思考過多の記録
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2001年10月28日(日) 人は変わる。そして、変わらない。

 僕より先に幸せを手にした後輩の結婚式の2次会に出席した。そこにはその後輩と僕が15年前に初めて出会った母校の演劇部の卒業生数人も来ていた。彼等が現役で芝居を作っていた頃、大学生になっていた僕は卒業生として部活に顔を出し、彼等と一緒に時間を過ごしていた。一度だけ彼等のために脚本を書き下ろしたが、特に指導らしい指導をした覚えはなく、ただただ彼等の成長を見守るだけの存在だった。因みに、部活のために書いたその脚本が、僕の処女作だった。
 出席していた後輩達は、ちょうど僕のその脚本を上演した世代で、その後も僕が自分で脚本を上演しようとした時にいろいろな形で協力してもらった、僕にとっては最も繋がりの深い、そして忘れ難い人達だった。当時の話や今現在何をしているのかをお互いに報告し合ったりしていると、過去と現在が交錯する不思議な感覚に囚われた。それはしかし、僕にとっては幸福な時間だった。
 名字が変わり、当時と比べて当然色っぽくなったり大人の貫禄が出たりしているけれど、ちょっとした仕草や発言に高校生当時の面影を誰もが残してた。演劇から抜けられずに劇団四季の営業をやっている人、仕事では全く演劇とは関係ないことをしていても、舞台は結構見に行っていたりする人もいる。また、一旦足を洗ったのに、ふとしたきっかけでシナリオライターの道に入り込んでしまった人もいた。彼女がコンクールに応募した時に書いた作品は、彼女の演劇部時代の話だったという(僕も少しだけ登場しているらしい)。その話を聞いた時、僕は少し嬉しかった。
 時が経てば、誰もが変わっていく。年齢とともにその風貌も変わっていくだろうし、内面も当然変わっていく。変わりたいと思いながら変われない人もいれば、変わりたくないと思っていても変わってしまう人もいる。特に高校生時代は思春期のまっただ中であり、誰にとってもちょうど大きな変わり目だ。今から思えば、何故そんな風に考えていたのか分からないということも多いだろう。「あの頃はそうだった。でも今は…」という振り返り方をされ、あの頃と今との違いが強調される。
 けれど、流れゆく時の中で変化していく自分の奥底に、やっぱり変わらない部分をどこかに人は残しているのだ。僕が嬉しかったのは、彼等が確実に変わり、現在を着実に生きていながら、過去を語る時に遠い目をしていなかったことである。それは、自分の変わらない部分と変わっていく部分とを、彼等がともに肯定的にとらえていたからなのだろう。
 そんな彼等と話しているうちに、あの頃、変わっていく彼等を見守っていた僕と現在の僕とでは、自分の中で何が変わり、そして何が変わっていないのかを確認することができたように思う。変わらないことは停滞ではない。しなやかに変わりながら、変わらない何かを持ち続けたいと思う。
 僕達はまたこの中の誰かの結婚式で会おうと約束して別れたのだった。その時僕達はどう変わり、そして変わらないのか。それを確認するのが楽しみである。
 それにしても、こうして顔を合わせるメンバーの中で、僕が未婚の最年長である。この状態も長らく変わっていない。それだけが変わらないことであり続けるのも非常に困ったことである。


hajime |MAILHomePage

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