日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年09月10日(土)

正しくある必要性があるなーと見ている。

また自問自答してみました〜

わたしは、相手のそのひと自身が思っていること以外の面がわたしに見えたときに、その人を否定することなく、正しくある必要性もなく、できれば相手の人を傷つけたりはしなくなくて。

そうしたら、どうして伝えたらいいんだろう?どうやったらいいんだろう?

そう思う、自分の思考や感情の原因はなんだろうなあ、と思ったのが始まり。

今のところわかった原因。
1、相手の人を傷つけたくはない = 自分がそれで傷つきたくない、ということを認識していなかった
2、否定したり正しくある必要性を使ったりするようなひとと思われて、皆に嫌われたりしてないかとか心配している自分、を認識していなかった



それなので、自分を傷つけない伝え方とはどのような点を意識したものかしら?と思った。

今のところの答え。
ジャッジした表現で伝えない。全てのことがいいようにもわるいようにも見ることはできる。ころころ変わっているわけじゃなくて、本質がそれだというのはしっかりとそこにある。ジャッジではなく、本質を見る。

ということで。
「自分がそれを、よいとかわるいとかジャッジしていることに気づく」という意識でいる、という答えになった。



そもそもどうして傷つくの? そもそもどうして嫌われたりしてないかと心配するの?と自分に聞いた。

答え。
呼吸法をしてね。理由がわからなくても手放せる。
優先権を「知性のつじつまをあわせること」にゆずらない。
手放してから理解できることもあるし、そのままこれまでそれをもっていたことも忘れて、理由を求めることも忘れることもある。

自分にそういう部分がある。
「そうすると傷つく」という思い。「こうしたら嫌われる」という思い。
逆にいえば、「そうしたら相手を傷つけられる」「こうしたら嫌うのは当然」と思っている?かも?


ということだったので、こんな感じで書いてみた↓

「わたしは、わたしを否定されると傷つきました」
「わたしは、相手を否定することで相手を傷つけることができると思っていました」

「わたしは、正しくある必要性を誇示されることで傷つきました。自分の言い分だけが正しいという、そういう人は嫌って当然と思っていました。」
「わたしは、正しくある必要性を周りに誇示することで傷つきました。そういうことをしたわたしは嫌われて当然だと思っていました。」

そうしたら、自分の感情がぼよぼよ〜と動いているので、ちょっと見とこうという感じ。


...




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