日記×エッセイ...みち

 

 

オザケン新譜購入 - 2017年02月22日(水)

昨日、わたしはとても幸せでした。そして、それがずうっと続いている感じの今日。なんということ!

小沢健二さんの新譜が出る、と知ったのが昨日のことでした。
そして、その広告であり小沢さんの文章がつづってあるものが載っていると知り、昨日の朝日新聞朝刊もコンビニで購入しました。

その広告は、小沢さんの言葉がまるで新聞記事の一部のような構成でつづられていて、その状態にも楽しくなりました。文章自体にももちろん楽しくなりました。いいなあ、好きだなあ。

で、昨日は夜勤だったので、今日、その帰り道に新譜を買ってきました。
配信がなくCD販売なのですけど、普段音楽もそれほど購入するほうではないわたしは、もうCDを買うこと自体がいつぶりだ!って感じでした。どうやってCD聞くんだっけ?と思ったりして。

CDジャケットは昔のレコードのサイズだったりして、わたしはそれもとても楽しい。
こういうふうに楽しませてもらえた時、物質っておもしろいな、楽しいなって思います。



で、新譜をDVDレコーダーにセットして流して、一度目はすんなり普通に聞きました。楽しいね、きれいだね、って。

二度目、泣きました。なんと。
なんか、すごく浸透したんですよね。
ふわって、「あ、これ、今の小沢さんが歌ってるんだ」って思ったら、たーって泣けてきました。

わたしは学生の頃によく聞いていました。フリッパーズギターも、小沢さんも、小山田さんも。

そんなに追いかけてる感じではなかったですが、普通に好きだったのでポスターを友人からもらったり、出た番組を見たり記事を読んだりしていました。

そして思い出すのは、考え方とか好きだけど、わたしは好きなんだけど、という気持ちを持ちながら受け取っていたこと。
小沢さんが語ることは好きなことだしそうだなって思うんだけど、対談の相手の方は居心地がよくなさそうだなって感じたりとか。そして、その頃それを、仕方ないこと、と思っていたなということ。
今思うんだけど、これは自分を投影していたなと思います。



新譜を聞いてわたしに浸透して泣けてきたのは、その頃に感じたそれらのことが、全く!感じられなかったからです。
なんて今もこんなにキラキラしていて、今もこんなにキラキラした歌を歌っていて、そしてなんてやさしくなって!戻ってきたんだろう!って。

それから、過去の記憶が、過去の切り取ったものではなくて今に続くつながるものとして、わたしにぶわあっていっぺんにやってきて、あ!全部だった!って感じられて。

それで泣けてきました。(たぶんね)

ほんとうにやばいです。

これもまた、単に自分の投影の場合もありますよね。小沢さんは初めからずっと変わってないよ、みたいな。だとしても、それはそれですてきなことです(笑)
そうしたら、ぐっじょぶ!って自分に言います。(先に言っちゃおー)



幸せ気分でずっといたら、生まれてこの方ずっと自分が信じていたことに気づきました。
それは「責任を取る」ということについて。

わたしはずっと、もうずうっと、こう信じてきました。
「何かひどいことが起きたら、そうしてしまった自分はそれを受け止める責任がある」みたいなこと。取りたくないものを取るものだみたいな。

それからその上、わたしは「責任を取る」という言葉に、「自分を、自分の望むところへ連れていく責任がある」という意味を持たせていなかった、ということも気づきました。

あ!持っていなかった!と、それを幸せの中で気づきました。
いい意味で、これまでやってきたことの結果への責任を取ってる、そんな感じがしたからかもしれないですね。わかんないけど!
(何かしら理由つけとこうというわたしの、でっち上げです!)


やばい!幸せでやばい!


今週のMステも楽しみです。
タモリさん&オザケンとか、たまらんがな!


...




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