思考過多の記録
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| 2003年04月04日(金) |
人脈の「広がり」と「深まり」 |
彼女は人と仲良くなるのがうまかった。元々の性格なのか、それとも外国留学や引っ越しの経験で培われたのか、その両方なのか分からないが、ともかく初対面の人に対しても臆することなく声をかけ、すぐにその懐に入っていけるエネルギーを持つ彼女を、僕は羨ましく思っていた。
僕の悩みは、この場所でも書いたが、人脈を作ることができないということだ。仕事の方は半ばどうでもいいのだが、自分のやりたいことを実現するための人脈を周囲に作ることができなかった。それはおそらく、僕自身に問題があるのだと思っていた。 一つには、僕に人を惹きつける魅力がなかったこと。そしてもう一つは、知らず知らずのうちに自分の周りに垣根を作ってしまっていたことなのだと思う。
僕も彼女程ではないが、引っ越し(と転校)を経験した。しかし、そこで僕が培ったのは新しい対人関係の結び方ではなく、主に「人見知り」の方だったといえるかも知れない。知らない人達が既に作っているコミュニティの中に入っていかなければならないのは苦痛であった。僕の知らない様々なルールが存在していたし、既にできあがっている様々な関係性の中に、自分の位置を見付けていかなければならなかったからである。その時に、無防備に自分を見せることなど僕には思いもつかなかった。そのことによって自分が周囲から拒絶されるのが怖かったし、傷付けられるのも嫌だった。 真似事にしても演劇をやっていた人間が言うことではないだろうが、僕は基本的に人間関係に怯えていたのだろう。
あれはまだ僕が小学校の低学年だった頃、入学当初から仲良くしていた筈の友達と1年ぶりくらいで同じ学年になり、そいつから苛めを受けたことがある。 思えばそのあたりから、僕は人と仲良くなるということに対して懐疑的になっていた。自分を晒せば、いつ何時誰から攻撃を受け、傷付けられるか分からないと無意識のうちに知っていた。 そんなわけで、僕は相手が自分に対して好意的であるということがはっきりしてから、相手と関係を持つようになったのである。 そして、その癖は今でも抜けない。殆ど無意識のうちに、僕は相手との間に距離を置く。
そんな僕には、相手との距離を難なく飛び越していく彼女は、本当に尊敬すべき存在だった。そうやって、彼女はあっちこっちに(僕から見れば)華やかな人脈を形成していた。自分が傷付くかも知れないことを彼女は怖れていないようだった。それは、他人からの攻撃をものともしないある種の「強さ」と自信からきているのではないかと思われる。 外に向かって自分を開くことで、関係を広げていく。広く人を受容し、そのことで自分が広く受容される。その世界へのとけこみ方は決して僕にはできないものであった。
そんな彼女が、メールに次のようなことを書いてきてくれた。 「私は人脈を増やすのは得意だけれど。保っていくのはhajimeさんの方が得意だと思う」 彼女がそう思った理由は、面識が殆どないにもかかわらず、ずっと僕の演劇活動のサイトの掲示板に書き込みをしてくれているある劇団の人達との関係が、ずっと続いていることなどだそうである。僕にしてみれば、これは自分に対して好意的な人間との関係性を少しでも長く保っておきたいと考えてのことだ。そして、なかなか人と仲良くなれない僕は、だからこそ仲良くなれた人間との関係性を深め、強固なものにしたいとの思いが無意識のうちにも強くなる傾向があるのだと思う。 そのことが、結果的に「広く浅い」人間関係よりも「狭く深い」人間関係が構築されていくことにつながっているのかも知れない。勿論、それぞれ長所・短所があるのでどちらがいいとは一概に言えないが、彼女がそんな僕の特性に気付かせてくれたこと、そしてそれを評価してくれたことに関しては、素直に嬉しかったし、本当に感謝している。
人見知りの傾向のある僕が彼女と関係性を結べたのは、おそらく正反対の性質を持っている様に見える彼女と自分とが、実はどこか深いところで共鳴しているということに、お互いが本能的に気付いたからなのだと思う。そして、そうであるならば、人脈を広げることが得意な彼女と、それを保っていくことが得意な僕とは、補い合いながら外に向かって関係を広げ、さらそれを深めていくことができるかも知れない。 それがあまりに楽観的な考え方だとしても、そう思わせてくれるだけで、彼女というひとつの「人脈」は、僕にとっては何ものにも代え難いものなのだ。 願わくは、彼女にとっても、この関係性が何らかの意味、または価値のあるものであってほしいと思うのである。
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