思考過多の記録
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| 2002年05月01日(水) |
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく |
今日は労働者の祭典・メーデー。とはいえ、今や「労働者の団結」などは昔話となり、組織は分裂、人数もガタ減り、当然影響力も低下した。不況とリストラの嵐が吹き荒れる中、組合の存在意義が問われているという論調のメディアは多い。
そんなこともあって、入社以来僕は殆どメーデーに顔を出したことはなかった。ちょうどゴールデンウイークのまっただ中ということもあり、わざわざ足を運んで何か御利益があるというわけでもなかろうと思っていたのだ。しかし、今年は組合の職場代表などというものに選ばれている以上、義理を立てるためにと顔を出した。幸か不幸か、会場が僕の家から比較的近い場所で、しかも今年は暦通りにしか休みが取れず、遠出の予定がなかったという条件も重なった。
メーデーのハイライトはデモ行進である。登りや横断幕を掲げた労働者達が、スローガンを叫びながら(=「シュプレヒコール」というやつである)公道を練り歩くという、最近とんと見かけなくなってしまったあれである。 あいにくの曇り空から、デモの出発の時間にはとうとう雨が落ち始めた。僕は横断幕を持たされていたので、傘をさすこともままならない。困ったと思っていると、突然僕と同じ世代の副委員長が駆け寄ってきて、宣伝カーに乗ってシュプレヒコールの先導する役をやってほしいというのだ。そして、嫌もおうもないままに車に連れ込まれ、マイクと台本を渡された。
デモのコースは約3キロ。1時間程の道のりである。沿道には大きな団地や商店街、マンションや学校などがある。僕の会社の組合が所属する組織全体の行列の先頭で、僕はスローガンを連呼し続けた。 恥ずかしさはない。車の中では、自分の声がどの程度響き渡っているのか確認できないのである。むしろ、行列になって歩いているときの方が、一抹の恥ずかしさを感じた。それは、自分たちのやっている行為が今の世の中脈絡から完全に浮き上がっていることを、沿道の人々の視線などから直に感じとれてしまうからなのだろう。
かつて、この方法が社会的にも十分すぎるインパクトをもっていた時代があった。「運動」が本当に世の中を動かしていた。普通の市民がデモに加わり、アメリカの大統領特使を羽田空港から本国へ追い返してしまったり、国会を取り巻いたデモの圧力で首相が辞任したことさえあったのだ。それは、この国とこの国に暮らす人々の多くが熱かった時代である。 時が移ろい、社会から熱気が失せた。普通の人々に世の中は動かせないと、今では小学生でも知っている。勿論、デモに参加している組合員達もそのことは痛い程分かっていて、だからみんなデモよりもその後のビールを目的に集うのである。 けれど、僕達のメーデーの行進は、殆どあの頃のままのスタイルを踏襲し続けている。多くの組合員が集まり、交通規制に守られてデモをする。それはあの時代、「古き良き」労働運動の抜け殻にすぎない。行列を一瞥する人々の冷たい目と、無視して通り過ぎていく大多数の人々が、その事実を教えてくれる。
宣伝カーの中には、こうした外の空気は伝わりにくい。僕がマイクでスローガンを叫ぶと、すぐ後ろの行列から同じ言葉を叫ぶ多くの組合員達の声が聞こえてくる。まるで、僕の言葉に呼応してくれているようだ。暫くすると、恰も僕がこの行列の参加者達を本当に先導(煽動)しているかのような錯覚にさえ陥る。僕の言葉にデモ隊の全ての人々が賛同しているかのように感じられ、それが快感になってくる。 おそらく、政治家達はこうして世の中を見失っていくのだろう。永田町という閉ざされた世界から、「国民」という見えない人々に向かって語りかけるとき、それに様々な思いを抱き、また無視さえする一人一人の存在を彼等は忘れてしまうのだ。まるで自分の後ろにたくさんの人々が行列を作り、彼等が自分についてくるのが当たり前のように思えてくるのだろう。 独裁者の演説に聴衆は酔うが、その時独裁者自身もその状況に酔っている。そして、国全体が集団催眠にかかる。
一人一人の意見や信条の違いを認めながら、その力を結集することは可能だと思う。また、その方法を模索する責務が僕達にはあるだろう。 シュプレヒコールに変わる方法が見つからないからと言って、ずっとそれにしがみつくのも、またそれを無視し続けるのも、どちらもあまり前向きな姿勢ではない。 どちらの場合も、如何にその状態でいることの快感に負けないようにするかがポイントである。
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