思考過多の記録
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2003年04月14日(月) 春に生まれて

 そういえば、今年も誕生日が巡ってきた。とはいえ、年々新鮮味というか、自分にとって特別な日だという意識は薄れつつあることは否めない。
 誕生日がめでたい時期も過ぎつつあり、あとは墓場へ向かってのカウントダウンと、自分の衰えを自覚させられる日、そのために、素知らぬ振りをしてやり過ごす日になってきている。



 けれど、海の向こうのあの国をはじめ、戦いが大地を焦がす国々では、誕生日を迎えることは「生き残っている」ことの証である。その重みは、平和なこの国に暮らす僕などとは比べものになるまい。そして、命自体の重みはちょうどそれに反比例する。
 そう考えると、誕生日に何の感慨も湧かないというのは、如何に贅沢なことなのか分かるというものだ。おそらくこの地球上で、この贅沢を享受できる人間の数の方が少ないに違いない。



 何気なく誕生日が訪れ、当たり前のように歳をとっていくことの有り難さ。空気のように存在しているものの重み。そのことに気付かないまま一生を終える人間もいれば、次の誕生日を迎える前に冷たい骸と化す人間もいる。
 僕は相変わらず自分の人生を全面的に肯定できず、大きな価値を見出していないけれど、それは命の軽い国に生まれ、今日1日を必死に生き延びている人間から見れば、奢り以外の何者でもないのだろう。そうした国々では、おそらく自殺する自由すら与えられていない。



 さりげない誕生日に、グリーティングカードが届く。あの、彼女からだ。
「春に生まれたなんて、いいですね」
 年の瀬に生まれた彼女は、そう書いてきた。
 そんなことを言ってくれた人はこれまで一人もいなかった。僕自身、そんな風に考えたことは、今の今まで一度もなかったのだ。物事を肯定的に捉えることが何てうまいんだろうと、僕は素直に感動した。
 さり気なく僕の誕生を肯定してくれる彼女の言葉に、僕は今、新緑が芽吹き花々が咲き競うこの季節の中で、自分が生きていることを実感する。


hajime |MAILHomePage

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