思考過多の記録
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2002年02月03日(日) 女の武器

 外務省のNGO参加拒否問題を巡るごたごたの最中、田中真紀子外務大臣が記者団に見せた涙について、小泉首相がこれまた記者団に向かって「涙は女の最大の武器だからね」とコメントしたことが話題になった。これは国会の審議でも取り上げられ、小泉内閣の女性閣僚の愚にもつかない答弁の後に、小泉首相は「だから言ったでしょう。事実なんだから」と上機嫌で答弁していたのがテレビで放映された。
 これまで女性の高い支持を誇ってきた首相だが、この一言はどうやら世の多くの女性の顰蹙を買ったらしい。まあ、当然事だろう。今時、こんな事を公の場で口にする男は軽蔑される。



 そもそも、この言葉を口にする時(今回の首相もそうだが)、大抵の場合その男の心にあるのは「狡い手を使いやがったな」という苦々しい思いである。「女は泣けばいいと思っている」というのも同じ意味だ。「涙」という感情に訴える手段を使って、自分に有利なように事を運ぼうとする、また弱かった立場を逆転させる行為であり、そういう「武器」を持たない男としてはフェアではない、というわけだ。
 それならば、何故女性は「武器」を使う必要があるのだろうか。あるいは、「武器」を使っていると思われてしまうのだろうか。それは、この言葉を使う者が無意識のうちに男性優位の社会システムの思想に冒されているからである。



 社会的な場面において、普通「武器」を使うのは女性だ。そしてその「武器」は、涙の他に、「笑顔」「若さ」「色気」等がある。またもっと露骨に「胸」や「足」、「体」だったりする場合もある。しかし、男は殆どの場合「マッチョ」「男らしさ」「筋肉」「股間」などを武器に使ったりしない。勿論、女性を口説く時にはこれらを使用する場合もあろう。だがそれはあくまで私的な欲求を成就させるためだ。女性だけが公的・社会的な場合でもこうした「武器」を使用する(と思われている)。
 その理由は、言わずもがなのことであるが、この男性優位の社会システムにおいて、女性が常に「弱者」の立場に置かれていた(いる)からである。女性は女性だというだけで、最終的な意思決定から外されたり、ある一定以上の地位に昇れなかったりする。今ではそんな状況も改善されつつあるが、まだまだその傾向は強い。そこで、女性が自分の立場を強くしたり自分の意思や意見を採り入れてもらおうと思えば、「公的」なシステムを転倒させるための正攻法ではない手段を使う必要があった。そこで「武器」が登場する。
 女性の「武器」とされるものは、その殆どが「理性」や「知性」という人工的なシステムではなく、「感性」や「欲望」といった本能的な部分を刺激するものばかりだ。男性優位のシステムはもともとこうした部分に根差していないから、それを使われると弱いというわけだ。当然、男性優位のシステムに男性の本能的な部分をぶつけても何の効果もない。だから「武器」が使えるのは女性だけで、男はそれを見て「狡い手」だと思うのだ。もし世の中が女性優位の社会だったら、これがそっくり逆転しているだけの話である。



 しかし、こうした正攻法ではない「武器」を持っているということ(また持っていると見なされていること)は、裏を返せば女性が常に「弱者」であることを固定化することである。男性優位=「理性」「知性」中心のシステムという図式は、男性こそが知的に優れ、理性的であるという思想に他ならない。このことは、純粋に「知性」や能力で勝負しようとする女性に対して男は「女性の武器」を使用しているとは思わないことにも現れている。そして、勿論この思想に根拠はない。長い人類の歴史の中で、女性の能力を封じ込めようと企んだ男達の支配する多くの社会で、長い時間をかけて捏造されてきた「性差」という信仰である。
 そして、この信仰も、それが作りだしたシステムも、「女の武器」などではびくともせず、逆にその補強に寄与することを、男達は見抜いているのだ。「女の武器」と口にする時、男達は自分達にその種の「武器」がないことを苦々しく思う一方で、相変わらず女性に対して優位に立っている自分達を確認して安心するのだ。そして、それを受け止められる余裕を持っている自分に男としての度量を感じさえするのである。



 けれど、時代は流れて、人々の意識も少しずつ変わってきた。本当に僅かな変化ではあるが、長い時間をかけるうちに、元の状態とはだいぶ違ってきている。「涙は女の武器」という言葉に違和感を覚えたり、侮辱されたと思った人は男女を問わず結構多い。実際に「武器」として涙を使おうとする女性はもうあまりいないだろう。男性優位のシステムの虚構性と、それを維持することの無意味さに、多くの人々はとっくに気付いている。その有効性を疑っていないのは、もはや永田町と霞ヶ関の住人くらいである。



 小泉首相は政治を国民の方へ近付ける感性を持つ政治家(永田町の「変人」)として人気を集めた。しかし、メディアの前であまりにも古い感覚のあの発言をして、それを国会で駄目押しまでしたら、それが国民にどう受け取られるかが分からなかったのだろうか。もしそうだとしたら、それだけで政治家としてもはや彼は終わっていると言わざるを得ないだろう。
 男性優位のシステムを誇示することは、既に男達にとって「武器」ではなく、「諸刃の剣」になっているのである。


hajime |MAILHomePage

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