日記×エッセイ...みち

 

 

つらつら - 2010年11月25日(木)

お金に対する自分の望みを見てた。
どうしてこうしたいんだろう?と。

自分に聞いていたら、それが安心だからという答え。
なにが安心?
さらに見ていった。

どうやら、お金から感じる安心エネルギーと、人から感ずる安心エネルギーが繋がっている模様。
なるほどね。媒体が異なるだけですね。

数年前、リーディングで伝えられた前世は農場のおじさん。数年前、過去生ヒーリングの講座中に見た前世は、人をだましてお金を獲得しようとしたおじさん。

それぞれその時は違う面にフォーカスしていた。農場のおじさんだったら、子どもと別れることになってさみしかったなあとか、だました人だったら、わるい人?役だった自分、それでも愛された自分を見ること、みたいな感じ。

なのだけど。
この思い出した前世は、大きなお金の失敗が信頼してくれてた人や自分にとって大きなエネルギーである人を自分から離すことになった、という共通点があることに気づいた。

そこだけ切り取って見てるんだなあ、と思った。別れることになってしまった、と感じているとこだけ。そしてわたしにとってはそれがお金の感覚と繋がっているんだなあ、と思った。

そう思ったら少し軽くなったのだけど、なんかまだあるみたいだった。

ここまで来たので逃がさないぞう!としつこくまた見ていたら、何かを忘れたくない感じ、こうすれば覚えていられる、忘れてしまうという恐れが見えた。

何を忘れてしまうと思い込んでいるんだろう。
何を忘れることを恐れてるんだろう。

忘れたくないなあ、と感じていたら、それが「感謝」ということがわかった。
そうなんだ、と思って眠った。

そして、起きてから気づいたのだけど。
「安心だから」と「感謝を忘れてしまう恐れ」とがまた繋がっていることに気づいた。

その前世のそのシーンだけ切り取っているから、感謝を忘れることを恐れている。

大きい視野で見よう。
そして、常に感謝とともにあることを決めよう。



追記。

幼い頃にお世話になっていた伯父の葬儀に行ってきた。
行くまでの道のりで、伯父との思い出を思い出してうっかり泣きそうになった。今は車運転中だから後で泣くから!と止めた。

その時に思い出した思い出は、オロナミンCをおみやげにくれる伯父。
わたし、幼い頃オロナミンCが大好物で、伯父は毎日の仕事の帰りにそれをおみやげに買ってきてくれてて、わーい(^o^)と喜んでいた自分を思い出しました。
うれしかったなー。

式場に到着して、お焼香しようと中に入る。
やばい。部屋の空気に泣けてくる。泣くつもりはないんだ。泣くのOKにすると、わたしいちばん泣いてしまう。こらえてみる。
でも、本当に亡くなったんだなあ、って思った。実感がなかったので。。。
父の時もそうでしたが、どうも急展開なので心の準備する期間がない。
元気でぽっくりは好きですけど。。。

親戚一同の元へ。
懐かしい感じ。居心地がいい。
なんかどういう自分でもいいという感じが、本当にある。こうしなさいとか、ああしなさいとかって、なかったなあって今思う。それが当たり前だったから、今頃気づいたよ。

いつわたしは余計なものをつけたんだろうなあ。。。
居心地いい場所なのだけど、自分にズレを感ずる。子供の頃と違ったもの。それは周りがそれを要求しているのではなくて、わたしが持っているもの。
取り外して戻ろう、ホームでの心地よい感覚に戻ろう、その自分で生きよう、と思った。

葬儀が始まって、伯父のメモリアルが画面に流れた。
いろいろな写真が出てくる。
あれは孫との写真かな?あれは年齢的にひ孫とかな?
と見ていた。
何気にわたしも一枚写ってた。なんか参った。

伯父の趣味は、山登り、キノコ狩り、旅行。
ああ、そうだったねえ。
キノコ大好きだったから、伯父の採ってきたキノコたくさん食べた。
旅行もたくさん連れてってもらった。

そして、弔辞を拝聴。
なんか…、努力とか、○○に耐えとか、苦労とか、数々のかたーい単語を使って伯父をほめたたえていたw
まあ意志が強く、着実にバリバリ行く感じだったからそう見えるのはわからんでもないけど、最期にこれで送るのってびみょー、と思ってちょっと笑えた。
笑えるからいいかw

で、いろいろ終えて精進料理を食べていたら、幼稚園の時の担任の先生と会った。
ん?何年ぶり…?
なんかすごいことに気付いちゃったけど、先生はお変わりない感じでした。若いなー!

久しぶりに親戚一同に会うので、あれ誰だ?と思う。あのちびっこは誰の子?と確認したり。でもおっきくなったらまた聞かないとわからんなw
ちびっこがいっぱいいると元気になるなー。

わたしも、「あのお姉ちゃんはだれ?」と噂され、あーあんなに大きくなって〜、と言われました。

いとこの子供はわたしは生まれた頃から知ってて、小学生になるくらいまではたくさん遊んであげたけど、わたしが進学や就職になって10年以上顔を会わせずに来て、久々に会ったら青年になっててびっくりしたりした。

「さっちゃんだよね?」と確認されたけど、わたしの方では、誰だろうこの兄ちゃん?と。。。あいだがないってすごいねえ。
かっこよくなっていて、おねいさんはうれしい。

わたしの知ってる頃のその子は、ちょっとふてぶてしくて、優しくて、賢そう(自分でちゃんと考えて答えを出しそう)な子ってイメージだった。そういう意味では面影は優しそうなこと以外は結構なくて、小さい頃の方が本質がでてると仮定すると…なんて思いながら話した。

わたしはどういう子だったかな。よく歌ってたけど。

今日わかったのは、わたしは実家では個人的に動いてOKということを学び、こちらの家では当たり前にある繋がりみたいなものを学んだのかもなと。
自由と、その土台みたいな感じ。

ああ、これだよ!わたしはこれが欲しい。


...




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