用意して、続きを読んでみたいと思います。

光が来ると、見える、見せてくれることになるみたいですね。


...




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