つらつら - 2009年03月28日(土) 何だか、おいとましたいような雰囲気になってきたなあ、と感じてコートを着だしたけれど、ずるずるしていたら泥沼化しました。 自分の感じていることを、言葉にして表すことができるようになりたいと、ずうっと昔からわたしは思っています。 自分の感じていることを相手に伝わりやすいように、伝わらないならそういう状況の自分も相手も受け止められるように、なりたいんですけどねえ。。。 んー、まだまだだったー、ということを確認できたいい経験をしました。 今現在のわたしは、「違っている個性であるかもしれないけれど、そういうわたしのことを認めて欲しい」と感じています。 そしてそれは、わたしがわたし自身を認めていないということだということもよく理解しています。 頭ではわかるんだけどなー。 まあ、ひとつひとつやっていくしかない。 そしてやっぱり、真剣に伝えようとしていても、冷静に、そして微笑むくらいのゆとりを持って、伝えられるくらいに理解したいよん。 今は自分も充分にわかっていないことを伝えている感じがあるから、必死になっています。冷静ではあっても、笑顔がない〜。 ひとつ気づいたことがあります。 スピリチュアルなことを勉強していると、誤解されることもあります。自分のことも、スピリチュアルということ自体にしても。 でも、その誤解に対してはあまり傷つかないんだなあと。まあ、誤解に対しては昔から課題だったので慣れている(それが諦めかどうかは、ちょっと観察中)ともいえるのですが、このことについては、「わたしを認めてほしい」という感情が出てこない。 ただの現象とかルールとかだからかな。何がわたしの中で違うのか、興味があります。「何を」誤解された時、エゴちゃんが「わたしを!」と出てくるのだろう。 もひとつ、自分の中にあると気づいたもの。 「お天気屋の自分が嫌い」 おー、そういうところあったなあ。感情や思いがコロコロ変化するので、わたし自身(頭の方)がそれを面倒くさく思っていました。 そういう自分も受け止めよう。コロコロ変化してるなー、と受け止めよう。 他の人がそうだとしても、「女性的なところが出てるのねえ」「切り替え早くておもしろい」と受け止めるのに、自分に対して厳しいようです・・・。もっとリラックスしよう。 「違っている個性であるかもしれないけれど、そういうわたしのことを認めて欲しい」 うーん、そんなに違っていなくても認めてなかったねえ。嫌ってた、ごめーん。 「鈍感」と思われたり、「敏感」と思われたりします。 敏感という意味が、嫌なところに気づいてそれを騒ぎ立てることを指すのであれば、わたしは「鈍感」がいいなあと思います。 鈍感という意味が、自分が好ましく感じるところにも嫌だと感じるところにも気づかないことを指すのであれば、わたしは「敏感」がいいなあと思います。 わたしは今、「自分が嫌だと感じることに気づいて、そこをヒントに自分の望みをはっきり」させることを練習しています。 ...
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