思考過多の記録
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この「思考過多の記録」を読んでくださったある人が、僕に「熱いですね」という感想を述べた。自分ではことさら熱く語っているつもりはないのだけれど、どうやら僕は世間の人達と体感温度が違うようだ。 それはたぶん、僕自身の「体温」が、他の大多数の人達と違っていることからきているのだと思う。
気温は温度計で測るときちんと数字で表せる客観的なものだ(それとても、実際はある時代のある場所で、誰かが決めた尺度に過ぎないのだけれど)。しかし、それでも人によって熱いと感じたり、寒いと感じたりする。その前の日の気温の高低によっても、感じ方は変わってしまう。同じような現象が、一般的に言うところの「熱い」「醒めている」という現象にもあるようだ。
メイヤの歌の中に’60年代のヒッピー達がいた時代に私もいられればよかったのに、という意味の歌詞があった。僕も似たようなことを感じたことがある。’60年代から’70年代前半にかけて吹き荒れた学園紛争の嵐。高校生から大学生にかけての頃、あの時代ついて書いた本などを読むにつけて、彼等に対して非常に親近感を抱いたものだった。 社会の矛盾に対して異議を申し立て、権力に向かって決然と犯行を挑んだ彼等。どこかおかしいと感じながらも、時代の大きな流れに身を任せて異議を唱えることを知らないかに見える今の大人達・学生達に比べ、何と真摯な生き方なのだろう。僕にはそう思えたのだった。
あの時代に自分が生まれていたら、きっと僕はどこかの街角でヘルメットを被って機動隊と衝突し、水をぶっかけられていたに違いない。そういう時代に存在できなかったことを残念に思いながらも、一方で僕はそのことをどこかで嬉しくも思っていた。 あの時代、全てをかけて権力とぶつかった「運動」は、やがて一般の人々から遊離し、圧倒的な「力」によって粉砕された。僕はそれを小説やドキュメントやテレビの記録映像でしか知らないけれど、だからこそ彼等のその後も含めて、戦いの結末までの一部始終(少なくともその一部分)を知っている。 つまり、僕は彼等が描き、実現しようとした「夢」(=理想の世界)の向こう側を知っている。
もし、僕が時と同じ体温を持って、この醒めた時代に生まれ落ちたのなら、彼等の「夢」の向こう側の、さらに向こう側を見ることができるかも知れない。 それがあの頃、僕が自分の「青春時代」に抱いていた「夢」だった。 僕が書いた初期の拙い脚本には、その当時の僕のそんな思いが反映されているものが多い。
「ノリつつ醒め、醒めつつノル」。『構造と力』の頃の浅田彰の名言である。そして、僕自身の座右の銘でもある。 社会人になって10年が経過し、それなりに歳も重ねてくると、なかなか昔のようには「のれない」ことが増えてくる。昔の自分と比較してみたとき、そのことを少し寂しく感じることも度々だった。 だから、この文章を読んで「熱い」と感じてくれた人がいたということは、とりもなおさず僕自身がまだあの体温を維持できているということの証でもある。そう考えると、少し前向きになれる。 ある意味でこの「思考過多の記録」は、僕自身の「体温計」のようなものかも知れない。
いつか僕は、「夢の向こう側の、そのまた向こう側」の光景を、脚本に書きたいと思っている。
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