思考過多の記録
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2002年02月24日(日) 女性達の「売り言葉」

 先週の話になるが、野田秀樹作・演出の大竹しのぶ1人芝居「売り言葉」をという舞台を見た。中くらいの規模のホールだったが客席は一杯で、立ち見もかなりいる盛況ぶりだった。大竹しのぶの演技も勿論素晴らしかったのだが、ここでは作品の内容について書きたい。



 この作品は、詩人高村光太郎の「智恵子抄」でお馴染みの智恵子の物語である。福島の裕福な家に生まれた智恵子が、当時の女性としては異例の芸術大学まで進んで絵画を学び、そこで光太郎と出会い結婚する。しかし、実家の破産や家事に忙殺される毎日の中で芸術家として夫に後れをとることのストレスから、彼女は精神に異常を来してゆく。そして病院のベッドで光太郎に看取られながら最期を迎える。智恵子の半生を野田脚本は時間軸に忠実に描いていく。
 智恵子を娘時代からずっと見てきた福島弁のお手伝いさんを語り手に物語は進められていくのだが、このお手伝いさんは、最終的には抑圧された智恵子の内面の声として智恵子と融合していくという仕掛けになっている。また、狂気になだれ込む智恵子と平行するかのように、大正から昭和にかけて、戦争という狂気に駆り立てられ、破滅へ向かって進む日本という国の状況も描かれる。



 「売り言葉」とは、光太郎が詩人として、妻・智恵子の姿を描写した「売るための言葉」、すなわち「智恵子抄」の中の言葉に現れた智恵子と、その光太郎に対してぶつけられる内面の叫びとしての智恵子の反論=‘売り言葉’の2つの意味がかけられている。「強い女」(福島訛りで「智恵子」は「つえこ」=「強え子」となる)として、光太郎を内助の功で支え、実家の苦境に対処しようとする智恵子は、しかし「新しい女」としては男からも実家からも自立して、自由に自分の才能を開花させたいとも願っている。しかし、現実の生活の枷と、色盲のために人に認められるような作品を作れない焦りから、彼女は次第に精神的に追いつめられていく。光太郎の智恵子に対する気持ちは醒めていくが、それでも彼は「智恵子抄」で出会った当時の恋愛の対象だった智恵子の姿を美しい「売り言葉」にして、そこに智恵子を閉じこめようとする。自分の実像と光太郎の言葉とのギャップに苦しむ彼女は、光太郎に対して狂うことでしか‘売り言葉’を吐けなかった。明治から大正、昭和の初期というのは、まだそんな時代だったのだ。



 この物語はそのまま智恵子本人の実態を表現したものではなく、「半フィクション」のようなものだと野田氏は言っている。それにしても、この物語を前にして、男性優位の家父長制社会の中で、女性が如何に苦しみ、葛藤し、そして辛酸を舐めさせられてきたかという苦悩の歴史に思いを致さないわけにはいかない。女性が女性だというだけで自由にものも言えず、学問もさせてもらえず、その能力を顧みられもせず、ひたすら家庭内の労働力と子作りの道具としてのみ存在することを強いられていた時代は、この国ではひどく昔の話ではないのだ。
 そんな状況の中、与えられたほんの僅かなチャンスを何とかものにし、自らの力で自らの可能性を追求することで、困難な状況の突破口を開こうとした女達は確実に存在した。彼女達の志と行動は、ある時は挫折し、また目的を完全に達成することができなかったであろう。どれほどの多くの‘売り言葉’が飲み込まれ、吐き捨てられてきただろうか。
 しかし、彼女達の存在は決して無意味ではなかった。彼女達の行動は他の多くの女性達に勇気を与えた。やがて彼女達に続く女性達が現れ、少しずつ男性優位社会の厚い壁に穴を穿っていったのである。



 戦後、この国の歴史上初めて女性に参政権が与えられた時、「女が政治なんてとんでもない」という地域社会の強力なプレッシャーをはねのけて、全国で多くの女性達が議員に立候補したという。もしこの時、立候補者が誰もなかったら、女性に認められた参政権は完全に絵に描いた餅になっていたところだったのだ。その勇気と行動力は、現代を生きる男性の僕の想像を遙かに超えるものであろう。そしてそれに勇気を得た女性達が後に続くことになる。今では、表だって女性参政権に異を唱える人は殆どいない。また、女性の立候補に対するプレッシャーも、当時とは比べもにならないくらい小さくなった。



 こうした多くの智恵子達の苦悩、挫折、絶望、勇気、意思、行動力等の上に、今日の女性の地位がある。後に続く者達は、必ず前の世代よりも少しずつ先まで到達してきた、その成果である。今日では、多くの女性が男性の「売り言葉」に閉じこめられることを拒絶し、面と向かって男性への‘売り言葉’を叫べるようになった。それでもまだまだ壁はある。当時とは比べものにならないとはいえ、女性が女性であるというだけで背負わなければならない荷物はまだ重い。
 智恵子達の戦いは続く。しかし何故彼女達がかくまで果敢に戦わなければならなかったのか。そして今でも戦っているのか。彼女達から‘売り言葉’をぶつけられる前に、男達はいい加減そのことに気付かなければいけないだろう。


hajime |MAILHomePage

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