思考過多の記録
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もはや初夏の兆しさえ感じる休日、モネの睡蓮を集めた展覧会があるというので、郊外の僕の実家から車で1時間程の緑と池のある庭園に囲まれた美術館に出かけた。都心の美術館ほどではないものの、駐車場は一杯、最寄り駅(といっても20分程かかるのだが)までの無料送迎バスは満員御礼で増便されるという盛況ぶりだった。 日本人はもともと印象派が好きで、中でもモネの睡蓮は日本人の大のお気に入りだというのが、こんな片田舎のちょっとした展覧会にもこれだけの人々が足を運ぶことでもよく分かる。
知っている人にとっては常識の範囲なのであろうが、モネはなんと30年にわたって200点以上の睡蓮を描いている。何故これ程睡蓮というモチーフにこだわったのかについても、きっといろいろな研究があって、専門家や美術愛好家にとっては常識なのかも知れない。が、門外漢の僕にとっては殆ど偏執狂的としか思えない程だ。 しかし、同じモチーフを描き続けるということは、一つの対象の切り取り方、見え方、表現の仕方の変化が如実に分かるということだ。モネ自身がそれを意識していたかどうかは別として、そこには表現というものの在り方のひとつのヒントがある。
この展覧会では、主に晩年の作品が30点程展示されていた。モネは晩年白内障を患って視力が著しく低下した。手術を受けたものの、完全に回復することはなく、常に失明の不安と戦いながらの作品製作だったという。それだけに、特に晩年の睡蓮と柳の反映を描いたいくつかの作品は、やや暗めの色調といい、初期の作品に見られるような一種の穏やかさとは全く違った独特の力強さと荒々しさが感じられるタッチといい、まさに鬼気迫るものがあった。また、睡蓮の池に架かった橋を描いた「日本の橋」の一連の作品も、特に後期のものは物体の輪郭が崩れ、散乱する光そのものを描いたという趣であった。
初期の、輪郭をぼかした暖かみのある一連の作品もなかなかいいが、こうした不思議な色調と力強さをもった後期の作品もなかなかに印象深く、僕個人としてはそういう作風の方に強く惹かれる。徐々に衰えていく視力の中で、画家は自分の目に映る光を必死に捉え、それをカンバスに表現しようとしていたのだ。池や睡蓮の実物の姿だけではなく、それを表現しようとして自分自身がかきつけた色や形すら、正確なものを自分では見ることができない。画家にとって致命的とも言えるそうした状況の中、モネはどんな思いで絵の具を絞り出していたことだろう。 そう考えると、一見柔らかで、しかもけばけばしくない色調でありながら、モネの絵は「表現」への飽くなき情熱と、そこから発散するパワーで見る者を否応なく惹き付けているのだと思う。一般的に印象派の作品に対して抱きがちな感想である「美しい」という言葉では言い表せない魅力がそこにはある。モネにとっては、まさに絵の具の一滴が血の一滴に匹敵するものだったのであろう。
彼は世界の輪郭を描こうとしていたのではなく、輪郭を形作る光そのものを描こうとしていたのである。具体物の形を捉える力が衰えたからこそ、光の反射と、その中から浮かび上がってくるものを彼は見ることができたのだ。 僕達は睡蓮を見る。しかしその時、僕達が見ているのは「睡蓮」という名前で輪郭をつけられた物体の「概念」であることが多いのではないか。そこに「睡蓮」がある。しかし僕達は睡蓮を見ていない。 モネの絵と並んで、モネが描いた庭園のモノクロ写真が何点かあった。それは僕達に見えている世界に近い姿である。けれど、モネの絵に比べて、それはなんと貧弱に見えることだろう。光の反射と影。その陰影に満ち、様々な色調の光の反射が乱舞するモネの絵は、世界の姿を知り尽くしたつもりの僕達を限りなく挑発する。
「モネ展〜睡蓮の世界〜」 川村記念美術館 http://www.dic.co.jp/museum/
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