思考過多の記録
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2002年06月02日(日) Imagine

「あなたは、愛する人と電車に乗っている。やがて、愛する人の住む駅に着き、愛する人はホームに降りる。あなたはついて行きたいと思う。すべてを捨てて、ついて行きたいと思う。その時、あなたが強く思った時、世界は分裂する。ホームに降りたあなたとホームに降りなかったあなたの世界に分裂する。(中略)もちろん、ホームに降りなかったあなたは、ホームに降りたあなたの存在を知らない。ホームに降りなかったあなたは、ホームに降りなかった自分を責める。けれど、もうひとつの世界では、あなたはホームに降りている。
もうひとつの世界のあなたは、ホームに降り、愛する人に駆け寄る。そこから始まる別な物語を、ホームに降りなかったあなたは知らない。」
「けれど、想像することはできる。二度と会うことはないもうひとつの世界の自分が何を感じているのか、ホームを駆けながら何を思っているのか、想像することはできる。」



(中略)
「分裂した私はもう一人の私にとって、存在しない。」
「存在しないけれど、私は想像する。」
「その痛みを。その喜びを。その哀しみを。この世界に生きる私は、もうひとつの世界の私を想像する。」



 以上は、以前この日記で取り上げた鴻上尚史作『ファントム・ペイン』のラストシーンの台詞である。このエピソードは鴻上氏の実体験に基づいているらしく、彼の率いる第三舞台が初めて外部の劇場で公演した時、劇場で配布された「ごあいさつ」という文章でも取り上げられている。
 難しい言葉で言えば「可能世界」のことである。「こうであったかもしれない自分」「こうでもあり得た世界」という意味だ。けれど、実際の自分や世界は「今・ここ」にしかない。そういえば、鴻上氏は以前に「ビー・ヒア・ナウ」というタイトルの芝居も作っている。



 出版された『ファントムペイン』のあとがきで、鴻上氏は20年間主宰だった劇団の初期の、痛すぎるエピソードを一つ紹介している。それは一人の人間が引き受けるにはかなり重い出来事である。しかし、劇団を続けていくために、否応なく彼はそれを引き受けることになった。20年という歳月の中には、これと同等かまたはこれをも上回る出来事があり、その全てを主宰である鴻上氏はその都度背負ってきたのであろう。
 このことは、劇団という集団を存続・発展させていくには、中心になる人間の才能やカリスマ性もさることながら、一人の人間が普通は背負いきれないようなことも受け容れていく覚悟と力量もまた、絶対に欠くことのできないものだということを物語っている。



 もし大学時代、将来への不安も極貧生活も周囲の忠告も省みず、全てを投げ打って演劇の世界に飛び込んでいたとしたら、僕は一体どんな人生を送っていたことだろう。
 何故僕には劇団が作れなかったのか。その理由は、単純に才能も技術も、人を惹き付け、集団に求心力を与えるカリスマ性もなかったからである。そしてもうひとつの理由は、おそらく劇団の維持のため、また自分のやりたいことを貫くために、時には他人の人生そのものをも引き受ける覚悟ができていなかったことではないか。鴻上氏の文章を読みながら、僕はそう考えていた。
 そして、何故かこうも考えた。それはきっと、僕が恋愛から見放され、いまだに結婚していない理由と同じなのではないか。



 結局僕は、芝居の道を邁進できなかった。
 そして、愛する人との生活を築くこともできなかった。
 けれど、想像することはできる。芝居を続けている僕がぶち当たる壁、そのしんどさ、痛み、哀しみ、そして喜び。愛する人との生活によって、僕が引き受けなければならないもの、そのしんどさ、痛み、哀しみ、そして喜び。
 今、この世界に、そんな自分は存在しない。でも、僕は想像する。
 この世界に生きる僕は、もうひとつの世界の僕を想像する。


hajime |MAILHomePage

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