思考過多の記録
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| 2001年12月22日(土) |
ぼやけた映像に鮮明に映っていたもの |
海の向こうのあの国では暫定政権が発足し、国際社会が仲介者となって新しい秩序を構築する取り組みが緒に就いた。この少し前、ビンラディンの行方をしつこく追いかけるアメリカは、彼があの事件の首謀者であることを示す「証拠」とされるビデオテープを公開した。
家庭用ビデオで撮影されたと思われる画質の悪さが、かえってその記録に生々しさと信憑性を与えているように見える。確かに、彼と思われる人物が誰かに向かってあの事件のことを嬉しそうに語っている姿が映っていた。アメリカ人のみならず、あの映像を見た世界中の人々のおそらく10人のうち10人が、彼の事件への関与を疑わないだろう。そして、もしアメリカ軍が彼を殺しても、それを(少なくとも表立って)非難する者はいなくなったかも知れない。
だが、よく考えてみると、分からないことも多い。まず、このビデオがあの国のある街の、タリバン(若しくはアルカイダ)が使用していたとされる民家から発見されたこと。こんな大事なシーンを収録したビデオを、いくら慌てて逃げたとはいえ、わざわざ置き去りしていくというのはどうにも不自然な感じがする。 そして、そもそもこのビデオが何のために撮影されたのかがよく分からないのだ。これだけ大きなテロ攻撃を仕掛け、のみならずこれまで起きた数々の事件への関与が取り沙汰されている人物にしては、相手の手に渡ればどう使われるか分かりすぎるくらい分かるような「証拠」を自分から進んで残すだろうか。
報道によれば、あのビデオの中でビンラディンと話している男は、アラブ首長国連邦という西側世界に対して非常に協力的な国の聖職者だという。その男がビンラディンのゲストハウスに彼を訪ね、あの事件について彼と話した記録が、あのビデオだ。その男はラディンの前でターバンをとり、彼とリラックスして笑顔で話している。映像で見る限り、ラディンも警戒心を解いている様子だ。2人が非常に親密な関係であることを示しているのだが、どうやらその男の後ろには、CIAの影があるというのだ。 もしこの報道が正しければ、同じイスラム社会の人間で、しかも神に仕える聖職者。宗教や文化、そして共通の敵にたいする思いで結びついていた筈の相手は、その敵への情報提供者だったことになる。その聖職者は、アラーの神に仕える身でありながら、既にキリスト教徒の支配する国に魂を売っていたのである。ビデオが見つかった民家のある街では、空爆開始の前からアメリカの諜報機関の工作員が入って活動をしていたともいわれている。それならば、ビデオがそこで「偶然」発見された理由も、何となく察しがつく。言うまでもないことだが、その街はラディンの味方・タリバンの支配下にあった。
あのビデオに関する謎はまだまだ多い。そのうちのいくつかは時を経て、そのことが政治的な影響力を持たなくなったとき、徐々に明らかにされるだろう。また、いくつかのことは永久に謎のままで終わるだろう。 しかし、明らかなことが一つある。日々を戦場にすること選んだ人間にとって、信じられる者は誰一人いないということだ。笑顔で会話をしていても、その相手は自分を裏切るための準備を着々と進めているのかも知れないのだ。
友達だと思っていた奴が陰で自分の悪口を言っていたり、信用できると思って秘密を話してしまった相手がそのことを逐一他の人間に報告していたり、戦場に限らず、人はいとも簡単に、または苦悩の果てに人を裏切る。 約束は破られ、条約は反古にされる。婚約は破棄され、契約は不履行になる。恋人とは違う異性に抱かれ、昨日まで共に戦った相手に銃を向ける。やがて人は、そんな騙し合いに慣れ、世間を渡って生き延びる。 人間とは悲しい生き物だ。テロという「騙し討ち」戦法で超大国・アメリカをはじめ世界中をきりきり舞いさせ、敵の包囲網からまんまと逃げおおせた男・ビンラディンも、そんな人間の悲しい性から逃れることは出来なかった。あの家庭用のビデオのぼやけた画面は、そんな冷徹な事実を鮮明に映し出しているように、僕には思えて仕方がなかった。
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