思考過多の記録
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今年の夏休みは、時間が止まったように過ごした。例年ならば蒸し暑い日本を抜け出すところだが、今年はそうはしなかったということもある。そして、その代わりになるような大きな予定を何も入れなかった。 実は、夏休みに入る前には、普段はまとまった時間がとれないためにできなかったことをいくつもやろうと思っていた。しかし、こうして休みが終わってしまう夜になってみると、そのうちの半分も実行に移せなかったことに気付いた。
僕がやろうと思っていたことを全て実行するには、どうやらまだ休みが1ヶ月は続かなければならないようだ。かといって、もし本当にそんなことになれば、僕は最初の10日間を無為に過ごし、結局はやろうとしたことの半分は実行できずに終わるかも知れないと思う。そうやって手つかずのことが溜まっていくことが、僕にとっては逆に生きていくことの励みになっているのだろう。
けれど、それはそれで狡い生き方なのだということも、僕にはよく分かっている。こなせなかった宿題の多さを可能性の大きさと同義だと思い込むことができれば、自分の実際の姿に目を瞑りながら、僕はいつか幻の潜在能力が開花する日を夢見続けることができる。そうすることで初めて、僕は退屈で過酷な「日常」を生き続けるための気力を保ち続けることができるのである。
明日になれば、僕はまた否応なくあの「日常」の喧噪に巻き込まれていくことになる。そして、解きたくもない多くの宿題を日々背負わされることになるだろう。その中で、僕は自分が本当にしたかったことを徐々に忘れていく。 そうして、僕の中のある部分が確実に朽ち果てていくのだ。それでもなお、僕は本当はできるであろう筈のことを数え上げながら、自分の可能性の大きさを夢想し続けるのであろう。 繰り返すが、そうすることによってのみ、僕は「日常」を生き続けるのだ。
かくして、僕の何でもない夏が終わっていく。
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