思考過多の記録
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アフガニスタン復興支援会議が東京で行われ、一応成功裏に終わったことになっている。それに関連して、ここ数週間マスメディアを賑わしていたのが例のNGO参加拒否問題である。
これは、復興支援会議と同時に日本政府主催のNGOの会議が開かれたわけだが、アフガン支援で大きな役割を果たしていた日本のあるNGO団体が、外務省から会議への出席を拒否されたという問題だ。その理由は、件のNGO団体の代表者である大西氏が新聞のインタビューに対して行った「お上のいうことはあまり信用しない」という趣旨の発言に対して、自民党の鈴木宗男衆議院議院運営委員長が怒り、それに対して大西氏が謝罪の電話を入れなかったことだと報道されている。これは大西氏本人が記者会見でも語っている。 結局、この件が報道された夜に外務省は出席を認め、翌日(会議の2日目にして最終日)の会議にこの団体は参加することができた。しかし、勿論このことは各国のNGO団体の知るところとなり、日本政府の姿勢に多くの疑問が呈されたのである。 さらにその後、この件について「鈴木氏の関与があった」と国会で答弁した田中外務大臣と、「その事実はない」とする鈴木氏と外務官僚との間で殆ど痴話喧嘩のような対立があり、ワイドショー等が面白可笑しく取り上げて広く国民の知るところとなったのであった。 そしてついにこの問題を巡って国会の審議が止まるという事態に発展し、田中大臣の涙が話題を呼び、結局当事者が3人とも辞職するという結末となった。
永田町界隈ではこの問題は決着したという雰囲気が漂っている。メディアもこの問題を取り上げなくなった。しかし、事の本質は言ったか言わなかったかという問題ではないだろう。NGO団体の代表がわざわざ嘘の内容の会見をする必要性は乏しく、事実関係を偽っているのは鈴木氏と、彼と連んで‘真紀子外し’を謀った外務省の高級官僚達であると断定していいと思う。そして今、主に批判に曝されているのは外務官僚達だ。それはある意味で当然である。彼等の判断は明らかに間違っていたのだから。 けれども、僕は事の発端となった鈴木氏の行動こそ、最も問題だと思っている。
一体何故鈴木氏はそんな行動を取ったのだろうか。もし報道されているように彼が大西氏の発言に対して怒ったからなのだとしたら、僕は鈴木氏の感性を疑う。実際鈴木氏はこの問題が報じられた直後のテレビのインタビューで、「国に対して批判的な人が、何故国が主催の会議に出席したがるのか聞いてくれ」と例の甲高い大声で語っていた。 本当に情けない話なのだが、国会議員を何年も務め、曲がりなりにも‘有力議員’に数えられる(僕自身は全くそうだとは思わないが)程の人物が、NGOの何たるかを知らないらしいのだ。言うまでもなく、NGOとは政府から独立し、独自の判断で活動できる団体である。政府の外交方針や国交の有無に縛られないため、人道的見地に立って国よりも自在に、きめ細かに、現地の情勢に即した迅速な対応が取れるというわけである。今回のアフガン支援にしても、もともとタリバン政権と外交関係がなかった日本政府は、せいぜい金を出す約束くらいしかできないが、日本のいくつものNGO団体は、この会議のずっと以前から現地で援助活動を続けていたのだ。いわば、国(外務省)はこの件に関してはNGOに比べて「役立たず」の状態が続いていたわけである。 今回国際会議が東京で開かれたのも、こうしたNGO団体の地道な活動によって、結果的に日本が当事国をはじめ国際的な信頼を勝ち得ていたからなのであって、決してアメリカに味方をして自衛隊を派遣したからではないのだ。 そして、いざ日本としてアフガンを支援しようとする場合、国はこうしたNGOの協力を得なければ実際には何もできないのである。
かつて外務政務次官を務めたという鈴木氏がこうした事情を本当に理解していたならば、NGOに対してとても今回のように傲慢な態度を取ることはできなかっただろう。彼は全くの勘違いをしているのだ。その根源ははおそらく、国会議員という地位に対する勘違いから来ている。 当たり前すぎて説明するのも馬鹿馬鹿しいが、国会議員とは国民の付託を受けて国政を行うのが仕事である。すなわち、国民は自分達に成り代わって国を運営する仕事を任せるために彼を選んで、国会に送り込んでいるのである。ところが、国民に選ばれたということから、いつの間にか彼は自分が国民の「上」に立っていると思い込んでしまったらしいのだ。そして、政権政党内である地位を得た自分が仕切って国を動かし、国民は黙ってそれに従っうのが当然という誤った認識を持っているようなのである。彼が大西氏に対して「税金を集めてきたのは俺だ」と発言したという事実は、このことを雄弁に物語っている。 そもそも現在、少なくとも公的には外務省とは何の関係もない彼が、外務官僚を電話で怒鳴りつけて、会議の参加者を不参加にさせるような権限がどこにあるというのだろうか。役人や、それより下(とおそらく彼は思っているだろう)の一般国民は自分に従って当然だという感覚がなければできない、非常識きわまりない振る舞いではないか。
ここには、先日この「思考過多の記録」で書いた、大江氏の講演辞退問題と通底する問題が見え隠れする。「国」の方針や思想は常に正しく、それに異を唱える者は「異端」であり、許されないという感覚だ。そして、自分達こそが「国」を動かしているという奢りがそこに加わる。この考え方に立てば、国民やNGOなどという「民間」の言うことになど耳を傾ける必要はないことになる。国を動かす自分に「謝れ」と言っても謝らないなど言語道断というわけだろう。こういう感覚の人間が、議員運営委員長という議会のルールを決める責任者のポストに就いていたというのは、もはやギャグとしか言いようがない。
そして僕は、彼を選んだ有権者の責任もまた重いと思っている。これまでの彼の言動を聞いていると、地元に利益を還元してくれるからという理由ではなく、本当に自分達の代表として民主的な議会に送り出すのに相応しい人物なのかどうかをきちんと見極めて、有権者が彼を選んだとは思いにくいからだ。 この点も大江氏の時に指摘した、政治教育の欠如という問題とつながっている。この国の病理は深いと言わざるを得ない。
今回の件をこれで終わらせたいと政府与党は思っているようだ。自民党橋本派の偉い人の話を聞いていると、はなからこんなことは大した問題ではないと思っていたようなのである。そして、田中真紀子を追い出せたことを子供のように喜んでいる。しかし、問題の根本に関する論議を曖昧なままにしておけば、再び同じ事が起こりかねない。おそらく外務官僚も鈴木氏も反省などしていないだろう。最も日本的だが、最も悪いやり方である。 こんな国が国際貢献を云々するなど、ちゃんちゃらおかしい。そして、こんな国を愛したり、日本人であることに誇りを持ったりすることなど、僕にはとても出来ない。
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