思考過多の記録
DiaryINDEX|past|will
国連のある機関がまとめた報告書によれば、現在日本の平均年齢は世界1高いのだという。50年後にはさらに上がるそうだ。この急激な高齢化の進行の一因は「先進国の中でも類を見ない閉鎖的な移民政策」にあると、この報告書は書いている。
たとえば、アメリカなどは元々移民の国だが、他の先進国と呼ばれる国々でも、確かに大抵は移民を受け入れている。それがその国の社会にとって負担となり、世界経済全体の悪化も手伝って、様々な摩擦を引き起こしているのは事実だ。「経済大国」の中で、このような社会的な矛盾からこの国だけは一応無関係である。勿論、日本国内にも様々な矛盾や格差がある。また、不法入国・不法滞在の外国人(石原東京都知事流に言えば「第三国人」)が起こす犯罪も増えつつあり、保守派の論客は吼えている。
けれども、世界の矛盾の大きさは、日本国内のそれの比ではない。アフガンの一件で、先進国はこれまで自分たちが忘れていた所謂「南北問題」が殆ど解決されていなかったことを思い出させられた。先進諸国を覆っている‘不景気’に目を奪われている間にも、難民キャンプでは寒さと飢えで毎日確実に何人かの人々が死んでいたのだ。 先進国における移民や少数民族など、所謂マイノリティの問題は、こうした世界全体の矛盾の縮図である。世界に格差や矛盾が存在する以上、それがより豊かな部分でも現れてくるのは当然であるといえる。しかし、日本はこれまで自国の法律を盾にこうした矛盾の進入を拒み、基本的には「日本人」以外に門戸を閉ざしてきたのだ。 日本は、純粋な「日本人」のための国だったのである。
四方を海に囲まれたこの国は、長い間自国民以外の‘他者’がいない、温々した社会を形成してきた。それは、日本人同士だけに分かる言葉で話し、日本人同士の間だけに通用する規範に基づいて行動することで維持される社会だった。この国が世界から「不思議の国」として見られる所以である。 だが、海の向こうには別の島があり、大陸がある。その世界の中に日本が存在する以上、日本が「日本人」だけの国であり続けることはできないだろう。もしそうあり続けるなら、逆説的に聞こえるかも知れないが、それは日本の衰退につながっていくだろう。何故なら、日本人同士にしか通じない言葉で話し続けてきた僕達には、世界を相手に会話する能力が備わっていないからだ。また、日本人の「常識」にとらわれた行動は、世界の「常識」から外れていると批判され、強く再考を迫られるだろう。それを拒否することはできるかも知れないが、その時日本の存続は非常に厳しいものになる。北朝鮮を見ればそれがよく分かるだろう。
もし日本が移民を受け入れた場合、その初期における社会的な混乱は想像を遙かに上回るものになるだろう。それは日本人があまりにも長い間ぬくぬくした社会的空間で生活してきたからである。移民という‘他者’と日本人との間には様々な軋轢が生まれ、数々の悲劇が起こるだろう。間違いなく社会は、生きていくのにしんどい場所になる。 だが、長い目で見れば、我々が彼等を受容し、社会の中で同等の地位を与えていけば、彼等は「日本」という社会の新たな一員となり、社会に新しい活力を与えることになろう。何故なら、彼等は自分の能力を発揮する新たな場所を求めて進んでこの地にやってきた人々なのだから。チャンスさえ与えられれば、彼等は日本人よりも優秀な働きをするかも知れない。かくして新たな人材を得たこの国は国際競争力を取り戻す。また、すぐ隣の‘他者’とのコミュニケーション能力を身につけた日本人は、国際社会で活躍し、全く新たな貢献をすることで地位を確立するかも知れない。
繰り返しになるが、世界には様々な人種、様々な文化、様々な信仰が存在している。地球が一つであり、限られた資源と土地と食べ物を分け合っていくことが宿命づけられている以上、我々は自分とは異なる存在である‘他者’と共存していかなければならない。「共存」というのは美しい言葉だが、実際には綺麗事だけではない。争い・搾取・騙し合い・差別…。異なる者と共に生きるとは、手を携えることばかりではない。 けれども、日本以外の場所では、ずっと昔から人間はこの困難と向き合い、生きてきた。その過程で人々は様々に知恵を絞り、話し合い、何とか「共存」の方法を模索してきた。 この国に済む僕達は、移民受け入れの初期において大いに苦悩するだろう。しかし、僕達はこうした人類の歴史上の苦悩を身をもって知らなければならないのだ。それを経て、漸く僕達日本人は人間として成長することができ、日本国憲法の前文で言うところの「専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占め」ることができるのである。
それでもなお、実際に‘他者’が大量に流入し、現在の安定した社会を脅かす時、僕達日本人はそれに耐えられないだろう。僕達自身が生まれ変わろうとする過渡期におけるこの苦しみを乗り越えられるのだろうか。また、その過程で僕達はどれだけ多くの‘他者’を踏みつけ、苦しめるのだろうか。
岩井俊二監督「スワロウテイル」を見ながら、僕はぼんやりとそんなことを考えていた。
|