思考過多の記録
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2002年に入ってもう5日が経つという日になって2001年の回顧でもないだろうという感じもするが、是非とも書いておきたいことがある。 2001年、21世紀最初の年にこの国で売れた本や流行った音楽等の分析をした新聞記事が昨年末に出ていた。それによれば、去年は「単純なメッセージ」が支持された年だったのだそうである。そういえば、新語・流行語大賞に選ばれた小泉首相の言葉の代表的なものは「感動した!」だった。ベストセラーの年間ナンバーワンは「チーズはどこへ消えた」だったし、他に売れた本の上位には「話が聞けない男、地図が読めない女」「金持ち父さん 貧乏父さん」等、実に分かりやすいメッセージのものばかりだ。今映画にもなって大ヒットの「ハリーポッター」もひねりがないお伽噺らしい。音楽のヒットチャートを見ても、確かにシンプルなメッセージの曲が殆どだ。フォークデュオ擬きが多数出現したのもこの流れを受けているのであろう。
世の中の情勢が混迷を深め、誰もこの先のことを正確に予知できないばかりか、現状の分析すらおぼつかない。識者といわれる人々が様々な見取り図を描いて見せるけれど、どれがより正しいのかの判断も出来ない。そんな状況の中で、芸術等の世界でまで複雑で一筋縄ではいかないものを享受したくはない。そんな気分がこれまで以上に世の中に蔓延していたのだと思う。あまりに不可解で閉塞感に満ち、先行き不安の中で生きることを強いられ続けているため、少しでも道標になりそうなものには飛びつき、心癒され、安心できるシンプルなメッセージを求めるという行動を多くの人がとるようになった、いや、それまでの同様の傾向に拍車がかかった、それが去年だったのだろう。 一言で行って、多くの人々が心身共に疲れ切っていたのだ。
僕の大好きな劇団・第三舞台はこういう時代の状況の中で、10年間の活動停止を宣言したのだった。 活動停止の理由は勿論それではなく、演劇活動上の理由が主であったが、僕には大変象徴的であるように思えたのだ。それというのもこの劇団は、1981年に所謂‘小劇場’劇団として誕生したときから、常に時代の最先端の感覚を掬い取って表現することで客の人気を獲得していったからだ。今でもチケットが取りにくい劇団の一つだし、この劇団で活躍していた役者は、現在やテレビや他劇団の舞台でも活躍している。作家にして演出家でもあるこの劇団の主宰者は、数々の著書やラジオ・テレビのパーソナリティで人気者となり、時代を読む人としてその筋では有名だ。しかし、ここ数年は劇団としての活動はあまりなく、役者・演出家個々人の活動が目立っていた。
僕は80年代の後半からこの劇団を見始めた。僕が気に入っていたのは、この劇団の芝居が非常に深く、根元的なこと、そして思想的にも入り組んでいて決して分かりやすくはない問題を扱いながら、表面上はそれを感じさせないように作られていたということだ。 主催の方によれば、小劇場の芝居は「世界が変えられないのであれば、遊んでしまえ!」というポリシーの下に製作されていたのだという。その言葉に違わず、第三舞台の芝居は毎回遊び心に溢れていた。ふんだんに使われるギャグやパロディ、そして見ているだけでウキウキしてくるダンスシーン等々、無条件で楽しめるシーンが満載だったのである。けれど、それと同じ劇中で、登場人物は毎回自分達がこの時代を生きているがために抱えている問題に悩み、もがいていたのだ。同時代を生きる僕達はそれを見ると、決まって切ない思いになったり、激しく心を揺り動かされたりしたものである。 第三舞台の芝居が時に分かりにくいと言われたのは、取りも直さず世界が入り組んでいて複雑なことの反映であった。それでいて彼等の芝居は決して結論を押しつけなかったし、「答え」を出したこともなかった。しかも、問題の扱い方は、決まってクールかつソフィスティケイトされていて、決して情緒に流れ過ぎることはなかった。 「涙を拭くハンカチのような芝居を作りたい。何故なら、涙の原因に対して芝居は無力だから」この劇団の主宰者が好んで使っていた言葉である。特に80年代に多くの人がこの劇団を支持したのは、この劇団がどんなに表面上「遊び」に徹しているように見えても、自分達の置かれている状況=「深層」を踏まえていることを、客自身が分かっていたからなのだ。その上で、このシビアな状況を転換するのにこんな方法もあるのか、ということを芝居から読み取り、パワーを貰っていたというわけである。
90年代に入って、この状況に変化が出てきた。人々は遊び疲れると同時に、時代の分析にも疲れてきた。そして、自分達にまとわりつく「深層」の問題を忘れようとするかのように、分かりやすい物語、頭を使わなくてもすむ物語を求めるようになっていった(三谷幸喜氏の活躍はこの辺から始まる)。この頃から第三舞台の芝居にも微妙な変化が現れる。80年代のギャグの連発は影を潜め、ストレートでありながらクールでシビアな世界が展開するようになったのだ。ただ、時代や関係性の切り取り方はやはり独特かつ的確なのものがあった。「深層に向かう時期だ」と主宰者は語っていたけれど、舞台自体は決してヘビーにはならず、ちゃんとエンターテインメントとしても成立していた。ギャグが減った分印象的なシーンや台詞が際立ち、僕はいつもその舞台から刺激を受けてきた。 その手法に新鮮さこそなくなっていたけれど、少なくとも僕が見続けていたこの15年というもの、第三舞台は今の僕達の位置を映し出す鏡のような芝居を作り続けて生きた。これはクリエイターとしては驚異的なことであると思う。そして、混迷を深める今だからこそ、あの劇団はどんな舞台を見せてくれるのか楽しみでもあったのだ。 その矢先、21世紀に入って最初の年、劇団の20周年を期して、第三舞台は活動を休止した。時代の風を確実につかんで突っ走っていた80年代に比べ、劇団のポリシーが一貫していただけに、90年代以降は時代や演劇自体の大きな流れが変わってしまったことがかえって浮き彫りになったのだと思う。それが不本意だったから今回の決定に至ったという側面もあるのではないかというのが、僕の個人的な見解である。 でも僕は、第三舞台が表現者の集団として寿命を迎えたとは思っていない。むしろこんな時代だからこそ、この劇団には存在意義があるのだと思えてならない。 昨年秋の活動停止前最終公演「ファントム・ペイン」では、引きこもりやネットの問題を織り交ぜながら、戦いのない弛緩した平成という時代から抜け出そうとする人々と残ることを選ぶ人々を描くという、相変わらず今を生きる僕達の問題にこだわった舞台を見せてくれた。
第三舞台は10年後に活動を再開すると宣言している。 当日劇場で配られた主宰者の「ごあいさつ」という文章は、こんな言葉で締めくくられていた。
「10年間、お互い、生きのびるように。」
こんな時代だからこそ、僕は必ず生きのびてやろうと思う。そして、10年後に必ず彼等と再会を果たそうと固く決意している。 その1年目が、いよいよ始まろうとしている。 彼等の足元にも及ばないけれど、今年は僕もまた、ちっぽけな鏡に何とかこの時代を映してやりたい。
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