つらつら - 2011年01月25日(火) 必要である、必要でない。役に立つ、役に立たない。 この魔法をとくぞと思った。 わたしが怒っている時、それは不安だということ。 ということで、いらっと来たり、お腹が緊張したりした時。 ふっあーん! ふっあーん! と、不安コールをしてみた。自分の不安を認める不安コール。 あほらしいけど、なぜかちょっとやさしい気持ちになる。 わたしが怒っている時は、大抵タロットの火の7&9が多い。あちこちやることが見えて、わーっとなっている。 そして、あっちゃもこっちゃも手を出したくなっている。実際、手を出したり。 そして、それは「今」に集中してないとも言えて、今日しっかりと気づいたのだけど、わたしは逃げようとしていた、そこから。そういうフィーリングだと気づいた。 実際、逃げるようなことなど何もないのだが。 そして、それを味わっていて気づいたのは、まだ仕事に新人で入ってきた頃に怒られたことが残ってた、ということ。 その時わたしは、自分のしていたこと、判断を否定されたと感じた。 その時わたしは、もっと周りを見ていちばん必要なことを見つけて、それをやらないといけない、と感じた。そして、それが「正しいかどうか」常にその怒った人を意識していた。 客観的に今それを見ると、相手の人はただそうして感情的に伝えるような状態だったというだけということ。 そしてわたしは、それを理解してなかったので、はりねずみのようにアンテナを全身に出していないといけない、と自分の方法を変えたということ。 人に対しての意識が変わっても、変わらずに残しているものってあるんだなあ、とも思った。無意識部分だからかな。人に対してのものは意識しやすいものだったってことかも。 わたしはそのほうが全体の効率がよいかもと思ったり、ひとりでもくもくとする作業が好きだったりすることが多いので、他の人がやっていないことをやろうとするところがある。 それが相手の人は使っていない方法だから理解してもらえなかったのと、当のわたしも自分のことがよくわかってないので、そのまま相手の感情をうのみにしてた。 ということに気づいた。 気づいたので、火の7&8のフィーリングが来た時に、そこで動きたくなる自分を感じてみた。 がまんでなく、ただ感じてみた。 あっちも気になるし、こっちも気になってるな。やりたくなってるな。誰かやらないかとか思ってるな。 周りがやってもやらなくても関係ない。 ただわたしは、気になってるなーと感じながら、今自分がやっていることに集中していよう、と決めて過ごした。 とてもいい感じ! 情熱が内にある。 知っていて、かつそれを認めている。 自覚している。 それってすごいんだなあって思う、今日この頃。 自己覚知へ向かって、ゴーゴー。 行動としては簡単なことだけど、簡単にできない、ということは人によって違うなあと感じる。 わたしからすると、「お願いしちゃえばいい。やってもらえばいい。」と思うことが、ある人にすれば、「あの人には言いにくい。他の人だったら、やろうか?って言ってやってくれる」ということだったりして。 ああ興味深い、と思う。 わたしは自分を知れば知るほど、他の人が興味深くなってるような気がする。 自分が嫌う感情や思考が咄嗟に出る時。 それを嫌う部分も自分だし、咄嗟に出た部分も自分だなあと感じた。 咄嗟に出た部分、望んでいることなんだよね。 でもそれを嫌う部分もわかる。自分のことばっかり考えてる!って否定している。 ということで、もはや得意技。 それぞれの感情を左手と右手に感じて、真ん中で矛盾をまぜまぜしてみる。 そして、まざったものを感じてみる。。。 すると、咄嗟に出た望みを否定することはないと気づいた。 その望みを、それを嫌うものがサポートできる、ってことに気づいた。 すごいねえ。。。 ...
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