つらつら - 2011年02月19日(土) 今日気付いたこと。 話術師になりたかったのだなあということ。 でも、葛藤があったのだなあということ。 話術で人や自分を楽しませたい。 そして、楽しませるのには「たくさんしゃべらないといけない、自分の気持ちに正直なこと以外も言わないといけない」と思い込んでいたことに気づいた。 なあんだ。正直な話術師ってありだな。たくさんしゃべること、ないじゃん。 自分を楽しませるぞ。 これで、コンプレックスってのは矛盾があるものをいうのだな、と思った。 こうなりたいけど、そうなれないと「思い込んでいる」こと。それをコンプレックスというのかなと。 逆に言えば、コンプレックスを感じているということは、頭で考えなくとも「どうなりたいのか」という望みがすでにはっきりわかっている証明でもある。 そして今、そうでないと思ってるということ。 そうでないというのも、…あやしいよねー。 話術で人を楽しませたいっていう自分の望みに反してた思い込み(条件)に気づいてから見てみたら、あやしい!と、とても思った。 自分にやさしく。 もうずーっとそう自分に伝えているものの、やさしくない自分が顔を出してびっくりした。 上司と話していて、仕事の件で「それをやっても楽になるのはわたしだけなんですけどね」と答えた自分に、…あ、と思った。( ̄- ̄;) それでいいがな! じーぶーんーにーやーさーしーくー それを置いといても、これは自分のためで、これは他人のため、区別してるのはなぜよ。 影響しあってるし、自分のためにしたことが意図せずして誰かに役立つことも多いってわかってんのかな。 お昼休み中に職場のTVで勝負脳ってのをやってて、おもしろかったのでかぶりつき。 潜在意識を使うってやつ。 終わり(ゴール)を意識したとたん、脳の活動は落ちるのだそうだ。意識したとたん、「もう終わった」と認識するのだそうだ。 すんごくわかる気がした。 もちろん、それに行動の方も伴うことになる。 脳の機能が落ちるのは「終了」の他に、「ネガティブ」「強制」なのだそうだ。あー。納得。 ゴールをゴールの向こうに置く。全力疾走のまま、ゴールに届く。行きつきたいゴールがあったら、それと一緒にゴールの向こうも意識しとこうっと。 「諦めたらそこで試合終了だよ」 なるほど。 まねして生きてきたなあ、ということをしみじみ思った。 何があったわけじゃないんだけど。 相手がこういう人だから、とか考えずに自分のままの態度でいたら、あれ?なんかいい感じ。 それで、まねして生きてきたなあ、と思った。 わたし自身が楽だってのは予想がついていたのだけど、それは「ちゃんとしたものではない」と思うものなのだけど、それでもいいんだ、まねされる場合もあるんだ、と思った。 たぶん、子どもの頃。 まねしたら、喜んでもらえた。 まねしたら愛される、と思い込んだのかな。 何度でも思うぞ。 自分自身でいくでー。 ...
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