ACIM Lesson74 「神のもの以外の意志はない」 - 2017年03月23日(木) There is no will but God's. 最近は、田中さんの翻訳版を参考に英語を一緒に見て、自分にしっくりする言葉に直す、みたいな感じで読んでいます。もしくは、英語に日本語を添えるような感じで読んでいます。 わたしにとって英語は本当に不得意なものでわかっていないのだけど、それでも日本語に訳された文で読むのと英語そのままの文で読むのとでは受け取る感覚が違うのですよ。 「意志は一つもない。神のもの以外は。」 There is no will but God's. 英語で出てくる順番で、その言葉を自分に入れたい感覚があります。直訳ばっちこい。 最初に来るものがいちばん重要、みたいなそういう感覚で、共に入れたい。 最近行っているワークは、チューニングする、みたいな感覚でわたしは受け取っていました。 その日の想念、それから提示されているワークの仕方に沿って進めた時に、自分の中に出てくる感覚を注意してみていく感じ。 そうして自分の内側に現れ出てきたものの中で、あ、これか、というもの、文章の中で説明されているものにピッタリ合う感覚のものに合わせていく、そういう感じ。 いきなり話を変えますが、昨日、エックハルト・トールのDVDブックを買いました。で、読んでいるのですけど。 そこにいつものエックハルト・トールのように、プレゼンスのことがいつものように書かれているのを、いつものように読んでいました。 でもそれを読んでいたら、あ!と思いました。 これまでの「いつも」にはなかった、あ!と思う感じが自分から出てきました。 最近、わたしがコースでやっているワーク、チューニングしてるみたいに感じてるこれらのワーク、この、チューニングしているみたいな感覚。 それって、「今」だ。 「プレゼンス」だ。 あ!プレゼンスだ!って。 って突然気づきました。 つまりは、例えば1時間に2回行うワークだったなら、 「30分ごとにプレゼンスになる。プレゼンスになる機会を30分ごとに作る。30分ごとにプレゼンスを求める。」 そういうことをしてた!って思いました。 あ、同じだ!って思ったんですね。 同じ感覚だ!って。 これまでわたしは違う方向からそれぞれをやってた、教えてもらってた、みたいな感じがあって、ACIMはプレゼンスで言ってる、プレゼンスのことを言ってる、そういうことを頭ではそうだなあと思っていたのですけど、実際のところ、感覚としてはプレゼンスとACIMがつながっていなかったんだな、ということもわかりました。 そのくらい今日は、通電!開通!って感覚がしたのでした。 今日もそんなわけで、「わかった!」みたいな感覚と共にいます。 ちゃんと通電してる。すげえ。 ...
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