日記×エッセイ...みち

 

 

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つらつら - 2011年02月23日(水)

ひとつクリアするとまた次の出題がくるようで。

展開が速いためか、明らかに変わっていることがわかる。
以前、嫌だと感じたことが何も感じないことがあったり。
人への接し方や話し方が変わっていたり。この人と話す時、こういう会話の仕方じゃなかったよなあ、みたいな。

母の件でまたも次の出題。
母の表現がきっかけなんだけど、でも嫌だったのは母に対してというわけではなかった。

これまで意識したことがないものの場合、嫌だなという感覚はあるんだけど、ちゃんとそれに意識を向けないと何が嫌なのかがわからない(��д��)

なので、嫌だなーと感じていた。そうしたら、わかった。
いくつか組み合わさっていた。

ひとつはこれまでもあったこと。
っていうか、よく考えたら子どもの頃から嫌いなことだった。

ネガティブなことを、くどく言われ続けるのが嫌い。
これが嫌いなために、母に対して怒ることが多かったことに今頃気づいた。
母も、そしてわたしも、わたしが怒ることがいけないこと、としていたことにも気づいた。
そうだよなあ。怒ってる原因、わかってなかったもんなあ。

現実的な対応をするために必要以上なことを言われているように感じる。
っていうか、脳の働きがダウンかー(^_^;)

どうして嫌い?
だんだん力が抜けていくから。いつまでも留まっていて飛び出して行けないから。
なるほどね。

ふーん。
そっか。
その人の表現、と見れていれば、これ、わたしは力抜けないかも…。
わたしは飛び出していいんだよ。相手の人が留まっていたいだけなんだよ。わたしが連れて行かなくてもいいんだよ。一緒にとどまっていることもないんだよ…。

そこが寂しいのかな。

感じとこう。

子どもの頃からのも、そうだ。
母は好き。でも、母のすることに嫌いなことがある。
好きな母が自分を表現している。それを嫌ったところで…なあ、と思った。

あとは、情に訴えて操作しようとする人が嫌い。
これも、その人の表現。
今日の場合で言うと、その人から見える母という形で、その方が自分を表現している。

はーん。

で、わたしは母に何をしたいか、母とどう過ごしたいか、だな。

あと気づいた、もういっこ。
自分のことを言われる場合は「この人の表現」と相手の人を見るようになってきてるのだけど、母のことを言われた時にそう見れなかったことに気づいた。

母、重要人物だわー。


...

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