思考過多の記録
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この土地では、日差しや吹く風にも漸く春らしさが感じられるようになってきた。先週出張で行っていた宮城のあの街は、まだまだ春の兆しが見えかけたばかりだったなと思い出す。
2日間、仕事で学校回りをしてきた。地元の販売代理店のセールスマンと一緒である。その土地の代理店は生協と関係のある組織で、学校では「生協さん」と呼ばれているが、本当は株式会社の社員である。 2日目にまだ仕事を始めて半年余りという、若干22歳の男性と回ることになった。車中で話を聞いていると、彼はもともと映像製作を志していて、その関係の専門学校に通っていたのだそうだ。彼のやりたかったのはCG製作で、一通りソフトの使い方も習ったという。 しかし、地元の大都市・仙台でもその手の職種の口は限られる。仕方なく、コンピューターを使えるということで、全く違った業種のシステム設計などの職種に就くことになった。けれど、やはり自分のやりたいことと違うということもあって一度退職。そして現在の職を得たということらしい。
「東京に出れば、あなたの希望の職種の口はあるじゃないですか」 と僕が言うと、 「それはそうなんですが…」 と彼は少し辛そうな顔をした。 彼が言うには、彼の姉と妹が学校のために相次いで東京に出て行ってしまった。実家に残ったのは彼と両親。その土地の伝統的な風習(?)として長男(もしくは息子)が親の面倒を見るのが当然視されている中、地元での就職を余儀なくされたのだった。 そして彼は、本当は自分の希望ではないこの職場で働き続けている。 「こういう仕事(=営業)は自分には向かないんですよね。数字が出て競争させられるのは苦手だし、押しが強くないんですよ」 彼はそういって、まだニキビの残る顔ではにかんだように笑い、アクセルを踏み続けた。車は緩やかな坂を登っていった。
東京に住んでいると、「東京」というものの存在は空気のようにしか感じられない。けれど、見渡す限りの田圃が広がり、冬は地吹雪で視界がきかなくなるようなあの土地に住んでいる彼にとっては、「東京」はある種特別な場所なのであろう。勿論、姉妹が住んでいるということもあり、割と東京に来る機会も多いらしいけれど、遊びに来られることとそこで暮らすことができることとは、天と地程の差である。 CG製作という彼の「腕」をさらに磨くための場所も、金さえ用意すればすぐに見付かるだろう。また、少し幅を広げてみれば、そういう職種の働き口も結構見付かる。僕の会社のある杉並区では、アニメーション製作が「地場産業」になっているくらいだ。自分の「夢」にアクセスする道はいくつも用意されている。その気になりさえすれば、「夢」の方向に容易に進むことができるのだ。 少なくとも、地方都市に来れば得れば、選択肢はずっと多く、障害はずっと小さい。「親の扶養」という足枷も勿論存在するけれど、そのプレッシャーは地方とは比べものにならない程弱いといっていいだろう。
「僕も今の仕事で終わるつもりはない。でも、年齢のことを考えろと、どこかで踏ん切りをつけなきゃいけないとは思うので、行動を起こすとしたら早めにと考えています。」 僕を新幹線の駅に送ってくれる道すがら、運転をしながら彼はそう言った。 いつか彼は、周囲のプレッシャーを押し切って、「夢」の実現のために行動するのだろうか。いや、「『夢』の実現」というよりも、「自分のための人生を生きるため」という言葉の方が、彼には相応しいように思える。彼はそれに成功するのだろうか。それとも、いつか顔のニキビも皺に変わり、仕事に追われながら過ぎていく歳月の中で、いつか「これが自分の人生だ」と言い聞かせながら、日常に埋没して齢を重ねることになるのだろうか。 そんな彼の葛藤を考えると、僕は「東京」という「夢」の場所と隣り合わせに暮らしながら、齢を重ねるだけの状態に葛藤する自分が、いっそう情けなく思えたのだった。
東北のあの街を吹き抜ける風は、まだ身を切るように冷たいだろうか。 あの街にも、そして彼の人生にも、早く春が訪れることを、この東京の空の下で僕は祈っている。
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