思考過多の記録
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2002年06月09日(日) この国への怖れ

 中国・瀋陽の日本総領事館に北朝鮮からの難民が亡命を求めて駆け込み、武装した中国警察官によって身柄を拘束された事件から1ヶ月がたとうとしている。
 例によって人々の関心は移ろいやすく、最早この事件のことは忘れ去られようとしている。とにもかくにもあの人々が何とか中国を出て韓国への亡命を果たしたことで、多くの人々の意識の中では事件は一件落着ということになっている。何しろ自分の身の回りにも、そして世界にも、新しい事件は次々と起こる。どこかでケリを付けなければ、とっくの昔に僕達は狂っているだろう。



 あの事件にはいろいろな側面がある。外交上の取り決めや、時としてそれに優先する国と国との力関係のこと、亡命者とそれを支援する組織のこと、また亡命者を生んでしまうあの国自体の問題等々、様々なことが語られたものだ。その中でも僕にとって印象深いのは、「難民に冷たい日本」という問題だった。
 これまでも日本の難民認定率の低さは何かと問題にされてきた。確かに、難民を受け入れるというのは様々な問題を伴う。これまで比較的積極的に受け入れてきた国々も、主に経済的な理由からその門戸を徐々に閉ざしつつあるのが世界の趨勢だ。難民排斥を訴える極右政党がいくつかの国で支持を集めているのはこの現れである。けれど、我が日本は‘一貫して’難民受け入れに消極的だった。これは日本人のメンタリティの問題だと僕は思っている。



 数年前、ペールーの大使公邸で反政府武装組織による人質事件が起こった。その数ヶ月後、政府軍の特殊部隊の突入で人質は全員無事解放されるのだが、この模様を生中継したテレビ報道に対して疑問を呈した歌があった。
 中島みゆきの「4.2.3.」がそれである。
 この歌で描かれる報道は、人質救出作戦の最中、黒こげになり、おそらく瀕死の重傷を負っている一人の兵士が担架に乗せられて運ばれていく様子が画面に映し出されていながら、現場の日本人リポーターはひたすら「日本人が元気に手を振っています」とだけ嬉々として叫び続け、その兵士のことはひと言も触れなかった、というものだ。
 そして、こう歌う。



 この国は危ない
 何度でも同じあやまちを繰り返すだろう 平和を望むと言いながらも
 日本と名の付いていないものにならば いくらだって冷たくなれるのだろう



 中国での事件の報道に接しながら、僕はこの歌のことを思い出していた。
 助けを求めて泣き叫ぶ女性と子供を傍観し、あまつさえ中国の警察官の帽子まで拾ってあげて、だめ押しのように礼まで言ってしまった総領事館の職員達。あの事件の直前に「難民が来たら追い払え」と指示していた阿南中国大使。国際関係だの法律論だのでもっともらしく説明しても、彼等の頭の中にあったのはおそらくもっと単純な一事であろう。

 「面倒なことには関わりたくない」

 悲しいかな、これが日本外交の感覚である。そこには人権擁護の立場も、平和的な問題解決に向けての毅然とした態度もない。とにかく「面倒なこと」に巻き込まれて、後で自分たちのとった行動に対して批判を受けたり責任をとらされたりすることを極力回避したい、その一心なのである。
 確かに彼等は難民達の取り調べができるように中国に要求してはいたが、それはあくまでも国家としての「面子」の問題だけである。もし本当に取り調べをしていたとしても、それが終わり次第、日本政府は難民達の身柄を、彼等の希望とは無関係に中国に返してしまったであろうことは容易に想像がつく。
 今回の一件で、日本は人権意識の希薄な「冷たい」国という印象を改めて世界に与えたことだろう。しかし、案外官僚達は「日本に助けを求めても面倒なだけだという認識が難民達の間に広がって、在外日本公館への駆け込みを減らす効果があった」などと総括し、ほくそ笑んでいるかも知れない。



 これはある意味官僚の性である。しかし、官僚以外の僕達一般国民は彼等と違うメンタリティだと言い切れるだろうか。ペールー大使公邸突入の現場からひたすら日本人の人質のことだけを伝え続けたレポーター。そして、何の疑問もなくそれを受け入れて喜んだ僕達日本人。それは、外国人サポーターをフーリガンと同一視し、在日中国人や韓国人に対してまるで犯罪者のような目を向け、石原東京都知事の「第三国人」発言に共感してしまう態度に通じてはいないだろうか。



 前にも書いたが、「日本人」だけの空間で長いこと生きてきた僕達は、同じ「日本人」にはある程度優しくなれるけれど、それ以外の人間には(特に自分達の近くにいればいる程かえって)感心すら払わない傾向がある。自分達のこの「平和な」生活を脅かされたくない、という規制が働くのであろう。人間である以上、これはある程度やむを得ない。しかし、みんながこの考え方で動くと、やがて誰もが生きにくい世界がやってくるだろう。
 最近の若い世代は、同じ日本人どころか、自分の半径数メートル以内の世界にしか関心を払わない傾向にあるという。電車の中で化粧する女子学生を見るにつけ、僕は日本と世界の未来が不安になる。



 「4.2.3.」は、こんな歌詞で締めくくられている。

 あの国の中で事件は終わり
 私の中ではこの国への怖れが 黒い炎を噴きあげはじめた


hajime |MAILHomePage

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