ACIM Lesson46 「神は愛であり、わたしはその愛のなかで赦す」 - 2017年02月23日(木) 夜中に目が覚めました。 暑くて(冬なのに)、そして心臓がバクバクして、息が苦しくて。 先日ニトリで温度調整する掛け布団を買ったのですけど、その布団でなかったらたぶん寝汗びっしょりだったかもしれません。 (春先にも使えるその布団でも暑かったので) 鍼灸に通い始める元々の症状が、夜間に目が覚めた時のものでした。呼吸、動悸。 で、そのドキドキは、今日は悪い夢を見て、でした。 もしかすると、覚えていないというだけでずっと悪い夢を見ていたのかもしれない、と思うくらい感覚が同じでした。 悪い夢は、過去に起きていたことでした。すっかり忘れていたけれど、家族のなかでは日常的だったことでした。 今日の夢のなかではこんな感じで展開していました。 わたしは高校生で、寝坊をしました。 今はもう8時20分を過ぎていて、そして電車通学なので確実に始業時間には遅れます。 確実に遅れるので、わたしは慌てることもなく遅れることを認めて制服に着替えています。 それを見つけた母が、着替えているわたしのそばでずっと、遅刻になったことに対して「先生に遅れることを電話しないといけない」「遅れていくのだから、他の人に見とがめられるかもしれないから注意しないといけない」というような、「〜しないといけない」という「アドバイス」をネガティブな口調でずうっと付きっ切りで言い続けていて、やるべきことを要求するのだけど、自身はわたしに起こったことに参加して何かをするわけでもなく、それで段々わたしはうんざりしてきて怒る、という、そういう流れ。 これをわたしは本当に何度も何度もやっていました。 それを今、夢で見て、「いやあ、これ、何度も練習(?)してきたよ!」って。同じことを、何度も何度も繰り返し。同じことを同じ反応で、何度も何度も繰り返し。 そしてそんな感じのやり取りはわたしだけではなく、父も兄もそんな感じで、だからもうそういう反応を自分がすることは「普通」に思えていました。 母は恐れていたのだろうと、その頃のわたしは思いやしないですね・・・。今、初めて思うなあ。 母の恐れから、わたしの恐れ、父の恐れ、兄たちの恐れが引き出されてたんだろうなあと、初めて思います。 わたしたちはなんで怒っていたんだろう? 母はなにを恐れていたんだろう? わたしたちは母の恐れからなにを恐れたんだろう? その答えは、今日のワークであるLesson46にあるような気がしました。 わたしはいつもそうです。疑問が生じたときには、もう答えが用意されています。答えが用意されている安心感から質問するんじゃない?って思うくらいです。 そして、あんのじょーでした。 「神は愛であり、その愛のなかで私は赦す」 「神は愛であり、その愛と共に私は自分を愛する」 「神は愛であり、その愛のなかで私は祝福されている」 「私は神の子だから、罪は不可能です」 「私はすでに赦されている」 「神に愛されているマインドに恐れはあり得ない」 「神に愛されているので、攻撃の必要はない」 朝一にワークをしてみて、ハイハイ・・・という感じ。 これらのことの、ぜーんぶ反対のことをわたしはやっていたんですよね。わーおー。 そりゃ怒るわーって感じ。全然離れちゃってんだもの、反対方向に向かって疾走してるんだものね。 ということで、悪夢も見てみるものだ、と思いました。 それから、今日の夢だけの話じゃなくて、実際に悪い夢のなかにいたんだなって腑に落ちました。 わかりやすくて助かります。 ちなみに夢の中でのその後の展開は、わたしは母に怒った後に髪がまだらにボロボロと抜けて、あああ・・・ひどい見た目、怒ったからだよ・・・、と思い、なんとかなるかしらと丁寧にブラッシングしたらロン毛の艶々したグレーの髪のおじいさんになって、ああマシになった、とホッとしました。 起きてから、いいんだ?とセルフ突っ込みしました(笑) ←首から下は女子高生・・・ 今日は鍼灸にも行きましたが、わたしには合うのか毎回心地いいです。らくちーん。 30分くらいの施術で頻度よく通うということが、「自分で」通っている、「自分で」そうしている、という感覚になれるなあ、とも思いました。「症状があるから通う」ではなく。 というか、変化するのがおもしろいので、今度はどうなるんだろう?って変化を楽しみに行ってる感が強いです。 あとは、何するんだろう?それに対するわたしの反応はどんな感覚なんだろう?という感じ。 変化するというのはわたしだけが感じているわけではなくて、「普通よりも変化が早いから、こうなるかもよということを先にお伝えしておきますね」と今後可能性のあることを鍼灸師さんに教えていただきました。 おもしろいです。 ...
|
|