思考過多の記録
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海の向こうのあの国で戦争が始まってから1ヶ月以上が経過した。当初長引くのではないかと予想されていたタリバン・アルカイダ掃討作戦は、執拗に続くアメリカ軍の空爆と、それに乗じた北部同盟の陸上からの攻撃に曝されたタリバンが、都市を次々と放棄したことにより、一つの段階が終了したような雰囲気になっている。ただし、アメリカが追っているあのテロリストの行方については情報が錯綜しており、その居場所は未だに特定されていない。
タリバン・アルカイダという「悪者」が山中に逃げ込み、絶望的なゲリラ戦を展開しながら徐々に勢力を弱め、やがて消滅していくという事態は、アメリカが、そして「文明社会」の側に立つ(あるいは立ちたがっている)国々が望んでいた通りの結末だろう。この上ビンラディンが拘束されるか、もしくは殺害されるという大団円が付けば申し分はない筈だ。彼らは高らかに「正義」「自由」「文明」の勝利を宣言するだろう。
しかし、何度も書くようだが、それは決してこの戦争の「結末」ではあり得ない。テロリストを追い詰め、裁き、殺してしまえば「報復」という目的は果たされ、人々は溜飲を下げ、「強いアメリカ」を再確認し、歓喜する。やがて、自分たちから遠く離れた海の向こうのあの地域のことなど忘れてしまうだろう。だが、ビンラディン一味とタリバンがこの世界から抹殺され、アメリカ軍がかの地から去った後も、住む場所を失い、肉親や愛する者を殺され、新たな支配者から追われる多くの人々が、国境や難民キャンプを目指すだろう。
タリバンが去った各地では、早くも「無秩序」という名の新しい支配者が跳梁跋扈し始めている。新政権樹立のための会議や多国籍部隊の展開が具体的なスケジュールに上ってはいる。しかし、それらはかの地に一時的な「平和」をもたらしはしても、真の意味での平安の永続を保証するものではない。逃げ遅れたタリバン兵に対する虐殺はもう始まっているし、タリバン残党への攻撃も収まっていない。また、新たな政権を巡って、北部同盟各派の思惑は食い違っている。共通の敵が消えてしまえば、彼らは自分のグループの利益を第一に行動し始めるだろう。もともとはお互いに内線を戦っていた同士である。これまでの経過の中で抱いた相互の不信感や蟠りはそう簡単には消えない。既に前戦で、彼らは全く統率の取れていない動きを見せている。 さらに、タリバンの弱体化に伴って、タリバンと同じ民族の反タリバン勢力も台頭してきた。彼らもまた、新政権で自分たちの発言力を確保しようとするだろう。
たとえ新政権協議が何とかまとまっても、問題はむしろその後だ。実際に政府が動き出してから、各派の間で不協和音が出始めて、それがもとで結局は内戦状態に逆戻りというシナリオは、決してあり得ないことではない。アフガンの歴史は、まさにその繰り返しだったのだから。
タリバンが崩壊へ向かい、ビンラディンが追われる今の状況は、問題解決への過程ではない。それは、パンドラの箱があの地域にばら撒かれつつあることを意味する。アルカイダとつながりを持っていた世界中のテロ組織は、あのテロリストの遺志を継ごうとするだろうし、新しい支配者の椅子を巡って、昨日の友も今日は敵となりうる。 戦争はまだ終わったわけではない。国際社会が今までと同じ様にその場凌ぎの対応をするなら、パンドラの箱の蓋が次々と開かれていくことになろう。
思えばこの戦争は、ニューヨークの同時多発テロから始まった。あれこそ、アメリカがこれまで全世界にばら撒いてきたパンドラの箱の、一番大きな物の一つの蓋が開いた瞬間ではなかったか。タリバンによる抑圧の「秩序」を、自由という「無秩序」に変えることで、アメリカは復讐と罪滅ぼしをしたつもりかもしれない。 だがアメリカも、そして僕達の国を含めた「文明社会」の国々も、自分達が世界中に撒かれたパンドラの箱に取り囲まれていること、力で無理矢理それを破壊しようとすると、かえって箱は増えていくことを、肝に銘じておく必要があるだろう。
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