日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2011年01月24日(月)

片づけが止まってしまった。
途中で止まったため、部屋は最初よりもえらいことになっている。
日々、物は確実に減っているのだけど。

で、今日は健診だったので、待ち時間の間、自分の気持ちを見つめてみたw

どうして片づけ止まっちゃったの?と自分に聞いたら、自分のことよりも他のことを優先しないと、って答えが来た。

それなので、なして自分のことを優先しないの?と質問。

好かれるようにとか嫌われたくないとかそういう答えが返ってくるのかなと思っていたのだけど、予想してなかったものが来た。

A、自分のことをやっていても広がりがない、と思っている。

Q、なるほろ。広がり、あると楽しいよね。
じゃあさ、なんのために広がりが欲しいの?

A、自分らしくいるため。自由だ。

Q、にゃるほど。自分。でも、周り優先ってそれ、自分少なくなってるかもね。
自分がそこにちゃんとなくて、ただ周り優先でやっても、ただ広がるだけになっちゃうね。
広がっただけで、自分は…、そのなかのどこかにいるの?

(なんか反応がある)

両立するにはどうしたらいいと思う?


A、常に自分を意識して、広がりの中にいる。広がりを味わう。

Q、ふむふむ。じゃあ、これを「片づけ」のことに変換してみるとどんなですかね。

A、「どうやったら片づけを再開するか」など考える必要はない。
ただ単に、おさまるところにおさまるもの。
片づけができないという時は、自分への意識や、もしくは広がりに対しての意識がどうなっているか確認してみるといい。
片方の意識が大きくなっているから、もう片方へも意識を向けるなど、確認してわかることがある。

ただ、自分自身が今どんな状態か、その指標にすればいい。片づけをしているか、散らかしているかは、ただそれがわかるというだけのもの。
片づけ自体にこだわらない。


…。

初め、質問している「わたし」の方が、答えている「わたし」をよしよしと頭なでながらお話聞いていたみたいな感覚だったのだけど、いつのまにか教えられてる感じに…。あれ?

おもろいなー。



忘れたくない、と思うことがよくある。
まあ普段もメモ魔ですし。

で、この忘れる感覚、見た夢を忘れてしまう感覚に似ている。
覚えてる時も、なんだかふわっとしているのだ。

この感覚を使っているということ、わたしにとって使いやすい道具であるということ、そういうことなのかもなと思った。

ということは、「忘れにくい」道具もあるということかもなあ。
だけどそちらを使おうとはあまり感じない。得意じゃないのかも。

じゃあどうするか。

「覚えておく」ということに関しては、別のツールを併用する。
今もそうだけど、メモを書くとか。




自分の嫌いな感情や思考が自分から出る時がある。
ずっと前は、それで自分を嫌っていた。
最近になって、今度は「どうしてそういう感情が出るんだろう?」と疑問を持つようになった。

そして今日。
「どうしてその自分を嫌うの?」と聞いてみた。
はじめての質問。

答えまち。どきどき。



...




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