思考過多の記録
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| 2003年03月22日(土) |
海の向こうの戦争2003その1 |
とうとう戦争が始まった。今日はもう3日目になるのだろうか。勿論、これは既定の方針通りであった。アメリカがイラクを「悪の枢軸」と名指ししたとき、既にこの戦争の実行は決まっていたわけだし、査察が成果を上げようと上げまいと、安保理決議があろうとなかろうと、世界各地で大規模なデモが起きようと起きまいと、最初の軍隊を派遣したとき、既に攻撃開始は決まっていたのだ。 その意味では、フセイン政権の姿勢を「単なる時間稼ぎだ」といっていたアメリカ・イギリス自身が、実は部隊を展開し攻撃の態勢を整えるための時間稼ぎをしていたといっても過言ではない。
確認しておくべきは、いかにフセイン政権が独裁制よる恐怖政治を行って民衆を苦しめていようが、また過去の安保理決議に違反して武装解除を怠っていようが、また大量破壊兵器や生物化学兵器を隠し持っている疑念や国際テロ組織を支援している疑惑をもたれていようが、そのことをもってしてイラクという独立国家を武力で制圧し、政権を転覆させるという行為が許されるものではないということだ。 もしこれが許されるなら、国際法は画餅に帰することになる。何が正しくて何が間違っているのかを決めるのは、国際法に照らしての判断でも、国連を中心とする多国間の協議と合意でもなく、ただ軍事力・経済力の大きさだということになるからだ。もっとはっきり言うなら、(今回に限らず、事ある毎に国際社会を無視し続けてきた)アメリカの意に添うか添わないかが物事の判断の基準になるのである。 そして、攻撃が始まってしまった今、世界はもはやアメリカの行動を追認するしかなくなっている。国連=世界を無視し続けたアメリカが、逆に「世界」になろうとしているのだ。それは、主権国家を武力攻撃するという「侵略」以外の何者でもない行為が、「アメリカの自衛権を行使するのに誰の許しもいらない」などという乱暴にして傲慢きわまりない発言によってまかり通ってしまう世界である。
国際社会のルールとは、このような「弱肉強食」の世界とは対極にあるものの筈だ。もし今回のアメリカの行為が許されるなら、世界は無秩序にならざるを得ない。軍事的・経済的な大国が、自分の気に入らない国や自分を脅かしそうな国に対して、誰の許しも得ずに武力を行使することができるのである。そうなれば、そういうものを持たない小さな国の選択肢は2つになる。すなわち、大国の言いなりになることで自国の安全を保証してもらい、おこぼれをもらうか、自国を自力で守るために、また国際社会で発言力を得るために軍事力を増強するかのどちらかだ。 いずれにしても、これは第1次世界大戦前後の「帝国主義時代」の構図である。その延長線上の第2次世界大戦を経て、そうした惨禍が二度と起こらないために、国際社会は国連を中心とした世界秩序の構築に努め、試行錯誤を繰り返してきた。そうした努力は、この戦争で全て水泡に帰した。 時計の針は逆に回った。そうしたのは、勿論米英を中心とする武力行使を容認した国々(残念ながら、そこには当然我が日本も含まれる)である。
どんなに綺麗事を並べようと、フセインは自分及び政権の保身をはかり、アメリカとイギリスは戦後の中東地域での覇権と石油利権を狙っている。この戦争はそのぶつかり合いだ。イラクに暮らす普通の人々とは全く無関係なところでせんそうが決められ、そして始まった。しかし爆弾は(いかにアメリカが「ピンポイント」と強調しても)普通の人々の頭上へも降り注ぐ。 大方の予想通り、戦況は圧倒的に米英合同軍に対して有利だ。戦争は大方の予想よりも早く終わるかも知れない。それと共に、今は盛り上がりを見せている反戦・反米の動きは鳴りを潜めるだろう。 しかし、今回の戦争が世界のあちこちに作った大きな亀裂は容易に塞がりはしないだろう。勿論、アメリカとイギリスにとってはそんなのは知ったことではないかも知れないけれど。
そして、どれだけ戦争が早く終わろうと、どれだけ犠牲者が「最小限」にとどまろうと、そして民主主義的な新政権が発足しようと、この戦争の性格だけは変えることはできない。 繰り返すが、これは侵略戦争であり、明確な国際法違反である。 この戦争の「正しさ」を担保するのは、あの国の圧倒的な軍事力と「神」のみである。僕達は、既にそんな世界の住人になってしまったのである。
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