思考過多の記録
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2002年11月02日(土) 勧善懲悪の世界

 まるで映画や芝居の物語のような事件が世界では次々に起こっている。ロシアのモスクワにある劇場にチェチェン過激派の武装勢力が観客を人質に立てこもり、軍の特殊部隊が突入して人質が解放されるという、その劇場でそのまま上演してもいいのではないかとすら思われるような事件が発生したのは記憶に新しい。犠牲者は日を追うごとに数を増やし、ついに100人を超えてしまった。その多くは、突入に先立って軍が劇場内に散布した特殊な催眠ガスによるものとみられている。



 プーチン大統領はいち早くこの事件を「テロ」と断定し、内外の世論を味方に付けた。今回の突入作戦についても概ね支持や同情を集めている。ロシア国内の世論調査では、実に85パーセントもの人が今回の作戦を支持したという。成る程、武装グループのやり方はあまりにも強引、かつ非道なものである。突入のタイミングや手法も、戦術的にはやむを得なかったことは理解できる。けれど、僕が気になるのは、この事件が起きた根本の原因が忘れ去られているか、不当に軽視されているように見えることだ。
 メディアでも取り上げていたように、あの事件の背景にはロシアのチェチェン政策がある。ロシアからの分離独立の動きを見せたチェチェン共和国に対して、ロシアの前政権は武力で制圧する道を選んだ。一度は失敗したものの、その後チェチェン国内での治安が悪化したことを口実に、現プーチン政権は再びチェチェンに軍事侵攻。多くの人々の命を奪ったのだった。この軍事作戦は、今も進行中だという。



 チェチェンとロシアのこうした確執の中から、過激派や国際的な組織につながると見られるテロリストが登場してきたのだ。これは、アメリカの場合もそうだが、「テロとの戦い」を宣言しているまさにその国が、テロの原因を作り出しているということを意味する。そして、ここでは昨年の9.11以降繰り返されてきた「テロ=悪」「それと戦う政府=善」という、失笑を禁じ得ない程の単純な図式が唯一の真実であるかのように語られるのだ。このことによってロシア政府は、自らの突入作戦はおろかチェチェン政策の全てまでも正当化しようと目論む。事実それは功を奏していて、上記世論調査の他にも、例えば9.11以降、それまでどちらかというとチェチェンに対して同情的・ロシアに批判的だった欧米諸国が、一転して「テロとの戦い」という文脈においてロシア支持に回るという事態も起こっている。このことがチェチェン側の焦りを呼び、今回の事件の引き金になったという見方もあるのだ。
 すなわち、「テロとの戦い」というあまりにも単純な図式が、今回の悲劇を誘発したという見方もできるのである。



 テロリスト達は暴力に訴える。そのやり方があまりに極端なので目につきやすく、人々は彼等を非難する。だが、ロシアがチェチェンで軍を使ってやっていることもまた、紛れもなく暴力を使った虐殺以外の何ものでもない。イスラエルがパレスチナ自治区で「テロへの報復」としてやっていることも然りだ。過激派や国際テロ組織などの非合法的な組織が行えば「テロ」で、政府の正規軍が行えばそうではない、などという詭弁に騙されるのはいい加減にやめた方がいいだろう。繰り返すが、どちらも暴力であることには代わりがない。そしてどちらも、「力」こそが問題を解決する手段であると頑なに信じている。
 そうさせている背景には、アメリカ・ロシアなどの「大国のエゴ」が軍事力・経済力を背景にまかり通るという国際社会の現状があることは否定できないと思う。



 しかし、「力」では根本的な解決を図ることができないのは明らかだ。それは、「テロとの戦い」で圧倒的な軍事力を用い、アフガンからテロ組織を駆逐したかに見えたアメリカと国際社会が、バリ島での爆弾テロを初めとしたテロ事件の勃発から未だに逃れられないことからもよく分かる。「力」で封じ込めることは、一時的には効果があるように見えるのだが、根本的には何も解決できないどころか、それは怒りと憎悪をかき立て、新たなテロの温床さえ作り出してしまう。こうして世界は、暴力と殺戮が繰り返される果てしない「テロとの戦い」の無限ループにはまり込んでいく。そして、そのループの中で「テロ=悪」「それと戦う政府=善」という図式は再生を繰り返しながら生き延びていく。



 もしも国際社会が事態の根本的な解決を望むなら、それはあらゆるチャンネルを駆使しての徹底した交渉(話し合い)以外にはあり得ない。そして、もう一つ重要なことは、僕達の思考が先の単純な図式から自由になることだ。言うまでもないことだが、絶対的に正しい立場も絶対的に悪い立場も存在しない。
 勧善懲悪は物語の古典的な形式である。あの9.11以降顕著な傾向なのだが、物語のような事件の多発の中で、僕達は恰も物語を生きているような錯覚にしばしば陥る。けれど、現実が物語ではないことは言うまでもない。


hajime |MAILHomePage

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