つらつら - 2009年03月31日(火) 身体とこころの関係が書かれているということで手に入れたら、宗教家さんが書かれた本でした。 宗教かぁ・・・と思いつつ、まあ、知りたいことが書いてあるなら読もう、と思って読んだので、6割くらいの満足でした。 宗教で出てくる、「戦い」「耐える」「恐れへの刺激」みたいなのが、どうもわたしの興味を惹かないですねぇ・・・。 宗教で言われていることと、わたしの好きなことの共通点もあって、例えば「考え方を変える」「幸せは自分次第」みたいなこと。 でも多くの宗教家さんが言っていることを振り返ってみると、「考え方を変えられるんだから、“耐える”必要はないんじゃ・・・」と矛盾を感じるというか。 わたしは単純明快なものが好きです。 わたしはこの本を読むことになった理由があるのなら、ひとつ思い浮かびます。 最近、対立について感じた(経験した)ばかりでした。 対立というのは、「あなたの意見を聞きません」とどちら側もそういう態度であることで成り立つのだろうなあと思います。 こういうところがあなたは悪いから、あなたが良かれと思ってやっているのも理解するけど、気をつけた方がいいんじゃない?誤解を受けるよ。世の中そういうものだよ。 そういう忠告に、「いえいえ、わたしは良いと思ってやっているので誤解ではありません」と対する場合、対立が起こっているような感じがします。 前者は、相手を理解する扉を開けていますよ、と言葉にしていますが、本当に開いているわけではないように感じます。 以前わたしは、「この言い方はずるい」と感じていました。 以前まではその理由がわからず、何か嫌な感じ・・・と思うだけだったのですが、要は「誤解が生じるのは相手の問題」としていたからのようです。 でも以前のわたしも、「相手の問題」と扱っていたから行き詰っていたように思います。 どっちもどっち、ってやつですねー。 「関係性はお互いが共同して作り上げるもので、どちら側一方だけの問題じゃないからねえ」 そう受けとった時点でお互いが歩み寄れるように変化をするし、この人はわたしと意見が違うのかもしれないけれどわたしの意見をきちんと聞いてくれる人だ、と安心します。 そしてそこで対立がなくなる、それまでとり上げられていたはずの「誤解」という問題が、結局どうでもいいもの、象徴していただけに過ぎないもの、ふうっと無くなってしまう感覚を経験して、おもしろいもんだなあ、と思ったのでした。 魔法ってこういうことなのかなあ。 あとはただ、意見を組み合わせてお互いが望むように作り上げるだけですもんね。 ...
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