思考過多の記録
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2002年05月05日(日) 眠りたくない夜

 夜中になると、眠りたくなくなる。眠くないのではない。眠りたくないのだ。
 今日は早く寝るぞと心に誓い、そのように段取りをして、早めに布団を敷いたとしても、その布団の上でうだうだと取り留めもないことをやっているうちに、時間だけは過ぎていく。勿論、出勤時間から逆算した起床時間は変えられないので、徒に睡眠時間だけが削られていく。
 当然、昼間は眠い。会社でデスクに向かいながらも、どうしようもなく眠い。だから、今日こそは早く寝ようと心に誓う。それでも、就寝時間が近付くと、何故か眠りたくなくなってくる。そして、睡眠不足の朝がくる。
 朝寝坊できる週末がくるまで、この繰り返しである。



 どうやら僕は、起きている間自分のやっていることに満足してないようなのだ。
 通勤時間も含めて、会社に拘束されるのは短くて10時間半。仕事が立て込んで残業などしようものなら、すぐに12時間を超える。
 睡眠時間を差し引くと、24時間のうち自分のための時間は下手をすれば6時間程だ。そこから風呂や食事、その他諸々の時間をひいたものが、本当の「自分の時間」である。その中で自分のやりたいことをやっていこうとすると、まるで足りない。
 しかも、仕事を終えて帰宅した後は、体力的にも精神的にも疲労があって、なかなか好きなことを集中的にする気力が湧いてこない。たまにやってみようとしても、集中力が続かないので効率が非常に悪い。



 結果として、今日は(仕事以外に)これをやりたい、と考えていたことの半分、いや3分の1もできないということになる。
 だから、できるだけ眠りたくない。
 けれど、そんな状態でいくら未練がましく起きていても、大したことができるわけではないのだ。それなら翌日のために早めに寝た方が健康のためにもいいに決まっている。でも、何故か寝る段になると、寝てしまうのが非常にもったいない気がしてくるのだ。



 例えばその時間から書き物でも始めると、2,3時間は気力と集中力が持つかも知れない。でも、そんなことをすれば、翌日に響くことは目に見えている。デスクで熟睡することだけは避けたい。それが怖いので、思い切り夜更かしすることもできないのだ。



 昔から僕は何でもそうだった。後先を考えずに行動することができなかったのである。「石橋を叩いても渡らない」という感じだった。そのおかげで、僕はこれまでの人生で大きな躓きをすることはなかったけれど、同時にいくつかのチャンスをも逃すことになっていたのではないかと思う。
 会社を辞めずに演劇を続けたいというスタンスは、これをよく物語っている。そして、今のところ、仕事も演劇も実に中途半端な状態になっている。いけないいけないと思いつつ、どちらにも全力投球できないまま今日まで来てしまった。
 でも、夜が明けで起床時間が必ずやってくるように、人生の終点は決まっていて、必ずやってくる。



 僕は今のところそれ程家事等に時間を費やさなくてもすむ環境があってこの状態である。家庭を持ち、子供を育てている人達は、一体「自分の時間」をどうやって捻り出しているのだろう。
 そういう人達は、家のことをやっていて睡眠時間が削られていくのが日常なのだから。「自分の時間」が短くなるにつれて、「自分の人生」そのものが削られていくような気がしてしまう人もいるのではないか。そして、そういうことが積もり積もって夫婦関係の冷却化や幼児虐待、家庭の崩壊に結びついていくという側面もあるのではないだろうか。



 僕の眠りたくない夜というのは、まだまだ甘い、贅沢な悩みなのだろうか。
 眠りたくない夜に、ぼんやりと考える。


hajime |MAILHomePage

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