日記×エッセイ...みち

 

 

ロンハーのカズレーザーの企画を見て思ったこと。 - 2017年02月18日(土)

昨日、ロンハーでカズレーザーを知ろうみたいなコーナーがありました。
わたしはあまり普段テレビを見ないので、カズレーザーはこういう人、という印象をあまり持っていないですが、時々偶然見かける映像や言葉からの印象は、人として見ておもしろい人だなあ、賢い人だなあ、という感じでした。


で、おもしろそうだったので番組を見て。
あー、おもしろい人だわー、と思いました。

カズレーザーは賢い方だけど、その賢さからわたしは嫌な感じを受けません。
一方で、賢いなあと思いながらも嫌な感じを受ける場合(人)もあるから、何が違うのかな?と思いました。
「嫌な感じ」は、もしかするとその人が持ってる恐れで、単にそれが見えて、そしてその上、わたし自身の持ってる恐れをそこに投影して、それで「嫌な感じ」と感じるのかもしれないな、と思いました。


「気をつけてね」
「いい人ばかりじゃないよ」
と心配して声をかける周りとカズレーザー、テレビの中で起こっていた全体を、なんか不思議な感じで見ました。
うまく言えないですが、カズレーザーが何も知らないように見える部分と、「恐れ」を持たない選択(行動)と、それはどういう関係でつながってるのかな、と思いまいた。
知らないから恐れてない、と受け取るのは、知ったら恐れる(ものだと思っている)からかなあ、とか。
カズレーザーは、たとえ騙されたとしてもこの人は大丈夫だ、ってなんか安心して見ていられる感じがあるんですよね。むしろ騙した人がカズレーザーを騙した後に変わらざるを得ないことになるんじゃないかな、みたいなワクワクもあります。
最後の、お金貸してほしい、と言われた時のやりとりなどを思い出すと、間違いなくそうだよなと思います。騙そうとしてるほうがびっくりしちゃう、みたいな。そしてみんなカズレーザーが大好きになっちゃう。(番組を思い返すと、仕掛け人のみなさん、みんなそうだったんじゃないかなと)

精神的にも物理的にも、この人は困ることにはならないだろうって。むしろ経験して、楽しんで、周りを驚かせていく、みたいな光景が浮かんで(妄想できて)楽しくなる感じがあるなあ。

愛があって、恐れがあって。


...




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