思考過多の記録
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| 2002年03月01日(金) |
アメリカの、アメリカによる、アメリカのための五輪 |
今週初め、ソルトレイク冬季オリンピックが閉幕した。 いつもそれ程熱心に見る方ではないのだが、今度のオリンピックは何だかとんでもない大会だったという印象がある。これだけ派手に判定にイチャモンがついたり、メダルが剥奪されたり、順位が変わったりした大会はちょっと記憶がない。何故こんな事になったのだろうか。
そもそもケチのつき始めは、開会式のブッシュ大統領の余計な一言付き開会宣言だった。決まった言葉以外に何も付け加えてはいけないという規定を無視して、ブッシュは「ヒトラーも使わなかった」(テリー伊藤市曰く)露骨な自国礼賛の言葉を頭に付けて、誇らしげに開会を宣言したのだった。イランの選手が入場してきた時、NBCテレビのアナウンサーはその映像に、「悪の枢軸国から唯一の参加です」という失礼極まりないナレーションをかぶせたという。 その後の様々な競技でも、再三ジャッジがひっくり返り、そのたびにアメリカやカナダの選手に優位な結果がもたらされてきたことは記憶に新しい。アメリカ以外の国の不服申し立てはことごとく却下され、そういう国々では当然アメリカに対する反感と怒りがわき起こったものだった。 地元の観客も、アメリカの選手に不利な判定にはブーイングが起き、アメリカ以外の選手が勝つとまばらな拍手、アメリカの選手が勝つと嵐のような拍手と歓声を送るという、これ以上分かりやすいものはないというリアクションを示して、アメリカ以外の国々の顰蹙を買った。
オリンピックはスポーツの祭典なのだが、少なからず政治的に利用されてきた。しかし、今回程露骨に政治宣伝の道具になった大会はなかったのではないだろうか。それもこれも、今や世界唯一の超大国・アメリカで行われ、アメリカが仕切ったことが最大の原因である。 それにしても、オリンピックを国威発揚と政権の支持拡大に使うというのはあまりにも使い古された手で、それもあそこまで露骨にやると、さしものアメリカ人もみんな笑って相手にしないか、冷めてしまうかのどちらかだろうとばかり思っていた。しかし、あれ程真正面から捕らえて熱狂してしまったところを見ると、どうもアメリカ人は余程純粋=単純な人々だとみえる。
半年前の同時多発テロ以降、アメリカは必死に「強い」超大国としての自信とプライドを回復しようと躍起になってきた。オリンピックについ力が入ってしまうのもよく分かる。しかし、それにしても今回のやり方はあまりに露骨でいただけない。どんな手を使っても、またそのことで他国にどう思われようと、是が非でも自国の「強さ」を確認したいという集団ヒステリー状態に陥っているかのようだ。ここまでくると、例の「ならず者国家」を通り越して、単なる図体の大きい「だだっ子」のようである。 アメリカ国内のイベントでいくら騒いでもらっても構わないが、オリンピックは国際的なスポーツイベントだ。世界を巻き添えにして無理矢理自分の土俵に登らせ、そこで自分の強さを誇示して自己満足に浸るのは、見苦しいし、迷惑なのでやめてもらいたい。 このところ政治・経済の面で見られるアメリカ=世界という勝手な思い込みで突っ走るあの国の悪い部分が如実に反映されたオリンピックだったと思う。終盤まで見た段階で僕が思い浮かべたのと全く同じ言葉を、韓国のあるメディアが使っていた。 「アメリカの、アメリカによる、アメリカのためのオリンピック」。
もし今回のオリンピックが「お手本」となり、今後の大会が全て開催国の国威発揚のために利用され、ルールをねじ曲げても自国の強さを誇示するための舞台にされるのなら、オリンピックなどいらない。 それは、自分やチームの可能性を信じて何年間も精進してきたアスリート達を冒涜する行為である。
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