思考過多の記録
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皇太子妃が出産のために入院した同じ日、元ビートルズのジョージ・ハリスンの死亡が報じられた。僕はビ−トルズファンではないのだが、それでも何かしらの感慨は持った。世界中のビートルズとジョージ本人のファンはどんな思いだっただろうか。
ビートルズといえば、かなり前にジョン・レノンが他界している。ジョンもジョージも、ビートルズ時代やその後のソロ活動の中でたくさんの曲を遺している。彼等の死後も、彼等の作品はCD等になってこの世に残る。これから生まれてくる人間も含めて、今後何年、年中年、ひょっとしたら年百年にもわたって、彼等の曲は世界中の多くの人々によって聴き続けられるだろう。そして、多くのアーティストが彼等の曲を歌い継いでゆくに違いない。 月並みな言い方であるが、彼等が死んでも彼等の音楽は生き続けるのだ。
彼等の音楽はまた、それを聴いた多くの人々に影響を与えるだろう。 ある人間は、彼等の音楽から勇気を得るかもしれない。また、彼等の音楽に刺激されてアーティストの道を歩み始める人間もいるだろう。また、音楽に限らず、様々な芸術作品にパワーやヒントを与えるかもしれない。彼等の音楽に出会ったことで、人生の方向が変わる人間もいるだろう。 彼等が何らかのメッセージを込めて作った作品が、彼等の死後も多くの人々の中で生き続ける。とりもなおさず、それは彼等が会ったこともない多くの人々に影響を与え続けるということなのだ。
数日前、僕は自分の大学時代のゼミの教官が、交通事故で亡くなったという知らせを聞いた。大学1年の時、偶然割り振られたゼミだったが、当時まだ若手の助教授だったその先生の教えていた文化人類学という学問は僕には未知のものだった。 毎時間レポートを書かせるということで「厳しいゼミ」といわれたが、当時隆盛を極めていたニューアカ・ブームとの関連が多少あったこともあり、僕にとってはその先生とゼミの内容は刺激的だった。 こうして2年、3年、4年と僕はその先生のゼミで過ごすことになるのだが、そのおかげで僕はそれまでの硬直した思考方法をだいぶ解されたし、そこで学んだことを入り口として、いわゆる現代思想の潮流に少しだけ触れることができた。そしてそのことが、これまたその後ずっと見続けることになる第三舞台との出会いへと繋がっていくことになる。 そして、その影響で書いた僕の脚本にも、特に初期の作品にはその先生のゼミでの「学習」の成果が現れていたものだ。
4年生の途中で、僕はその先生と喧嘩別れしてしまったような格好になったが、考えてみると、僕の中にはその先生の「遺産」が結構ある。人生のある部分の方向性を決定付けたといってもいいだろう。それが正しい方向だったのかどうかはまだ分からないが、いずれにしても、あの先生の影響は消し去り難いものとしてしっかり僕の中にある。 先生の死は突然だった。先生は、例えば学会全体に名を轟かすような目覚ましい研究成果を上げてはいなかったかもしれない。けれど、あの先生の影響は、学問的なものもそうでないものも含めて、僕をはじめたくさんの人間の中に残った。先生は亡くなったが、その影響は先生の教え子の中に生き続けるのである。
芸術や教育等、何かを生み出す、創造する仕事は、自分以外の人間の中に何かを遺すことができる。肉体的な死の後も、自分の痕跡がこの世に残るのである。 だからこそやり甲斐があるし、また誰にでもできることではない。 人の心を揺り動かし、何かを遺したいと思いながら、遂にその目的を果たせないまま肉体的な終焉を迎えてこの世から消えていった人間は数知れない。 僕のこんな文章も、おそらくはそうしたものの一つになるだろう。
しかし、考えてみれば、芸術作品など作らなくても、また教壇に立ったり本を出版したりしなくても、自分と関わる人間に、ほんの小さなものではあるが、自分が生きていた痕跡を残しているのではないか。 日々の暮らしの中で、すぐに薄れて見えなくなってしまうものも多いけれど、でも確実に僕達は、お互いの中にお互いの影響を残し合いながら生きているといえないだろうか。
例えば、ニューヨークのワールドトレードセンターでビルの下敷きになった人々や、アメリカの空爆と北部同盟の攻撃で死んでゆくタリバン兵達は、一体何を残したのだろうか。 ジョージのように美しい曲を残したアーティストと違い、憎悪と政治的対立に押し潰されて虫けらのように死んでいった人々は、この世に何を残せたのだろうか。そして、何を置き忘れていったのだろうか。
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