思考過多の記録
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2002年08月10日(土) 「合理的」でないこと

 世間は間もなくお盆休みにはいる。そういう僕は一足先に会社が休みになった。ちょうど1年前には、会社の組合から派遣されて僕は長崎の地で原爆について思いを巡らせていた。爆風で半分が吹き飛んでねじ曲がったまま立ち続けるコンクリートの神社の鳥居や、途中から折れて横倒しになったままの学校の校門等を目の当たりにしながら、それまでは教科書やテレビの中に存在していた「長崎」という街と「あの日」の出来事が、突然実在感をもって僕の前に立ち現れるのを感じた。
 そして今日、長崎市長が平和宣言で初めてアメリカを名指しで批判したというニュースを、蒸し暑い東京にいて遠い出来事のように聞いている。そしてそれすらも、田中真紀子氏の議員辞職のニュースの喧噪にかき消された。



 6日の広島で式典に出席した小泉‘らいおんハート’首相は、その後の被爆者と直接話す会合に、歴代首相として初めて欠席し、さっさと東京に帰ってきた。その理由を問われた首相は、
「厚生大臣時代も来ているし、去年も来ている。去年も話は聞いているので、実情はよく理解している」
という趣旨の発言をしていた。



 確かにそれはそうかも知れない。けれど、被爆国の総理大臣として、被爆者の声を1回聞いたからもういいだろうといわんばかりの対応は、果たして適切なのだろうか。
 言うまでもないが、被爆した人達に直接の罪はない(結果的に侵略戦争に荷担していたという罪からは逃れられないけれど)。彼等の被爆は、日本が戦争をしなければ当然起こらなかった。ということは、彼等は国策の誤りによって生み出された犠牲者ということになる。日本政府には少なくとも半分の責任はあるだろう。それでなくても、被爆者への保証は現在でも決して十分とは言えない。
 政府は道義的な責任を負っていると言うべきだろう。であるならば、政府の最高責任者=首相が毎年被爆者達の声に耳を傾け、現状と要望を聞くのは、当然の義務である。



 被爆者達の話は、年寄りの繰り言のように聞こえるかも知れない。けれど、彼等の存在を国として忘れず、その声を尊重していくという姿勢を見せることが、国策の誤りによって人類史上希に見る惨劇の犠牲者にされ、辛酸を舐めさせられてきた彼等の気持ちを和らげ、心安らかに生きていくことにつながっていくのだ。
 逆に言うと、今回の小泉の振る舞いは、被爆者を冷たくあしらったととられても仕方がない、相手の気持ちに無頓着な行動だったと言うべきだろう。



 被爆者と政府の関係であっても、それは人間と人間との関係である。一度話を聞いたから二回聞く必要はないといった合理主義で片付けられる話ではないのだ。
 就任して間もなく、国のハンセン病患者に対する控訴を取り下げる決定を下したのは、同じ小泉だった。あの時だって、「合理的」に考えれば、国としては控訴するというのが妥当な選択だった。彼はあの時、決定を下す前にハンセン病患者の代表者達と会って話を聞いている。彼は、患者達の「気持ち」をくんであの決定をしたのだと当時は思われていた。そして、それが彼の人気を支える一つの要因でもあったのだ。
 あれは、実は単なるパフォーマンスだったのだろうか。



 世の中には、理屈では割り切れないことが多々存在しているが、その多くには「気持ち」や「感情」が絡んでいる。人が人である以上、それはどうしても避けることはできない。これがあるからこそ、人間関係は多種多様・複雑怪奇の様相を呈し、物事は予期せぬ方向へと向かう。ひいてはそれが人間の社会や歴史の多様性につながっていくのだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というのはどう考えても不合理な論理だが、実際にはこうした論理こそが物事を動かしているというわけだ。
 と、評論家のように語っていられるうちはいいのだが、世の中がこれで動いている以上、僕達は否応なくそれに巻き込まれる。そして、同じように「気持ち」や「感情」によって物事の進む方向を微妙に変えていく。



 被爆者達の証言、そして何よりその存在は、どんな理屈も超越して僕達の前にある。「戦争を早期に終わらせ、犠牲者の数をそれ以上増やさないためには、原爆の投下は必要だった」というアメリカ人の多くが持っている「合理的」な考え方に僕達が違和感を抱いてしまうのは、おそらくそのためである。


hajime |MAILHomePage

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