思考過多の記録
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先週の金曜日から8日間、会社のリフレッシュ休暇を利用して中国に行って来た。 中国といっても広いが、今回行ったのは、来年ダムの建設が始まり景観が大きく変わるという長江中流域の三峡、上海、武漢、西安、そして北京と、所謂「入門コース」である。この駆け足の旅行の大雑把な印象だけ書いておきたい。
まずは、何と言っても中国4千年の歴史である。その広がりもスケールも奥深さもさすが大国といえるものだった。各都市にある博物館に収蔵されている美術品、工芸品等の数も膨大なら、その作成技術の高さも並ではない。千年以上前に何故こんな物を作ることができたのか、という物が続々登場。今なおその作成方法が謎のままという物もある。 大小様々の青銅器や陶磁器の構造の巧みさや装飾の細かさなどは言うに及ばず、西安で見た秦の始皇帝が作らせたという等身大の兵士や馬の埴輪がずらりと並んで壮観な兵馬俑坑(今も発掘、修復作業中で、いつ全ての作業が終わるのかは不明)や、6千キロ近くにわたって築かれた石の壁・万里の長城等々、当時の国力の強大さが桁違いだったことを思わせる。たまたま行く直前に読んでいた本に書かれていたように、日本などは中国という巨大な文化的・軍事的な帝国の周縁部分に過ぎないのだということを実感した。
一方、現代の中国を象徴するような光景を僕は各地で見かけた。そのひとつは、狭い道と言わず広い道と言わず、横断歩道でも何でもない場所を続々と渡っていく老若男女と、スピードを殆ど落とすことなくけたたましいクラクションとともにその脇を走り抜けていく自動車やバイクだ。北京の現地ガイドが「雑伎団の訓練は、道路の横断から始まる」というのがあながち冗談とも思えないようは状況だ。 気が付くと、どんな広い道でも結構長い区間に渡って信号も横断歩道もない。日本ではこの広さの交差点なら当然信号があるべき筈の所にもなかったりする。そういうわけで、横道から出てきた自動車さえも、クラクションを浴びながら大通りを横切っていくことになる。横断者達は、まず車の流れを縫って道路のセンターライン上まで進み、次に反対側の車の流れの僅かな隙を見計らって渡る。確かに、そうでもしない限り交通量が多く信号のない道路を横切ることは1日中待ってもできそうにない。
日本ならば横断歩道や信号機の増設が検討され、実際に設置されていくだろう。しかし、その気配がないところを見ると、どうやらそれが中国人の常識になっているらしい。つまり、お上の力や規則に頼ることなく、自分の才覚で文字通り道を切り開いていくというのが彼等の処世術なのである。だから、車の側にしても、少し手前からスピードを緩めるなどという配慮はない。他人に情けをかけるより、自分の道を突き進むことの方が重要だからだ。人に立ち止まらせるか、車に急ブレーキを踏ませるか、ここではまさに人々のバトルが繰り広げられているのである。 そういえば今回の滞在中、おしなべて中国人は、観光地の人混みなどでは無言で人を押しのけて先へ進もうとしていた。「すみません」とか「エクスキューズミー」などに相当する挨拶は一切なし。このへんにも「自分の道を自分の力で切り開く」彼等の生き方が現れている。
そして、もう一つの印象的なこと、それは「商売」ということである。どこの観光地でも、我々がバスから降りるとすぐに近寄ってくる多くの物売り(いかがわしい押し売りの類)から、デパート、土産物店、果ては博物館の職員に至るまで、老いも若きもとにかく何かを「売ろう」とする強烈な熱意をもって僕達に迫ってくるのだ。食らいついたら放さないという感じである。中国での買い物は、「立ち止まったら負け」、もっといえば「興味を持ったら負け」である。僕達は全員基本的に「客」と見なされる。そして、客に「買わない」という選択肢は最初からない。あるのは「いくらで買うか」だけである。
日本でこれに近いのは大阪に代表される関西人のメンタリティであろう。しかし、おそらくそれを遙かに凌駕すると思われる「商売気」が中国人達にはあった。中国が社会主義体制でも何でもないことがよく分かる。また、これは客の立場に立つというよりも、半ば押し付けでもいいからとにかく売ってしまえという売る側本意の姿勢が強く見られるように思う。無料でお茶をサービスするといって客を座らせ、お茶を入れに来た店員が商品のセールストークをして客を追い込んでいくなど、考えようによってはぼったくりバーを思わせる手口だ。 実際、中国で買った土産物は、帰ってきてすぐに壊れてしまうようなものが少なくないという話も聞く。どうせ海を越えてクレームを付けに来ることはあるまいと読んでいるのだろう。後はどうなろうと、彼等にとってはとにかくその時売れればいいのだ。 今の中国の状況を考えれば、今後彼等はさらにワールドワイドにビジネスを展開していくことになる。そうすれば、もう少し顧客のことを考えなければならなくなってくるだろうが、いずれにしてもあれだけ上から下まで「商売人」気質が染みつき、日常的に「訓練」されている人々が次々と世界市場に乗り出してきたら、一体どういうことになるのだろう。日本のビジネスマンなど簡単に吹き飛ばされるかも知れない。
もっと長く滞在して、地方などに行けば、また違った印象もあるのだろう。しかし、僕にはこの「自分の才覚で道を切り開く」という弱肉強食的な考え方があまりにも強烈なところが、正直言ってあまり好きになれなかった。とはいえ、かつて貧富の差が今以上に激しく、圧倒的多数が虐げられた民だったアジアの国々では、庶民層がこうしたある種のしたたかさをもって苦しい日常を生き抜いてきたのだ。信じられるのは自分だけ、人を見たら泥棒と思わなければならない世界である。どちらかというと、「先進国」に数えられる日本人の僕達の方が、こうしたアジアの人々から浮き上がってしまっているような気がしてくる。「人に対する思いやり」や「社会のルール」などという考え方は、所詮は金持ちの戯言なのだろうか。
かつての中国王朝世界帝国の圧倒的なパワー、そして現在の生き馬の目を抜く社会を生きる中国人達の強烈なパワー。知っているようで知らなかった隣人であり大先輩の国の過去と現在のパワーに圧倒された旅行だった。 無視するわけにはいかない存在である中国と僕達の国との関係は、今後ますます強まるだろう。僕達はどう彼等のパワーに向き合っていけばいいのか、いろいろ考えさせられる。 そしてとどめに、中華料理の圧倒的なパワーが、僕の腸の機能を破壊したのだった。
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