思考過多の記録
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社民党の辻元清美氏の問題に端を発した国会議員の秘書給与「不正」流用疑惑は、辻元氏本人の辞職に始まり、自民党の加藤元幹事長、民主党の鹿野議員、そして辻元氏問題の絡みで土井社民党党首にまで広がってきている。これまで与党追求の急先鋒だった土井氏が何だか急に歯切れが悪くなり、社民党の幹部もみんなして土井氏を庇っているという事態になっている。また、「この問題はもうこれで決着した」と、まるでこれまで自分たちが攻撃してきた自民党の疑惑幕引き宣言の常套文句まで使われてしまうと、何だかしらけてしまう。
そうこうしているうちに、今度はかの田中真紀子元外務大臣までが、辻元氏を告発したのと同種の週刊誌の記事によって秘書給与疑惑を暴かれた。それと前後して、やはり秘書給与問題で与野党の政治家の名前が何人か浮かんでは消えている。政治家にとって、秘書というのは金を生み出すのには相当都合のいい存在のようである。
辻元疑惑が発覚したとき、僕はこの日記で「真相究明ではなく、とにかく自分たちを攻めている者に対して悪い印象を与えることが第一の目的のようだ」という趣旨のことを書いた。その後、辻元氏が釈明会見を開いてからの、加藤疑惑や土井委員長の関与問題等々に至る一連の経過を見ていると、この見方はやはり正しかったとの思いを強くしている。 この問題の本質は、秘書、とりわけ政策秘書というもののあり方の筈である。巧妙なやり方で秘書給与や政治資金までも私的に流用していた加藤元幹事長のような例は同情の余地はなく、さっさと職を辞してほしかったのだが、辻元氏の例はそれとは少しだけ事情が違っている。
国会議員が議員としての活動をする場合の手足となるのが秘書だ。とくに政策秘書は、議員が政策を立案する上でのいわばブレーンで、本来はなくてはならない存在である。それが、「名義貸し」という形で、まさに「名前だけ」役に立っていたことは一体何を意味するのだろう。 一つには、国会議員としての活動にはそれ相応の金と労力がかかるということがある。間違えてはいけないのは、国会議員の仕事は地元の業者に公共事業を斡旋したり、地元の陳情を受けて役所に圧力をかけたりすることで、地元に利益をもたらすことではないということだ。「国会議員」は「国政」を行う。地方の利害を超えてまさに「国」の政策を決めなければならない。そのためには、様々な資料を収集して分析しなければならないだろうし、いろいろな人にあって話を聞かなければならないだろう。場合によっては海外にまで足をのばさなければならないかもしれない。それに、何しろ「国政」であるから、扱うべき問題も多岐にわたるだろう。 こうした活動は、当然議員一人の手には負えない。国政を預かるのにふさわしい活動をするためには、ある程度の人数の優れたスタッフが必要である。また、当然そのスタッフの人件費を含めて、資料費や調査費といった形で具体的に金がかかってくる。
こうした、いわば議員としての真っ当な政治活動を行う上で欠かせない「軍資金」を調達できる仕組みが、野党生活が長く、国民から見捨てられかかっている社民党にはなかったのである。辻元氏が辞職直前に居直り気味に話したように、政権に長くついている自民党には、党にも議員個人にも金が集まるシステムが(半ば崩れかかってはいるものの)できている。それは自民党の政治家が有能だからというよりも、金を出す側が見返りを期待できるという事情の方が大きい。いずれにせよ、資金がなくては与党議員の悪事を暴くことすらままならない。 誰が最初に考えついたのか知らないが、秘書制度を使った集金方法は、こうした苦しい台所事情を補うために長年にわたって培われてきたひとつの「知恵」だったのである。 勿論やっている人たちにはある種の罪悪感はあっただろう。ただ、長年の慣習と、実は誰もがやっている(あるいはやっていた)という実態にあることから、攻める側も攻められる側も「そのことは、もういいでしょ?」という感じで曖昧に幕引きをしたがっているのだ。
きちんとした仕事をするためには、人も金も必要だ。しかし、これまで国民の多くは、実は政治家にあまりそれを期待していなかった。むしろ、自分たちの地元にどれだけの利益をもたらしてくれるのかを問題にしてきた。公共事業を誘致し、巨大プロジェクトを起こし、新幹線や高速道路や大きなホールといったいわゆる「箱もの」を作ってくれる。それが力のある政治家であるとされてきた。今回明らかになった一連の秘書疑惑のもう一つの問題はそこである。 政策秘書の主な仕事は、断じて「口利き」などではない。しかし、有権者も政治家も政策秘書のその程度の役割しか期待していないようにみえる。となれば、そこに「名義貸し」というオプションがついたとしても何の不思議もないだろう。 ここにきて新たに参議院議長の秘書の口利き疑惑が取りざたされていることが、その一つの証左である。
今回のことで国民世論は政治家達に厳しい。しかし、いつも思うことだが、彼等が平気で国民の税金を自分たちの都合でピンハネするようなことをし続けてこれたのは、他でもない国民が政治家への監視を怠り、好き放題やらせてきたからこそである。だから彼等は国民のための政策を考えることよりも、自分たちの利益を確保ための巧妙な手段を考える、いわば悪知恵を養ってきたのだ。 そういう輩に限って、国民に向かっては「国のため」「公のため」の大切さを説く。彼等に対して、僕達は自責の念を込めてもっと怒るべきなのだ。 本当に僕達普通の国民のために知恵を絞って仕事をしてくれる政治家に出会える日はいつのことなのだろうか。
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