つらつら - 2011年02月22日(火) 昨日はお酒が抜けず、頭と身体がゆるかった。 ゆるいのはうれしいのだけど、これまではこの状態だとミスしやすかった。気づきにくくなるんだよなあ。 ゆるモードでも繊細に感知できるひと、にすればいいのか。自分を。 …片づけだな。 先生が苦手、というもの。もう1回見ることになった。 先生自体に問題がなくても(相手を緊張させるような方でなくても)、自分がそう感じることがあることに気づく。 状況整えてきますねー。 それで、「先生」にいわれると、早くしなきゃ!とか答えなきゃ!とか焦る、緊張する自分に気付いた。 おもっきし小学生の自分だな。思い出したのは、九九の暗記で順番にさされて緊張していた自分。すっかりそんなこと忘れてた。 りらっくすー。 この時を思い出すと、「間違えたらあかん」が出てくる。 なんで間違えたらだめ?と聞くと、「わからないと正直に言っては怒られるから」という答えが来た。 正直に言うことがだめなこと、と思ったようだ。だから緊張してたんだな。 でも、今のわたしがそれを見るとわかることは、「わからないとそこで止まること、思考停止すること」がやらなくていいことで、わからないってことは正直に認めていいということ。 というか、わからないことを認めないと先に行けない。。。 どうするかわからない時は、アドバイスもらってみたり、もしくは思い切って間違ってみるとかw 表面的に早く終わることを望んでいるような行動をすることがあったのだけど(無意識)、それもこの緊張につながっているような気がするな。 他人のことではなく自分のことを表現している、ということがわかってきたのか、「この人はこう世界をみているのだなあ」と見られるようになってきている。 アドバイスをされたとしても、この人はこう信じているのだなあ、…ということは自分をそう思っているんだなあ、とかアドバイスではなく別のものを見ている時がある。 前までは、興味のある人、自分にとって重要としている人の言葉は全て取り込もうとしてた感じがあるんだけど、「この人はこうなんだ」「自分はこうなんだ」と見れてきてるのか、好きなものしか取り込まなくなっているなあと思う。 いろんなひとがいるのだな、と本当にわかってきた。 みんなそれぞれ取り組んでるんだなあ。 そして、AさんとBさんが仲がいい、という場合に、どちらにも共通している価値(というのかな)があったりすることにも気づいた。 それを憧れている人、逆に否定している人、どちらも同じものに対して強い感情を持っているのだなあ、と少し前に思った。 それだと仲が良くなりそうもないんだけど、ねえ。おもしろいなあと思った。 おもしろいけど、自分を通して興味を持つようにしよう。 自分がいちばん、わからないしおもしろい。でも、いちばんわかる! ...
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